初めての田中家2
美味しいお洒落なサラダにエビグラタン、ジャガイモのスープをいただいてお腹いっぱい。
我が家の食事は主に祖母が作ってくれていて、和食ばかりだから新鮮。
そんな話をしたら、一朗君のお母さんは「今日は張り切っただけです」と快活な笑顔を浮かべた。
食事中、会話はほとんど私への質問だった。
最初は好きな食べ物は何かで、その流れで今日の料理や祖母の料理のこと。その次はなぜ琴の部活なのか。
一朗君は全然、私の話をしていないようで、「父が演奏家なので」と伝えたら、うんと驚かれた。
一朗君から共有されているだろうと思って、普通に話したけど、知られていなかった。
「あらあ、じゃあ、琴音ちゃんは音大志望なの?」
「私は音楽系の運営や支援に興味があるので、音大には進みません。演奏は趣味で続けます」
「そうらしい。あんなに上手なのに」
「あら一朗、あんたは琴音ちゃんの聴かせてもらったことがあるのね」
「去年、倫と行った文化祭で聴いた。三人で弾いてたからちょっと目立ってた」
連奏は他の部員もしたけど、私たちが目立ったという自覚はある。
私は真由香と小百合のためにそこそこの演奏をしたし、三人での合奏は少しのミスを除けば大成功だった。それに、真由香と小百合の二人は、海鳴生の多くがチラチラ見る美人だ。
そう思うと、二人と連奏して目立った結果、一朗君に見つけてもらったわけだから、二人にお礼をしないと。
「それなら琴音ちゃんは、今年も演奏をするの?」
一朗君の母はすっかりくだけた口調になっていて、親しくなれた気がして嬉しい。
「はい。定期演奏会もあるので、良かったら倫さんたちと来て下さい。ホールを借りるから、チケットが売れないと困るので、よろしくお願いします」
私のお小遣いでは全員分は払えないから、チケットを用意しておきますとは言わず。
「困るって、聖廉箏曲部の定期演奏会は他の部も参加する人気公演で、チケットはすぐ売り切れなんだろう? 我が家の分は確保しておいてくれるってこと?」
「田中君、うちの部の演奏会について調べたんですね」
「うん、まぁ。和哉とかが、東さんたちに聞いたらしい」
「そうなんですね。私は大会組だから演奏会では裏方中心ですけど、大人数の合奏などには出ます。来てくれるなら、部内販売の時に声を掛けます」
全員に楽しみだと言われて、元々楽しみだけど、さらに楽しみになる。
私たちの付き合いが未来まで続いていると前提の話なのがまた。
「大会組っていうのがあるの?」
一朗君の母の問いかけに、大きく頷く。
「ええ。聖廉の箏曲部の部員数は大会に出場するには大人数なので、二つに別れています。私の代は少なめだけど、毎年十数名くらい入部するんです」
「娘が興味を持った時に調べたけど、聖廉の琴部は毎年全国の強豪なのよね? そんな中で、大会組に選ばれるなんてすごいわねぇ」
「いえ。私は父の影響で生まれた時から箏に触れていて、人よりも練習時間も多いので、何も凄くないです。そもそも、親がプロですし」
照れなのか、わりと仏頂面で私をあまり見なかった一朗君が、不意に、私の顔をしっかり見た。予想外の反応にドキッと胸が跳ねる。
「俺は凄いよ。運動関係は同じ練習量でも人より出来る。負けず嫌いだから練習量が人より多い自覚もある。要領良く、効率良くとか工夫もするし、きちんとした指導者に相談も沢山してる」
真面目な目線でジッと見据えられて戸惑う。この発言はどういう意味なのだろう。
「なーに、いきなり自慢をしているのよ」
「共学だったら運動神経の良さを見てもらえたのにな」
彼は両親のからかい混じりの場の和ませを無視して、真剣な表情を崩さず、無言で私を見据えている。
「だから相澤さんも、自分の努力や才能を自慢してもいいと思う。そんな悲しそうな顔で、親の七光りみたいに言わない方がいいよ」
「……」
思いがけない台詞に喉が詰まり、鼻がツンっとした。私はさっき、悲しそうな顔をしたようだ。
「俺もまぁ、全国選手になったから、僻みとか心無い声とか少しは分かるけど、そのせいで自分を下げる発言をするのって虚しくない?」
「……田中君も僻まれたりするんだね」
「だから俺、変わらなかったどころか、食らいついてくる涼と一緒に団体戦に出て優勝したいし、今は颯たちともそんな」
なぜ彼は今、こういう話をしたんだろう。私が悲しそうな顔をしたからか。
自分は謙遜や愛想笑いは得意だというのは、勘違いのようだ。
「そうなんだ。私はね、真由ちゃんと小百ちゃんと約束をしているの。三人とも三年間ずっと大会メンバーで、連続で全国に行くし、全国で優勝もするんだ」
去年の予選結果で、今年の夏の全国大会出場はもう決まっている。
女王聖廉は、ここ数年、敗北女王とも呼ばれている。
地方大会では勝ち進むのに、全国での成績が芳しくないからだ。
高校一年の夏に行われた全国大会までは自分が2年、3年の時のメンバーの強化と思って裏方に周り、大会に出ないように調整した。
昨年の秋、予選からメンバー入りして、このままずっとメンバーで、今年の全国大会も来年の全国大会も優勝するつもり。そこまでは説明しなかった。
「そっか、俺も、俺たちも負けない」
歯を見せて爽やかに笑う一朗君はとても眩しい。
「あらあら。立派な彼女ちゃんに自分を大きく見せておこうだなんて。良かったわね、部活男ってフラれることはなさそうで」
「息子は自慢屋なんですよ。自己卑下よりはいいかなって。それで、琴音ちゃんのお父さんは何の楽器のプロなんだい?」
一朗君の父は、息子の背中を軽く叩きながら私に優しく微笑んだ。
「父も同じ箏です。作曲家もしています」
「教えてくれたから、調べてもいいのかな?」
「プロは認知されて売れてこそなのでぜひ。父には私の学費を払ってもらわないといけませんので、お願いします」
私も彼らの真似をして、少しふざけてみた。
父はおそらく稼いでいるけど、我が家の大黒柱はどちらかというと母だ。母は給与が安定しているサラリーマンなので。
「あはは。可愛い娘に尻を叩かれる父親は大変だ」
「親父、相澤さんのお父さんは恭二さん。テレビにも出てるって」
一朗君が、自分のスマホを父親に見せた。父のIn Telegramのアカウントを表示している。
「あれっ。相澤さんのお父さんって今度、朝ドラの曲を作るの?」
一朗君の父が目を見開く。
「はい。主題歌提供と作中曲みたいです」
「……わあっ! 琴音ちゃんのお父さんって凄いのねぇ」
「朝ドラ? そうなんだ」
彼は父のIn Telegramをあれ以来、見てないみたい。
「ここにも書いてあるじゃない」
「なんか恥ずかしくて全然見てない。相澤さん、もう食べ終わったし、この人たちはお喋りし続けるから、そろそろじいちゃんのところへ帰ろう」
試験勉強は大切だけど、楽しいのでまだ帰りたくないかも。
「残念ながら試験前だもんね。琴音ちゃん、また遊びに来てね」
「その前に、一朗の部屋を見ていくかい? 襲われないように、息子はここに居残りさせるから。好きに漁っていいぞ」
「それもそうね。汚い部屋を掃除するようになるわ。言っても汚いから天誅!」
「汚くないし、予定していないことはやめろ!」
「だから天誅! 備えあれば憂いなし! あはは」
自分はこの流れで自室を見られたら嫌だけど、ご両親においでおいでと言われて断れず。一朗君の部屋も見てみたいし。
両親に連れられて、二階へ上がり、一番奥の部屋へ案内された。一朗君は渋々、嫌々許可して後ろについてきている。
「ここが一朗の部屋でーす」
とても殺風景な部屋だ。シンプルな学習机と椅子に、扉付きの本棚、それからベッド。
フローリングの上にタオルが放り投げたように置いてあり、脱いだ靴下がカタツムリみたいになっていて、ベッドの上には脱ぎっぱなしのスウェットらしき黒い服。布団はべろーんとめくれたまま。
クローゼットの扉も開いていて、暗いからよく見えないけど、ハンガーからいくつか服が落ちているし、ごちゃごちゃしている。
「ほらあれ、脱ぎっぱなしなのよ。うちは洗濯カゴに入れない限り洗濯しないから、あれは臭いいままカビ靴下になるわ」
「その日のうちに、ちゃんと片付けてるから!」
後ろから一朗君が現れて、クローゼットを閉めて、靴下と服を回収して部屋から出ていった。
「5分くらいしたら来るから、ジロジロ観察していいわよ」
「そのままだった、小さい時からあるぬいぐるみやフィギュアが最近無くなって綺麗になったから、多分、いつか彼女が来るぞって片付けたんだと思う」
「成果を見てあげて」
部屋主は戻ってきていないのに、一人にされてしまった。
勝手に見るのは気が引けるので、彼が戻ってくるまて、出入り口から観察するだけにしておこう。
部屋の角にある竹籠に何本か竹刀とは違う棒が刺さっていて、その近くには青くて四角いマットが置いてある。
筋トレに使いそうなものも箱の中から飛び出しているので、あそこはきっと、一朗君のトレーニングスペース。
(あっ、壁に私があげたタオルが飾ってある)
使わないで壁に飾られるとは予想外の使用方法だ。
カバン掛けに、前にデートで見たものが下がっている。似たカバンは他にもう一つあり、黒いリュックも一つ。
机の上にある、写真立てが気になって、一朗君を待たずに侵入してしまった。
(……いいなぁ)
剣道部の同期5人で都内の遊園地に行ったことがあるみたい。皆ニコニコしていてとても楽しそう。
四角い、横から写真を入れるような写真立てから、後ろにある写真の端が複数出ていて、好奇心に負けて引き出してしまった。
小学生くらいの一朗君と浴衣姿の女子の写真だ。場所は見覚えのある室内。
私は家族に連れられてあちこちの劇場やホールへ行っているので、既視感があるのだろう。おそらく、この写真の場所はそういう場所の一つ。
特別なところへ一緒にお出掛けして、二人で並んで記念写真……。
しかも女の子は可愛らしい浴衣姿だ。
ピンボケしているし、光の具合で二人の顔はそこまで見えない。ここにあるのだから、半袖長ズボンの男の子は一朗君に違いない。
(……誰⁈)
つい、裏も見てしまったら、裏に子供らしい、あまり上手くない字で「朝日ちゃんとまた会えますように」と書いてあった。
途端に胸の奥から嫌な音が鳴りはじめて、とても嫌な気分。




