危険な勉強会2
好きな女の子と2人きりという状況で、男子——というか俺がしたいことは色々あるけど、机に向かい合って座って、可愛い笑顔で「スケジュール表を作ってきたんだ」と言われたら、邪な気持ちはしぼんだ。
俺たちの勉強は、彼女の用意してくれたスケジュールをこなすことに。
琴音ちゃんの表情にはかげりがあり、どことなく不機嫌そうに見える。
「あのさ、その……さっきの『めぐ』のことなんだけど」
何もない幼馴染のことで誤解をされたくないので話をしようとしたら、琴音ちゃんはますます機嫌を悪くしたようで、軽く睨まれた。
「彼女たちとカラオケに行きたいの?」
「いや、勉強したいデス」
キッと睨まれたので、変な汗が出て声も裏返りそうになった。
「それなら勉強をしようよ」
「……はい」
やきもちは可愛いけど、睨まれるのは怖い。
「いや、あのさ。『めぐ』とは何もないから怒らないで欲しいんだけど」
機嫌の悪そうな上目遣いでまた睨まれたのでつい、髪をかく。
「……ごめん。一朗君を呼び捨てにしていたし、ご近所さんでカラオケに行く仲みたいだから……」
琴音ちゃんは「いいなと思って」と小さな声を出しながら唇を尖らせてうつむいた。
ノートに小テストの答えを書いていたのに、今はノートの端に耳のついた何かを描いている。
相変わらず絵が下手で何を描いているのか分からないけど面白い。
「俺に怒ってるんじゃないならいいんだ。本当、何もないから。蘭と仲がいいから、妹みたいなやつで」
「ふーん……」
彼女が怒り顔から悲しそうな表情になったので、「こういう時はどうするんだ⁈」と頭を抱えた。
琴音ちゃんが何も言わなくなったので、俺も何も言えず、黙々と問題を解いていく。
やきもちは可愛いけど、この空気もあの表情も長くなるのは嫌だ。楽しく勉強するはずだったのに、なぜこんなことに。
2人きりになれたから手を繋ぐ以上のこと——髪に触れてみるとか、ほっぺたをつついてみるとか、そういうことは解散まで無理な気配がする。
それに、一階のメンバーは大丈夫なのだろうか。
☆ ★
黙々と勉強をして、一回目の休憩になると、琴音ちゃんが「ごめんね」と小さな声を出した。
「何が? 急にどうしたの?」
「……何もないのに、やきもちを妬いて空気を悪くしているから」
嫉妬してくれたようだとか、可愛いという感想を抱いたけど、本人の口から「妬いた」と言われて事実だと分かり、余計に嬉しい。
自然と口元が緩むので、照れ隠しで片手で軽く口を隠した。
「俺は別に空気が悪いと思っていなかったけど……嫌な感じだった? それならごめん」
この空気は嫌だと思っていたけど、嘘をつく。
「……怒っているように見えたけど違ったんだね」
彼女は悲しそうな顔なので、怒ってなんていないと伝わって欲しくて、大きく首を縦に揺らした。
「うん、怒ってない」
「そっか」
琴音ちゃんはうつむいてノートにまた変な絵を描き始めた。
こういう時は……どうするものなのだろう。やはり何も思いつかなくて、ため息が出そうになる。
「……もう一回、水族館へ行く日にカラオケも行かない? 私も一朗君の歌を聴いてみたいな」
琴音ちゃんはまたしても小さな声を出した。様子をうかがうというように、チラッと俺をみて、すぐにうつむいた。
「……行きたい。行こう!」
嬉しい提案をされたので、つい声が大きくなる。
すると、琴音ちゃんは困り笑いで俺を見上げて、その後に嬉しそうに笑ってくれた。
「やきもちでツンツンしないで、最初からそう言えば良かった。私も一緒にカラオケへ行きたいですって」
照れくさそうな笑顔につい見惚れる。
不安にさせてしまってフラれるなんてことは避けたいので、「君だけだ」と言うべきなんだろうけど、緊張と恥ずかしさで言葉が出てこない。
「……うん。あのさ、俺、琴音ちゃんのお願いは断りたくないと思ってるから。うん。迷惑とか、別にないからなんでも言って」
ビシッと言えず、どもった感じになったのは格好悪い気がするけど、これでもうんと頑張った。
「私も。あっ、休憩開始だ。少し早く喋り始めちゃったから、これを休憩終了の合図ってことにしよう」
琴音ちゃんのスマホからピピピピピとタイマーの終了音が鳴り、次の教科に移ることに。
勉強をしながら、時々、意識が彼女のことに逸れる。
嫉妬するくらい俺のことを好きなら、次に進んでもいいだろうか、挑戦したいという気持ちが抑えられない。次の休憩になったら、勇気を出して——
「違うよ、一朗君。ここは……対面って教えづらいよね」
突然、彼女が隣に移動してきた。ふわっと良い香りがして、ドキリと心臓が跳ねる。
「ここは、こういう式になるよ」
「アリガドウゴザイマス」
俺の声は、今、普通に出ただろうか。制服よりも今の私服の生地が薄いからか、彼女の体温を感じる気がする。
数式ではなく、シャーペンを待つ細くて白い指を眺めて、あの手に触れたんだよなと思い出す。
触っても許されて、それどころか、嬉しいというように手を握り返してくれた。
真面目に勉強と何度も心の中で繰り返して、煩悩を振り払おうとしたけど、難しい。
「……あのさ」
「どこが分からなかった?」
「いやあの、そうじゃなくて、相澤家では集中できたんだけど……。今日はあんまり」
「昨日、疲れたよね。予定よりうんと進んだから、少しはサボれるけど、ここで頑張ったら貯金がもっと増えるよ。一緒に頑張ろう」
俺の理性を焼き尽くすような、可憐な笑顔が飛んできて瀕死になった。
琴音ちゃんが顔をこわばらせて、眉尻を下げて「ごめん」と呟く。
「そこまで疲れたんだ。もう頑張れない人に頑張れは酷かったね。ごめん」
「……そうじゃなくて、あの。……わいいから、その髪型を変えたりできる? やたら可愛いから、つい見ちゃって」
彼女ができて改めて軽く盗み読んだ妹たちが持つ少女漫画で、多分、言葉にして褒めることは大切だと思ったので、照れや恥ずかしさを踏み潰す。口の中が一気に乾燥した気がした。
彼女は何度か瞬きをした後に、赤くなった。
「似合っているなら変えない……」
「……でも、集中力が続かなくて」
許される気がして、したくてたまらなくて、髪の毛を少しつまんで引っ張ってみた。
見た目通り、少しくるくるしていて、細くてサラサラしている。
目が合ったのでチャンス?
しかし、彼女は茹でタコみたいに真っ赤になり、瞬き1つしないで固まっている。これは無理だ。
「お茶! 持ってくるの忘れててごめん。持ってくる」
「えっ? あっ、私。家から水筒を持ってきてるの。だから大丈夫だよ」
俺が立つと、シャツの裾を掴まれて引っ張られた。上目遣いつきだから、胸がびっくりするくらいギャンってした。
「あっ、しわになるね。一朗君の飲み物はないか。それは取りに行くよね」
「……いや、単に頭を冷やしてくる。……緊張してて」
ついでにお手洗いと飲み物。そう言って足早に一階に降りて、一応、居間の様子を確認したら、全員、黙々と勉強していた。
(あれを見本に俺も勉強。去れ、煩悩。というかこっちに混ざりたい)
しばらく盗み見して、涼は倫たち他校の後輩、颯は高松さんと橋本さんと威生を教えている。
ピピピピピとアラームが鳴ったので、あれはおそらく休憩を知らせる音。
自分たちもこっちにと言いたいけど、威生の存在が邪魔だ。あいつがいると俺は危険な目に合う。
「まるで学校だ! 美由ちゃんが同じクラスなら毎日寝ないのに」
「授業中に寝ているということですか?」
「うん。一日二回くらい寝てる気がする」
「不真面目ですね。部活が大変なんですか?」
橋本さんは「不真面目ですね」なんて、面と向かって言う子なんだ。
笑いながらでふざけた感じだし、その後の部活が大変なんだねという台詞に温かみがある。仕草も笑い方もふわふわしているから柔らかい。
あの感じは俺らの周りにはいなかったタイプなので、威生が夢中なのもなんか分かるかも。
「そう。興味が無いことにはわりと不真面目だし、部活がわりと大変。毎日、隣の席ならいいのに」
歯が浮くような台詞をよくもまぁ、ぽんぽんと。
「毎日隣は、楽しそうですね」
「……」
あっ、ある意味難攻不落の威生が照れた。橋本さん、すげぇ。
「座ってばっかりで疲れたから、散歩しようよ散歩。散歩っていうか封魔チェック。まだ見てないものもあるかもよ?」
「いいですよ」
橋本さんは、ヤケクソみたいに威生の意味不明な突然告白を受け入れたから心配していたけど、楽しそうに見えてホッとした。
琴音ちゃんからも、「美由ちゃんは、日野原君はびっかり箱で楽しいって言ってるよ」と聞いている。
でも、なんとなく心配で、つい家を出る二人の後をつけた。
威生は封魔グッズがあるところには行かず、玄関前にある、鉢植え置きの前でしゃがんだ。
「これさ、一朗のばあちゃんが大切にしていたんだ。じいちゃんは植物なんて育てないからこんな。思い出の品だから、誰も捨てられず」
「そうなんですか」
橋本さんは、俺らがついつい、野良猫が倒したりしてもそのままにしてしまう鉢植えを、鉢植え置きに置いたり、向きを綺麗に並べてくれた。
片付けたらばあちゃんがますます居なくなる気がしてそのままなのに、代わりに手入れをすることもない。
俺は、もう帰ってこないばあちゃんに、帰ってこないからこんなだよという叫びと共にそのままにしているから、多分、他の家族も似たり寄ったりだと思っている。
「ものって、大切に育てないと枯れるんだ」
「そうですね」
「だから美由ちゃんも、君の心をきちんと育てた方がいいよ。なんで好きな人と話せる距離感なのに、俺と付き合うなんて言ったの?」
……。
俺が息を止めたのと、橋本さんがそうしたのは、ほぼ同時だった。
「どういう意味ですか?」
「俺、好きじゃない子の視線もわりと分かるから、好きな子の目ならもっと分かる。さわやか君とは恥ずかしくて話せない? 俺がアシストするから、頑張ってみなよ」
「……なんでそんな事を言うんですか?」
突然告白するし、今度も急にぶっこみやがった。心配して盗み見、盗み聞きして良かったかも。
出ようか出ないか迷っていたら、橋本さんは勢い良く立ち上がった。
「なんでって、好きな子の不幸は嫌だから。当たり前だろう?」
「不幸なんかじゃないです。その件は、私は絶対、頑張りません。察しが良いのは凄いけど、気遣い方がおかしいです」
「絶対? なんで?」
「先着順だし、友達の好きな人には頑張りたくないからです。そういう言い訳をして、いいやって諦めたくらい小さな気持ちだったからです」
そうなんだ。俺の勘、橋本さんは颯が気になっていて、モヤモヤしてそうという考えは正解だったようだ。
破天荒な威生の告白を受け入れた理由も、諦めたいからだと考えたけど、やはりその通りみたいだ。
「二人なら頑張れると思うからどう?」
橋本さんはわなわな震えて顔を少し赤くして、目を潤ませた。出ていくタイミングを完全に失って途方に暮れる。
「……ったのに。威生君が私と他の人をくっつけたいなら、仮交際は終わりですね。普通の交際に昇格はなし。それなら私はもう用事はないから帰ります」
「……えっ?」
傍観していたら破局した!
というか、今の発言って、「私はあなたが好きなのに」という意味ではないだろうか。
何を考えているか分からない威生は、驚き顔で固まって橋本さんを見上げている。
彼女が背を向けて、玄関へ向かっても動かないし何も言わない。
慌てて隠れようとしたけど、玄関に隠れるところなんてなくて、玄関扉を開いた橋本さんとばったり遭遇した。
指で目元の涙を拭った彼女は、困ったような顔で俺を見つめた。




