危険な勉強会3
「あっ、あのっ、ごめん! ごめん美由ちゃん! 俺、分かってなくて!」
ようやく追いかけてきた威生とも目が合った。
で、彼の大声に気づいたようで、俺の背後から高松さんの低い声がした。
「日野原君は、美由ちゃんに何をしたんですか! 美由ちゃん、大丈夫?」
高松さんは俺を押し退けて橋本さんのそばに駆け寄り、彼女の両腕に手を添えて軽くさすった。
「あっ、違くて」
「震えて泣いてて、違うって違くないよ。何をされたの?」
「フラれただけで、日野原君は悪くないよ」
「えっ?」
女子の脳みそが分からない。いや、橋本さんの脳か。
威生は一生懸命、君が好きだと伝えて、だから君の恋を応援したいと、おそらく、胸が痛くなる気持ちを堪えて言ったのに「フラれた」って……。
「ちょっ、待っ、なんであれがフッたになるの⁈」
「なぜって、他の人と付き合うといいなんて、そんなこと普通、彼女に言いませんよ」
「普通、言うよ。俺だって言っただろう」
この会話だけ切り取るとおかしいので、高松さんの頬がひきつって、ますます険しい表情になった。
「言いませんよ、普通、そんなこと!」
「美由ちゃんの友達でも、部外者は黙ってろ。ますますこじれるから、俺たちの会話に入ってくるな」
迫力のある威生の睨みに、高松さんが怯えたようにたじろぐ。こうなると……。
「友人は部外者じゃないだろう。日野原君、言い方を考えろ」
分かりやすいマン——颯が高松さんのために出張ってきた。
で、こちらも分かりやすいマン——威生が颯の何かに怒って彼を睨みつけた。
「もっと部外者だから、颯こそ黙ってろ」
低い威生の声が響く。こうなると仲裁に入るしかない。というより、遅れてごめん。動こうとしたら、橋本さんが声を出した。
「そうだけど、親切な小百ちゃんを怒鳴らないで」
「あっ、うん、怒鳴ってないけど、そう聞こえたならごめん」
威生が借りてきた猫みたいだ。
「藤野君はもっと関係ないし、こうやって話題がそれたから、藤野君こそ話に入ってこないで」
「……」
橋本さんが、威生と颯を順番にキッと睨みつけた。ほんわか女子の怒り顔だから、落差で怖い。
威生は謝ったけど、颯は何か言いたげだ。不機嫌そうな、納得のいってない表情に、この状況の根本の原因はお前だと教えたくなる。
何も悪くない彼に教えることは八つ当たりだから、そんなことはしないけど。
「小百合、俺、怒鳴ったつもりはなくて。怖かったなら謝る」
「いえあの、私こそすみません。二人の話を遮って」
「遮ったんじゃなくて、友達を慮っただけだろう。あんなに大きな声を出して、そんなつもりはなかったとか、怖くなかったら謝らないとか、どうかと思う」
颯、喧嘩を売るな!
威生の長所にして短所、すぐに名前呼びをするところが、颯の神経を逆撫でしたようだ。颯の顔が怖ぇ。
あいつならきっと、勉強会開始早々に「小百ちゃん……より小百合って感じ」と言い、颯をイライラさせてそう。
それにこの件だから、颯はまるで飼い主の敵を威嚇する犬みたい。
売り言葉に買い言葉、口喧嘩をよくする威生が珍しく我慢している。二人が口論を開始したら、即止めよう。
「行こう、高松。二人で話したいみたいだから。二人とも、俺もすみませんでした。会話の邪魔をして」
颯は謝ったけど、あまり反省してなさそうな不機嫌さ。君はもう少し、世界の中心を高松さんからズラした方が良いけど、この場でそれを言えるはずもなく。
「……うん、でも」
「ごめん、小百ちゃん。いくじなしだから、ここにいて欲しい」
余裕のなさそうな橋本さんが、颯と威生の雰囲気の悪さに気づかず、高松さんの手を取った。
「短い期間で気が合わなかったなら、そう言ってくれればいいのに。正直な人だと思っていたけど、遠回しの時もあるんですね」
橋本さんは冷めた、それでいて怒りに満ちた目で威生を睨んだ。
「ここにいる理由がなくなったので、私は帰ります」
氷のような冷たい声に俺の肝もギュッとなる。大人しいようで気が強いという印象が、ますます強まった。
「美由ちゃん、それなら私も一緒に帰る」
「その前に、ひ……「ちょっ、待って。ますます好きだから。誤解だから待って! いや、ここだとあれだから二人で出よう?」
「近寄らないで! ヘラヘラ笑って美由ちゃんを泣かして許さない!」
話の全容も、威生の性格もろくに知らないのに。短気めの俺は、高松さんの台詞にカチンときた。
幼馴染相手なら、男女関係なく口を挟むけど、今の高松さんの状況だとこうなるのも分かるから我慢。
威生は、今度は「黙ってろ」とか「口を挟むな」とは言わなかった。
高松さんが橋本さんを庇うように動いたので、こうなると颯も出てくる。
収集がつかなくなると困るので、颯の腕を掴んだら、恐ろしい睨みを向けられた。
「何?」
「……話し合いの途中だから黙って聞いてようぜ」
俺の手は、ブンッと振り払われた。それを橋本さんが見て、ますます眉尻を下げた。
「楽しい勉強会に来たはずなのに、ごめんね、さゆちゃん……。皆さん、すみません……」
橋本さんは泣き出してしまった。
「誤解ならバツが悪くて、空気を悪くして日野原君にも皆にも悪いから、帰りたいです」
とても、とても小さい声だ。
「誤解なの? えっと……あの、なにがどう誤解? フラれたのが誤解か。あの、それならごめんなさい……。大切な話を遮って……」
高松さんは何かを察して、自分の言葉は的外れだったと感じだようで、威生に謝ってくれた。口を挟まなくて良かった。
「俺こそ、誤解を解きたいから信じて黙ってて欲しいって言わずに八つ当たりしてごめん」
威生がこうだと……。
「俺もつい、怒ってすみませんでした」
颯も謝ってくれた。気遣い屋集団が、
それぞれ自分のことではなく、他人のことを考え始めた結果、場の空気が違った意味で重たくなった。
「かえ、帰ろう! 俺の家! 姉貴とかが質問しまくるから気が紛れる! 甥っ子もいるし、勉強はできなくなりそうだけど、楽しくはなれると思う」
「……私、こんなに面倒なのにいいの?」
「何も面倒じゃない。自信がなくて一歩引いたせいだから俺のせい。本当は俺が幸せにしたい。俺にしておきなよ」
「バカより自分って言っていましたよね? 私も最近、そう思いま……きゃあああ! 人前ですみません!」
赤くなって笑って、周りの目に気づいて脱兎の如く家の外に逃亡って……あれは、俺から見ても可愛い。
面倒は面倒だったけど、誤解の原因を作ったのは威生だし、二人で話し合ってあっという間に解決した。
「近くで止まって待ってて! 俺らの荷物を持っていくから!」
こうして、威生は嵐のように去った。正確には、荷物を持って橋本さんを追いかけ、少しして戻ってきて、二人で「お邪魔しました」と謝ってからいなくなった。
橋本さんは、高松さんに「あとで連絡します」と言い残して。
「私、事情が分からないのに首を突っ込んだから、二人の仲直りを遅くしちゃった。気をつけないと」
「俺も気をつけないと。それにしても、橋本さんってあんなに色々はっきり言える子なんだな」
そういうところを、颯は俺と一緒にいる時にちょこちょこ見ているはずなのに、今さら認識するとは。
颯にはこういう、興味の無いことには鈍感気味みたいなところがある。
「そうなんだよね。だからもう少し見守れば良かった。美由ちゃんってなんかつい、守ってあげたくなる雰囲気でしょう?」
「あー、そういえば、ふわふわってしているよな」
「そういえば?」
「うん。女子中の女子って感じ。あんな感じで可愛い女子はそりゃあ突然告白もされるけど、あの彼氏で大丈夫なのか?」
高松さんの表情が陰るのを、俺は見逃さなかった。颯君、君はその「可愛い」という台詞を隣にいる大好きな女の子に言うべきだと、心の中でため息を吐く。
「なあ、一朗。悪い人ではなさそうだけど、なんか色々、軽くないか?」
「そう。悪いやつじゃないけど軽いし思考が独特。橋本さんはあれだけ喋れるから大丈夫そう。嫌なことも嫌ってきちんと言えるみたいだし」
「一朗の友達だし、橋本さんがいいならいいけど」
高松さんがハッとした顔をした。高松さん、君はその鈍さをどうにかできないですか?
藤野君は美由ちゃんが気になるのに失恋みたいな表情を浮かべたけど、真逆で今の痴話喧嘩に繋がったんですよ。
橋本さんはおそらく颯が好き。いや、好きだった。 それは言えないので、颯と高松さんに、少しの嘘を混ぜた痴話喧嘩の流れを教えた。
二人に状況を説明していて再認識したけど、橋本さんは威生に傾き始めているのか。
威生という危険人物の弱点になってくれたし、この勉強会から早々に連れ出してくれて感謝。
他人を振り回してばかりの男を振り回すとは、魔性の女子だな。
『美由ちゃんは魔女っ子だね』
あの台詞が蘇る。親しくなったら橋本さんを『魔女子さん』と呼ぼう。
「話すって大切だな。じゃあ、俺、琴音ちゃんからするとサボってるみたいになっているから戻るわ」
ここでようやく、涼や倫たちも目撃していたことに気づいた。
「なんの揉め事? ここからだとほとんど聞こえなかった」
涼の問いかけに、俺は言葉を探した。
「んー。威生が自信のなさで変な提案をしたから、橋本さんが破局って誤解して、すれ違いって気づいて、二人で喋ることになった」
「ふーん。よく分からん」
「俺もよく分からない」
「お兄ちゃん、いっ君はまた彼女と別れるの?」
倫は蘭と違って、威生を毎回本気で心配しているので、とても心配そうな表情を浮かべている。
「いや、あれは別れない。好きだから喧嘩するってこともあるんだよ」
「へぇ。お兄ちゃんと琴音先輩も喧嘩する?」
倫の顔が興味に変化して、目がキラッと光った。
「俺は妹に彼女話はしない」
「えー、聞きたい」
「うるさい。勉強しないなら追い出すぞ」
「勉強してるもん。だから追い出されませーん」
蘭と違って大人しく勉強に戻ってくれた。
疲れた……と二階に戻ったら、衝撃なことに琴音ちゃんは寝ていた。
「むにゃむにゃ、ふふっ……」
なんの夢を見ているのか微笑んでいて可愛い。
彼女の寝顔を盗撮するのは合法なのか、違法なのか、誰か教えて欲しい。
……。
どう考えても違法だろう!
ほっぺたを触るのはアウトな気がする。
俺の数学のノートの端に、「好きです」と落書きしてあって頭を抱えた。俺の理性、もたないかも。




