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今日から君と待ち合わせ  作者: あやぺん


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枝話「高松小百合の気づき」

 小さい頃のことはあまり覚えていないのに、小学校に入学した日の心細さだけは今も鮮やかだ。

 同じクラスに、幼稚園からの友達が一人もいなくて、教室の中でひとりだけ浮いているような気がしていた。

 仲の良さそうな子たちが連れ立って帰るのを見ながら、声をかけたいのにどうしても勇気が出ない。

 もじもじしていると、「どうしたの?」と声をかけてくれたのが藤野君だった。

 小さくて、少しぽっちゃりしていて、寝癖のついた髪がぴょんぴょん跳ねている、大きな前歯が目立って、小動物みたいに愛嬌のある男の子だった。


「あの子たちとはなしたいの?」


「……あっ、うん。いっしょにかえれるかなって」


 藤野君は「まってて」と言って、私が見ていた女子に話しかけて、連れてきてくれた。

 他の会話は覚えていないけど、それで友達ができた。

 彼を好きだと自覚したのは数年後だけど、この日の出来事が、きっとこの恋の始まりだったと思う。


 ☆


 中間試験二日目の放課後、昨日のあの台詞をどう解釈していいのか分からないし、「明日も」という約束はしていないので、真由香と帰ろうとした。

 しかし、彼女に「藤野君と帰って」と断られた。


「私、今日は琴音さんの家に行くのでじゃあ」


「二人で勉強するなら私も……」


「私たちはもう勉強しません。コンクールの準備です」


 琴音は勉強も箏も毎日コツコツ積み上げている優等生。真由香は平均点が取れればいいと言い、要領が良くて暗記力もあるから、私よりも勉強しなくていい。

 だから、試験期間中や前日くらいになると、二人は私に勉強を教えるか遊びに行く。


「今日も二人で、頑張ってくださいね」


 聞いて欲しい話があるのに、「コンクールの準備」と言われたら誘いづらい。駅までの道すがらで話し終わるかは微妙なところ。

 

「迎えに来てって藤野君にLetl.してあるから、頑張ってくださいね」


 昨日の今日で会えるわけないじゃないと叫びたくなる。

 一度は「いいよ」と言ったのに断ったのに、「颯に託したから」と連絡してきた一ノ瀬君といい、真由香といい、何か知られてるのかも。

 真由香は「ごきげんよう」と鼻歌混じりで教室を出ていった。彼女の「ごきげんよう」は「ごきげんだよう」の代わり。つまり機嫌がいいということ。

 なんとなく自席に座って机に突っ伏して、小さなため息をついた。


(琴ちゃんはあの時、田中君を見て演奏を変えた……)


 私が長年できなかったことを、ポッと出の田中君が言葉もなく成し遂げて悔しい。

 どうしてそんなに辛そうな悲しい演奏をするのか。 そういう顔だけで、頑固者で傷だらけの琴音を変えてくれた。

 

(表情だけじゃないか。二人きりの時に、愚痴とか言ったのかな)


 真由香と琴音は同じ側だからお互いを変えようとしない。

 相澤琴音は、誰よりも上手くなりたいと言う強欲な人間だ。欲深さからではなく、それほど箏という楽器を好んでいる。

 けれども、私の知らないところでたくさん傷ついたようで、上手くなった結果を、他人に聴かせたいという願望がない。むしろ、聴かせたくないと思っている。

 

(分かっているのに、コンクールに出ようなんて、怒ると思っていたのに)

 

 実際、誘ってからの数日間は不機嫌そうだった。隠そうと笑っているけど、それなりの付き合いだから、取り繕っていると分かった。

「コンクールに出てもいいよ」と言った時のあの冷めた瞳や、この間の演奏前の異様な雰囲気は、普段の彼女なら決して見せないものだった。

 愛するピアノを捨て続けているような真由香といい、琴音といい、二人のトラウマは根が深い。

 もっと早く二人と出会えていたら、そのなにかを知り、助けてあげられたのだろうか。

 

(あっ、お礼。田中君にお礼をするんだった)


 私が長年求めていた、相澤琴音の魔法の音をくれて、さらには「無敵になった」と言えるくらい心の手当をしてくれたようだからお礼をしたい。

 スマホを取り出して、田中君に連絡を取ろうとして固まる。

 真由香が連絡したから、藤野君からLetl.がきている。通知②の内容を見る勇気が出ない。

 昨日の今日でどうしたらいいのと頭を抱える。

 なぜか分からないけど、彼は好きな人を諦めたようだ。

 そして、なぜか私を気にかけ始めている。

 あんなことを言って、「勘違いするな」「違う」とは言わないと思う。でも、違ったらと思うと踏み出せない。


(わっ、なに?)


 なぜか田中君から電話がきた。

 

「あの、もしもし? こんにちは」


「試験お疲れさま。明日のために英語を教えるから、少し付き合ってくれない? 橋本さんと高松さんに聞きたいことがあって」


「あっ、はい。私もちょうど田中君に話したいことがあります」


「俺に? そうなんだ。じゃあ、聖廉の校門前に行くから待ってて」

 

 藤野君と田中君は同じクラスだから、私と会うことを話しているだろう。

 そうなると今日の勉強会は無しだ。えいっと藤野君からのトークを確認したら、「一朗と橋本さんも来るって」という言葉と、彼がよく使うスタンプだった。


 美由が訪ねてきたので、二人で教室を出た。校門へ向かい、藤野君と田中君を見つけて、少し見惚れる。

 彼の背はすっかり高く、風がふわふわした癖っ毛で遊んでいて、穏やかで優しい笑顔を際立たせている。

 昔は私しか好きじゃなかったのに、下校する女子生徒の何人かが、チラチラと彼を見ている。

 

(格好良くなってモテるから選べるのに私……? 違う気がしてきた)


 友達と擬似初デートで失敗するようなら、本命とは絶対に失敗する。

 諦めないために、諦めない勇気を持つために、気合いを入れて修行する。

 あの台詞は、気になる私とのデートだから頑張るではなく、そういうことだろう。

 

(藤野君に自信をなくさせるなんて、無理な人だなんて誰なのかな。藤野君なら、普通は好きになってもらえるのに)


 可能性としては、琴音のように他の男子が好きな女子だろう。

 藤野君の想い人には、好きな人どころか彼氏がいるのかもしれない。それなら無理だと諦めてしまっても仕方がない。

 なぜ神様は徳を積み続ける彼の恋を応援しないのだろうか。

 四人で駅前のワクドへ行き、駅前のワクドで飲み物だけを買い、全員が席につくと、田中君は困り顔になった。


「この間の勉強会で、俺、琴音ちゃんになにかした? 俺の愚痴とか、怒りとか、何か聞いてる?」


「えっと、浮かれてサボりそうだから自粛してるって言っていましたけど、喧嘩したんですか?」


 私はあれから琴音と音楽関係の雑談しかしていないので、美由が口にしたことは知らない。


「浮かれて? 自粛?」


「なんで浮かれたのかは知らないですけど、なにとは言わないのに、きゃあきゃあしていました」


「……うわぁ。試験やコンクールに集中かもと思いつつ、素っ気ないのは俺のせいかもってビビってたのに、なにそれ、かわ……」


 田中君はテーブルに突っ伏した。ゴンっと、おでこがぶつかった音がしたので痛そう。「かわ……」は「可愛い」だろう。


「ありがとう、橋本さん。一朗はフラれるって怯えてて」


「良かったぁ!」


 田中君はすっかり元気になったようで、満面の笑顔でバンザイをした。そして、「じゃあ」とあっという間に帰った。

 藤野君が「ちょっ、二人にお礼」と言ったけど、聞こえなかったようだ。


「ごめん。悪いことがないって分かったら、お礼に英語を教えるって言っていたのに。一朗は忘れっぽいから、忘れたんだと思う」


「ホッとしたんでしょうね。でも不思議。琴音さんはあんなにデレデレしていたのに、フラれると誤解するなんて」


「琴音さんは教室で、デレデレしてるんですか?」


 私の問いかけに、美由は楽しそうに肩を揺らした。


「多分。ぼんやりしてニコニコしたり、赤くなったりしているので」


「そういう姿を見たら、一朗も不安になんてならなかったのに。じゃあ、俺たちは勉強しますか」


 美由が「私は帰ります」と微笑んだ。


「二年部長で大会組の小百合さんを、どうぞよろしくお願いします」


 美由は、私が「待ってください」と言っても笑顔で手を振るだけ。思いがけず、二人きりになってしまった。


「二人なら俺の家か高松の家にする? 机が広い方がいいし」


「……あっ、はい。それならまた家で。お母さんがまた、トマトを買ってくるから。他のものがいい?」


「貰ってばかりで困るけど、無しって言っても何か貰いそうだから……駅前のメロンパンって伝えてくれる?」


「分かりました」


 勉強を始めてしまえば、ごちゃごちゃ考えなくていいはず。

 違うと結論を出したのに、もしかしたら藤野君は私を気にかけ始めたという、都合のいい妄想が襲ってくる。

 家に着くと、私は「模擬試験」だと渡されたプリントを解き、藤野君はどこかの大学の赤本と睨めっこ。


(どこの大学を受けるんだろう……)


 プリントを解いて採点してもらっている間に、教わった方法で暗記を進める。

 休憩時間中に志望大学を聞いたら、さすが海鳴でもトップクラスというような高偏差値の大学で目眩がした。同じ大学なんて言えないレベルだ。

 あっという間に窓の向こうが夕焼けに染まった。藤野君のスマホがアラーム音を響かせる。


「じゃあ、そろそろ帰る。困ったらLetl.でも、電話でも質問して」


 昨日と異なりアラームをセットした理由は、私の家族と顔を合わせないためだろうか。


「えっ、あっ、うん。今日もありがとう。でもメロンパンは?」


「明日の朝、ちょうだい」


 微笑みかけられて戸惑っていたら、藤野君はテキパキ荷造りをして「お邪魔しました」と、玄関へ向かった。

 見送ろうとしたら、玄関で「ここまでていいよ」と笑いかけられた。

 藤野君の表情が急にかげり、笑みが消えていき、視線も落ちた。


「あのさ、高松」


 彼の空気が明らかに変わった。


「……なにかな」


 緊張で、掠れ声が出た。


「昨日のアレはさすがにひどいなと思って。あんな、察してみたいなのは格好悪いなと……」


 喉が乾燥で張りついて声が出ない。その「察して欲しかった気持ち」とはなんなのか、正解を言われるようだ。


「すでに格好悪いから、もういっそ突き抜けようかなと思って。きちんと言うとしたら、女子というか高松的にいつ、どこでが一番いい? 考えても分からなくて……」


「……きちんと言うって、あの、藤野君はもう好きだった人のことはいいの?」


 結論を出したけど、それは間違いな気がしてきた。 そんな都合のいい話はないとか、自惚れだという気持ちが萎んでいく。

 なぜか分からないけど、長年、ずっと私を認識すらしていなかった人が、今は私を意識しているようだ。


「……変わってない。あんな風に本人に言われて、その場で気持ちを伝えられる鋼メンタル人間がいると思う?」


 再会してまもない、あの日に既に? と驚いている間に藤野君が続けた。


「それでさ、いつ、どこでがいい?」


「それなら私こそ話したいことがあるから……いつ、どこでがいい?」


「早い者勝ちだから。高松が場所と時間を決めて、俺が言う」


「……えっと」


 今、ここでと言ったら藤野君は「高松が好き」と言うのだろうか。昨日と今日の会話としては、そういうことになる。

 

「……全国大会の日の夜。昔、遊んだそこの公園で会って欲しい……です。大切な大会だから、私はそれまで、良くも悪くも心を乱したくないです」


 その日は私から言う。ありったけの勇気を出そう。


「分かった。その日にきちんと告白するまで、それまでは今のまま、友達ってことで。登校日はここのマンション日に迎えに来る。帰りは剣箏部のみんなで。じゃあ、また明日」


 藤野君は私の顔を見ないまま、慌てた様子で家を出ていった。

 長年、こんな未来があると想像したことはなかったので、力が抜けてへなへなと座り込む。

 そのまま茫然としていたら兄が帰ってきて、「なにしてるんだ?」と突っ込まれた。

 

「……う、うえええええええ……」


 我に返ったら、嬉しさに強襲されて泣いてしまった。長年の片想いがついに実るかもしれない。そんなことが、私にあるなんて。

 

「ちょっ、なんでいきなり泣くんだ。どうした小百合」


「ひっく……。なんでもない……」


「真由香ちゃんと喧嘩したのか? 仕方ないなぁ。俺が謝ってやるから」


 勘違いした兄が真由香に電話をしようとしたので、腕を掴んで首を振る。


「ちが、違うから」


 ここへ母が帰ってきて、どうしたと尋ねた。兄が私のことを説明すると、母は私の目を真っ直ぐ見つめた。


「藤野君となにかあったの?」


 下手な回答をしたら藤野君は「信用していたのに娘になにかした」と母に誤解されそう。


「……今度、告白してくれるって」


 目を大きくした母は、小さく笑って「そうなの」と肩を揺らした。我慢したけどまた涙が出てきた。


「今度告白って、そんな宣言するやつもいるんだな。藤野君は親切って、下心じゃないか」


「……違っ! 違うもん。藤野君は昔からみんなに優しいからそれは親切心なの!」


「海鳴のあのイケメンが、このちんちくりんの小百合をねぇ。真由香ちゃんや琴ちゃんとも知り合いなんだろう?」


「ゔっ。そう言われたら違う気がしてきた。でも告白するって言われた……夢? 夢か。いつから寝てたのかな」


「現実だから早くお風呂に入りなさい。沸かしてあるわよね?」


 母に指摘されて、何もしていないと気づく。


「衝撃でぼーっとしてたから何もしてない……」


「ご飯も炊いてないってこと?」


「ごめんなさい……」


「じゃあ、今夜はお祝いでなにか食べに行きましょう。良かったわね小百合。ようやくバレンタインにチョコを渡せそうで」


 頭を撫でられて、とたんに恥ずかしくなる。


「ああ、そういえば昔はよく、好きな男の子にあげるって言って作って、渡せなくてメソメソ泣いてたな。あれも藤野君のことなのか。へぇ、長いな」


「バレンタインなんて先すぎて……その時に嫌われてたらどうしよう」


「すぐそうやって後ろ向きになるんだから、真由香ちゃんや琴音ちゃんを見習って頑張ったり、助けてもらいなさい」


 私たち家族は父の帰宅を待って外食へ出かけた。父には内緒のお祝い会だから、行ったのはたまに行く普通のお店。

 帰り道、私は空を見上げ、その星空の美しさに息を飲んだ。

 きらきら、きらりと世界は眩しくて、今ならなんでも出来そうな感覚がする。

 これがきっと、琴音がこの間口にした「無敵になった」ということかもしれない——


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