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今日から君と待ち合わせ  作者: あやぺん


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枝話「佐藤政道の新しい世界1」


 一匹の蝶が羽ばたきが、全く別の場所の天候を荒らすことがある。

 佐藤政道は、自分の心を荒らすきっかけが、かなり昔、田中一朗が恋に落ちた時から始まっているなんて、知る由もない。


 ★


 中間試験が終わった翌日のHRで、担任が「特別授業に向けた注意」を始めた。

 数学の先生らしく、黒板に数式を書きながら世界人口や国の数を持ち出す。

 何の話だろうと思っていたら、それは『同じ都内で生まれ、同じ小学校に通う確率』の概算だった。


「ざっくりだけど、約70万分の一です」


 高校は学区が広いから確率は上がる。それでも、俺たちが同年代と知り合うのはせいぜい0.0001〜0.0002%らしい。


「つまり、隣の聖廉生と知り合う確率は、競馬で儲けられる可能性よりも低いです」


 三連単の理論上の的中率は0.02%程度。馬の調子や騎手で変わるが、数学的にはそうなるらしい。なぜ競馬と比べる。

 それを皮切りに担任は競馬の買い方、競馬場の楽しいイベント、恐ろしい負け額、依存症の話までし始めた。


「先生、競馬ですったんすか?」


 こういう時に声を出せる和哉が茶々を入れる。


「俺は使用額を決めて守れる理性的なギャンブラーだ」


「すったんですね」


 教室に笑いが響き渡る。海鳴には「我が校の卒業生には豊かな人生を」という理念があるので、社会の落とし穴話はたびたびされる。


「本題に戻ると、奇跡的な確率で知り合う聖廉生は女性だから、全員、うっすら男性が嫌いです」


 女性は、他に席が空いているのに隣に座られるだけでストレスを感じる。本能的に男には勝てないと意識するからだ。

 一方、男は無意識に、時に意識的に女性の隣に座りたがる。もちろん全員ではない。

 要するに——生物学的に男は本能的に女が好きで、女は本能的に男を警戒している。

 

「でも君たちは海鳴生だから印象がいい。全員、うっすら好かれている。先輩たちが積み上げてきた信頼ですから、壊さないように」


 担任は具体的な注意に入った。合同遠足前と似たような話しだ。

 

「観察されているから、他人にこそ、優しく親切にしなさい」


 隣の生徒は、大学の同期や職場の同期になることがある。取引先にいるかもしれないし、顧客かもしれない。政治に関わるようになるなら彼女たちは投票者だ。

 海鳴の印象が良ければ、聖廉出身者が味方してくれることもある。全体としての印象を良くしておくことも、個別に人脈として手に入れておくことも、大変、お得。


「つまり、悪さをしないように。酷い素行不良者は個別に呼び出します。今回の全体への注意事項は以上です」

 

 またこの話と思ったけど、違う話もあってわりと面白かった。

 

「早坂君は発言できていいけど、爪が長くて汚い。面倒がらずにこまめに切って汚れを落とすように」


「えっ? あっ、本当だ」


「佐々木君、サッカー部はナンパ男子だと隣から警告が来た。二年部長と副部長の君は呼び出しだ。今日の放課後、職員室に来なさい」


「……えっ? そんなことをしてる部員はいないですよ!」


「いるから呼び出しです」


 こうした“晒し”は一年通して全員が何度か受ける。

 HRが終わり、和哉と教室を出ると彼は爪を見せてきた。俺たちはとりあえず手を洗ってから出発した。


「サッカー部の誰がやらかしたんだろうな」


「一朗が昼にサッカー部とたまに遊んでいるから、聞いてみるか」


 涼を迎えに行けば一朗もいるはずだったが、もう帰っていたらしい。颯と二人で下校したそうだ。

 三人で駅へ向かいながら、和哉のお喋りに耳を傾ける。颯は高松さんが来ないから、打ち上げに来ないという予想話だ。

 

「あいつにこそ、谷垣先生の"人脈話"を教えるべきだ」


「人脈話?」


 涼は違うクラスなので、俺が内容を説明すると「先週、似たような話を担任にされた」と笑った。


「でも颯は今、高松さんしか見えてなさそうだからなぁ」


「涼もそう思うよな。剣箏部の部則はどこへいった」


「迷惑をかけなくて、真剣ならいいんだろう?」


 俺の問いかけに、和哉が大きく頷く。


「まぁな。女子たちは明らかに高松さんを応援してる。あれはきっと、高松さんが相談しているんだ。俺らは颯に無視されているのに」


 面白くないというように、和哉は唇を尖らせた。


「忙しいからじゃないか? あのストーカーの件が落ち着いた後から部活がないから、雑談する暇がないよな」


「確かに。部活が始まったら俺らに何か言うと思う?」


「和哉にだけ言わないなんてないから安心しろ」


 和哉は陽気で元気な性格なのに、ときどき仲間外れにされることを恐れているように見える。とても嫌がっている様子を見せることもある。

 もちろん、誰だって友達グループからのけ者にはなりたくないものだが、和哉の場合は少し様子が違う。彼の話の端々から察するに、中学時代の部活動で何かあったのだろう。


 駅に着いて、最近少し交流のある和太鼓部の五人と合流。少しして、合同遠足や勉強会で知り合った舞踊部の三人がきて、箏曲部の六人も集合。

 池梟のボーリング場を予約してあるので、まずはみんなで電車に乗った。

 誰ともなしに男女別、部活別に分かれ、車内では別の集団のようになった。

 俺はなんとなく橋本さんを見た。今日は緩めの三つ編みの日だ。相変わらず、よく似合っている。


(ボーリングは来た……)


 彼女がグループトークで参加表明をした時と同じように、心の中で呟く。

 橋本さんは、なぜか俺らの勉強会に、一回しか来なかった。

 気になって東さんに確認したら、「追い込み時期は大人数だとあまり集中できない」という理由だった。

 今日も「聖廉生はみんな可愛い」と思いつつ、ついつい視線が橋本さんの動きを捉える。

 初めて会った時から、彼女の動きは柔らかくてフワフワしていて目を引く。

 

 乗り換え駅で一度降りて、人数が多いから別々にランチへ行き、再集合して目的地へ。

 到着後は四チームに分かれて開始。勝敗は二の次で、楽しむのが目的だ。チーム分けあらかじめ決めてあるので、さっそく開始。

 俺と涼は、まず橋本さんと細谷さんの四人チームで、初心者の二人に教えながら遊ぶ。

 涼が、「俺たちは勝負にしよう」と言ったので、そうすることにした。

 隣のガチ勢を参考にして、負けた方が、部活のある日に300円以内で何か奢ることに。

 

「グッパで、どっちの女子と組むか決めて先生勝負もしよう」


「自分の教えた生徒の勝敗が俺らの勝敗?」


「そう、最大500円の負け。二回勝つと減額で、引き分けで相殺」


「よーし、二回勝つぞ」


 グーとパーでチーム分けをしようとしたら、橋本さんが「グッパとは、なんですか?」と首をかしげる。

 この仕草だけで、ほわほわしているって本当に不思議な雰囲気の女の子だ。


「グーとパーで分かれっこって、チームを作るんですよ」


 細谷さんも、箏曲部の中では橋本さん寄りのほんわか系なので、今の歌うような言い方はとても似合っている。


「グーとパーで分かれっこ、ですね」


「そうそう。グーとパーで分かれっこ」


 俺は今、目撃した。他校生の男子が二人に注目して、可愛いというようにヒソヒソしたところを。

 涼はときめかなかったのか、普通に二人に話しかけ、「細谷さんに合わせよう」と言い、俺は橋本さんとチームになった。

 俺と涼はもうボールを選んであるけど、女子二人はまだなので選びに行き、彼女には、この軽いボールで重いんだと驚く。

 続けていくうちに細谷さんは上手くなっていった。一方、橋本さんはあんまり。


「歩きながら腕を振るって難しいのに、みんな出来ててすごいです」


 腕の動きとチグハグなちょこちょこ歩き。「えいっ」という掛け声。ヒラヒラと揺れる制服のスカート。どれもこれも、やたら可愛くて困る。


(なんか俺、そんな感想ばっかり……)


 好きだった子に何もできないまま失恋して、落ち着いてきたら、みんな可愛い状態だけど、橋本さんのことは、その中でも少し特別な気がする。

 剣箏部の部則があるけど、真面目なら良いので、今の曖昧なところから抜け出して「真剣だ」と感じたら、どうするか考えるつもり。

 それまでは今みたいに、皆で何かの時に、他の男子と同じように接するだけ。自分の気持ちが曖昧(あいまい)だと何もできない。


 涼との直対決は勝ったけど、先生対決には負けて引き分けた。

 他のチームが全部終わるのを待ち、メンバーを入れ替えて新しいゲームを開始。

 今度のチームは、勉強会で知り合った和太鼓部の満島、それから佐島さん、橋本さん、香川さんの五人だ。

 チーム分けは事前に女子が決めたので、二回とも橋本さんと一緒なのは、偶然なのか、わざとなのか気になってしまう。

 

「女子対男子の勝負にしましょう。負けたチームは……どうしますか?」


 香川さんの提案に、佐島さんが「モノマネは?」と提案した。

 負けても俺ができるモノマネはない。それなのに、満島が「それでいこう」と賛同したので負けられなくなった。

 佐島さんは、スカイタワー以来、わりと大人しくて今日も。

 歩くと男子が振り返るような美少女が、今日が初だとは思えない綺麗なフォームでボールを投げる姿は非常に絵になる。香川さんの溌剌とした感じも可愛い。


(でも橋本さんがなんかつい……)


 彼女が視界に入ると世界がスローモーションになる。「もしかして」と思うけど、まだまだ話したことがないので、ハッキリさせず、ゆっくりでいい。


 そう思ったのに——。


「美由さん、今日ってヒノハラ君は何をしているんですか?」


 ヒノハラ君って誰だ。


「普通に授業ですよ。もう終わったと思います」


「真由香さん。ヒノハラ君って誰ですか? 美由さんの気になる人ですか?」


「結衣さんはまだ聞いてなかったんですね」


 女子三人が、なんか気になる会話を始めたのに俺の番!

 急いでボールを投げて、二投目の準備をしながら耳をそばだてる。


「——です。一応……」


「わっ! 琴音さんに続いて二人目! 何組なんですか? あれっ、でもこの時間に授業が終わった? 他校生なんですか?」


「他校生さんです……」


 橋本さんに彼氏? と目の前がチカチカした。心臓もやたらバクバクしている。

 不自然にならないようにボールを投げたらガーター。

 失敗したと半笑いしながら満島と交代して、椅子に座る。女子たちは俺の結果をまるで気にしていない。


「内部生の美由さんが他校生とどうやって知り合ったんですか? 付き合ったきっかけは?」


「あの、恥ずかしいので……」


「ヒノハラ君は田中君の幼馴染なんですよ」


 佐島さんの発言を聞いた俺は思わず、「一朗のやろう!」と叫びそうになった。慌てて唾を飲んでうつむく。

 一朗どころか誰にも、「橋本さんが妙に気になる」みたいな話をしていない。


(でも、知り合ってすぐ男子を、それも他校生を紹介するなんて……)


 佐島さんが香川さんに、橋本さんと日野原君とやらの出会いを説明していく。

 皆で勉強会をしている時に、お腹が減ったと、一朗と橋本さんは買い出しに行ったらしい。

 

(高松さんの家で、一朗がいる勉強会ってなんだ……)


 それも知らない。そこにはきっと、相澤さんもいたに違いない。それなら納得というか……それなら一朗は彼女と買い出しに行くはず。頭にハテナが浮かんでいるうちに話は進む。

 買い出し中に、ヒノハラ君から一朗に電話があった。一朗は会計の間、「預かるついでに喋ってて」と橋本さんにスマホを渡した。

 すると、人が倒れて、慌てて助けようとしたら、ヒノハラ君は電話越しに彼女を手伝った。


(一朗の幼馴染だけあって、いいやつだな)


 満島の投げる番が終わったけど、女子がワイワイ話して動かないので、彼は俺の隣に座り、「何かあった?」と尋ねた。


「橋本さんの彼氏話っぽい……」


「彼氏……」


 満島が橋本さんを上から下まで見て、チラリと佐島さんを見たのはなんなのか。


「それでそれで?」


「そうしたら、ヒノハラ君は美由さんに会いにきて、好きになったって告白したんですって」


 は?

 はぁあああああああ⁈


「えっ、あの、橋本さんはそれで付き合うことにしたの?」


 俺はつい、口を挟んだ。橋本さんは困ったようにうつむいて、両手を握りしめて小さく頷いた。


「変わってて面白い人でしたし、琴音さんが田中君と楽しそうなので、彼氏がいるっていいのかなって……」


 は?

 好きとかそういうのではなく、「変わってて面白いから」とか「彼氏がいるといい」ってなんだ。それなら俺も候補になるというか、俺でもいいのでは。


「そうなんですよ、結衣さん。美由さんたちは仮交際なんです。彼氏と彼女になれるかお試し中なんですよ。ねっ、美由さん」


「毎日30分電話してみています。Letl.は朝、昼、帰宅後、寝る前で、必須ではないです」


 世の中には、こういう始まりもあるのか。

 俺が「試しに付き合ってみますか?」と言ったら、今の羨ましい特権を得られたのだろうか。


「呼ばれてないけどこんにちはー! みーゆちゃん!」


 すぐ近くで大声がした。「みゆ」は橋本さんの名前なので、馴れ馴れしく名前呼びした男は誰だと目を、体を動かす。

 そこには、モデルか俳優だと思うくらい顔の整った男が立っていて、満面の笑顔を浮かべていた。

 それが「ヒノハラ君」だと理解した瞬間、胸の奥で何かがぐらりと揺れ、一拍、呼吸が止まった。


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