枝話「藤野颯と匂わせ」
フクがいるということは……と周りを見渡す前に、「おい、フク。落ち着け」という拓馬の声がした。
散歩が大好きなのに太っているフクが、拓馬の両腕によって俺から引き離される。
「いきなり走り出したと思ったら颯がいたからだったのか。あはは。颯、大丈夫か?」
拓馬はにこやかに笑った。お互い部活で忙しくて、彼と会うのは春休み以来だ。
「突然何かと思った」
俺はゆっくりと体を起こして、フクのよだれまみれの顔を拭くティッシュをカバンから出そうとした。
「藤野君、これ、良かったら」
愉快そうな表情の高松が差し出してくれたのはウェットティッシュだった。
「ありがとう」
高松からウェットティッシュを受け取る。
彼女は拓馬のことをジッと見つめてから、「もしかして」と猫目を大きく見開き、可愛らしく笑った。
瞬間、拓馬は明らかに照れたし、おまけにじわじわと耳が赤くなっていった。
「花山君? そうだよね? そのまま大きくなった感じだもの」
拓馬は照れと驚きで固まっているのに、高松はそれに気がつかないで無邪気に笑っている。
さらに、「藤野君みたいに背が高くなってる」と片手を空に向かって伸ばして、拓馬の頭を撫でそうな勢いで軽い背伸び。
高松小百合という女子は拒絶に近い遠慮をするのに、急に気さくになるから心臓に悪い。
それは俺に対してだけではなくて、他の男子に対しても同じようだ。
「えっと……」と拓馬が狼狽したので、俺は「拓馬、高松委員長」と教えた。
「……言われてみれば」
拓馬は何か言いたげな眼差しで俺を見つめた。
「その、お互いの友人が付き合うことになって、今日はみんなで勉強会なんだ」
俺は拓馬に高松と再会したこと、謝れたこと、清田が高松を怖がらせたことなどはLetlで話してある。
ただ、その話題はサラッとで、自分は彼女を前から好きだったようだとか、今日の勉強会のことなど、語っていないこともある。だからつい、拓馬から目を逸らした。
「そうなの。花山君は今、どこの高校に通ってるの? 私はね、藤野君の隣にある女子校なんだ。明後日から中間テストなの」
高松は拓馬に対して、『ずっとクラスメートだったよね』というような気さくな態度だ。
俺と再会した後もすぐこんな感じだった。
「えっと、あの、俺は青陵高校。海鳴の隣って聖廉……ですよね?」
「……あっ、馴れ馴れしくてごめんなさい。また会えて嬉しくてつい」
高松は俺にもこんな感じで接して、「もしかして」と勘違いさせかけた。
今、拓馬もかどわかされた気がしたので、心の中で高松に「男心を惑わす天然はやめてくれ……」と突っ込む。
「いや、あの、緊張で。馴れ馴れしくていいです……」
「そう? それなら良かった。花山君は犬を飼ってるんだね。可愛い。撫でてもいいかな?」
拓馬が挙動不審になったので、「その殺人級の満面の笑みもやめてくれ」と心の中で呟く。
「颯、ちょっと」
拓馬がフクを地面に降ろして、「このお姉さんと遊んでもらえ」と頭を軽く撫でた。
彼が俺を手招きして高松とフクから遠ざかる。
「おい、颯。委員長がめちゃくちゃ美人になってる。もっとこう、男っぽかったよな?」
「顔は同じだから美人になったじゃなくて、お嬢様校の生徒らしくなっただと思うけど」
「颯が美人の彼女を連れてるって思ってフクをけしかけたんだ。まさか委員長だったなんて」
「彼女ができたら浮かれて報告する。俺は高松と付き合えてない」
肘で横腹をグリグリ押されて、「付き合えてないってことは、付き合いたいんだな」とニヤニヤ笑われた。
「……だったらなんだ」
「そんな話、聞いてない。まあ、あれと再会したら彼女になって下さいってなるな」
拓馬はフクと遊ぶ高松を盗み見して、照れ笑いを浮かべた。
「なにあれ、可愛い。昔の委員長と仕草が違う。さすがあの聖廉生」
確かに、高松委員長と今の高松は動きがわりと違う。今の高松は品良くしゃがんで可憐にフクを撫でている。
それならの家のお嬢様だと感じる相澤さんや橋本さんが身近にいるから気がつかなかったけど、確かに「高松委員長」とは違う。
「なんでみんなで勉強会なんだ。2人でって言えよ。頑張りやがれ、このやろう」
「ん、まぁ。頑張る」
拓馬は俺を連れて高松とフクのところへ戻り、「春休み以来だからつい」と言い、俺を返すと笑った。
「あはは、藤野君は私のものじゃないよ」
「委員長のものになるって言ったらどうする?」
悪ふざけを言うな! と拓馬を睨みつけたけど、彼は涼しい顔をしている。メガネを奪って放り投げたい。
小学校の時は内弁慶だったけど、気がついたら内と外の言動が同じになってこんな感じ。
「そんなことあるわけ……」
俺を見た高松は、目が合った瞬間にバッとうつむいて、拓馬に向かって手を振った。
「ない、ないから。そういう悪ふざけは良くないというか、藤野君に失礼だよ」
高松は焦りながら、拓馬に「人をからかうようになったんだね」と言い、「友達と約束があるからまたね。今度、ご飯とか行こう」と話題の終了と別れを切り出した。
今の彼女の台詞に俺は頭を殴られたような衝撃を受けた。
俺は高松に「ご飯へ行こう」と誘われたことなんてないのに……ラーメンは誘われて行ったな。
あれは行事と相談ついでだったけど、あるにはあった。
「あー、行きたいかも。うん、委員長が良ければ」
「紗南ちゃんにも聞いてみるね。蜂チームで集合〜。きっと楽しいよ」
蜂チームとは、小3の時の遠足のグループの名前なのだが、なんで「蜂」という名称だったかは思い出せない。
今の高松の発言は「4人で集まろう」という意味なので、俺も誘われたということになる。
「ああ、懐かしい。あの遠足は楽しかった」
「私も。紗南ちゃんとたまに話すんだよ。それだけ楽しかったから」
「じゃあ、颯が幹事でよろしく。颯もそうだけど、俺も部活で忙しいから日程が合うかな。頑張って年内には集まろう」
拓馬は俺の肩を叩きながら、「お前が頑張れ」と言って、まだここにいたいというように嫌がるフクを引きずるようにして去っていった。
高松が俺の隣で品良く、可愛らしく手を振っている。
「花山君、部活で忙しいんだね。何部なの?」
「相撲部」
「えっ⁈ そうなの⁈ 相撲⁈」
拓馬はいかにも文化系なので、高松が驚くのは当然だ。
「漫画で興味を持って、青陵に相撲部があったから見学に行って、マネージャーが足りないって熱烈な勧誘をされたって」
「びっくりした。マネージャーか。参謀感があるから似合うね」
それは小学校、しかも3年生までの印象だろうと言いたくなったけど、拓馬はあれからそんなに変化していないと思うので突っ込むのはやめた。
「じゃあ、行こうか」
「そうだね」
拓馬とフクのおかげで話題も空気も変化。
電車に乗って船川駅まで行き、一朗の祖父が営む和菓子屋へ向かっている間、俺たちはほとんどの時間を拓馬とフクの話をして過ごした。
「あっ、花山君は『サイレント』に興味あるかな。佐藤君はね、結局予定が合わないって」
「そうなんだ」
俺は政に高松が好きだと言っていないし、彼は和哉と違って勘づいてなさそう。
「一緒に映画に行くメンバー募集って聞いた、楽しみだ」と彼に言われたけど、都合が悪くなるとは。
政は俺の恋心に気がつき、気を遣ってくれたのだろうか。
「佐藤君はね、麗華ちゃんたちの勉強会グループとおでかけなんだって。気になる子もくるみたい」
「そっちを優先したってことか。それは行ってこいってやつだ」
「うんうん、行った方がいいよね。これで全滅だよ」
「何が全滅なんだ?」と聞こうとしたけど、高松は喋り続けた。
「藤野君がみんなを誘う元気がないって言っていたから代わりに頑張ったんだけど、みんな忙しいね」
俺は「そんなこと言ったか?」と驚き、過去を振り返り、「人数が増えると誘うとか予定を合わせるのが面倒だから、サクッと2人でどう?」と彼女に伝えたことを思い出した。
高松は「分かった」と言ったのに人を増やしたので、2人は嫌だと牽制されたと落ち込んでいたけど、この様子だとそれは誤解かもしれない。
「代わりにありがとう。みんな忙しいなら結局2人だな」
「うん。あの、いいの?」
それは「私と2人でいいの?」という意味だろうか。彼女は不安そうな表情でうつむいている。
「いいのって何が?」
「……デートって誤解されるかもしれないよ? 無理でも……諦められないんでしょう?」
今の言葉は「俺には好きな人がいる」という話にかかっているだろう。
「何も問題ないけど」
好きな人はいませんとは言いたくないし、脈無しなのに「好きな人は高松」とも言えないから言葉選びが難しい。
「わた、私は男の子と2人ってその、そんなことは初めてだから、友達の藤野君とでも緊張して変になるかも。変だろうから、変だって笑ってね」
彼女は困り笑いを浮かべながらうつむき続けている。
「合同遠足の時も2人だったけど、普通にしてたよな?」
「あの時も変だったよ」
怒っているような、すねているような表情だけど話の流れだと高松の心境はそれではないはず。
では、この表情の意味するところはなんだろうか。
「そうだったんだ。あのさ、あれが初だから次は2回目じゃないか?」
「そうだけど、あれは学校行事で今度のはプライベートというか……」
モニョモニョ何か言うと、高松は唇をキュッと結んだ。
俺が誘ったのに、お礼なら君の時間が欲しいと言ったのは俺なのに、高松はなぜか「断られるかもしれない。不安」みたいな表情だ。
「女子校育ちは男子に免疫がないのです。他人の目も気になります」
俺と2人を避けたいから他の人を誘ったと落ち込んでいたらそれは誤解で、さらに「デートみたいで大緊張」という様子。
俺は避けられてなかった!!! と心の中でガッツポーズ。
というか……むしろ意識されている?
「そうなんだ。別に今と同じだろう。プライベートってなんだ。あはは」
「ちょっ、笑わないで下さい。藤野君はクールですね」
「急に敬語ですね」
「はい。あの、藤野君」
「なに?」
「……女子校育ちは男子に免疫がないから、デートみたいだと……勘違いするかもしれないけど、私がもしも勘違いしたら気まずくないんですか?」
高松はうつむきながら、そっと自身の髪を両手で掴んだ。こういう態度をされると、それこそ勘違いしそう。
「それが嫌なら合同遠足の時に2人にはなってないです……はい」
さり気なく言うはずが声がどんどん小さくなった。
今のやり取りって、告白されたとか、告白したようなものだと感じるけど違うのだろうか。
彼女が喋らなくなったので「何か話題を」と思ったけど、今、俺は告白するべきなのか、そうではないのかグルグル考えてしまい、何も喋れないまま目的地に到着した。
和菓子屋『ひくらし』の外観は、まるで居酒屋のような派手さだ。
赤提灯が並び、そこには『風神』『雷神』『ひくらし』という文字が書いてあり、さらに菱紋も描かれている。
つくばいに腰掛け待合、灯篭があり、お店の暖簾に書いてある『嘉祥菓子ひくらし』という文字だけが、ここがお菓子屋だと示している。
高松は何も知らなかったようで、驚いた後に、腰掛け待合やつくばいに置いてある招き猫やうさぎの置物や風車を発見して、可愛いとはしゃいだ。
俺は君こそ可愛いと思うけど、そんなことは口が裂けても言えない。
高松は、お店の横にある撮影スポット、封魔ファンを集めるためにある、七つ狸地蔵の置き物前で実に楽しそう。
「いつ来るんだろうって思っていたらここで止まっていたのか」
不意に一朗の声がしたのでそちらの方へ体を向けると、スウェットに近いトレーナーとズボン姿の一朗がにこやかに笑っていた。
「封魔好きの高松がはしゃいでて」
「それはじいちゃんが喜ぶ。3人で撮ろうぜ。いえーい!」
一朗は俺と高松が何か言う前にセルフィーモードにしたスマホで3人の写真を撮影した。
「じゃあ、2人だけも」
一朗が自撮りの画面から消えて2人だけの写真を撮られた。
3人で撮るための笑顔を作っていた俺たちはそのまま2人の写真も撮られた。
「高松さんだけも撮ろうか。樹のポーズで、はい、撮るよ」
「えっ? あっ、こうかな」
一朗は、封魔のメインキャラクター、実は女の子である忍者、主人公封魔の親友、樹がよくとるポーズをした高松を撮影。
「じゃあ、行こうぜ。こっち」
呼ばれた先には他のメンバーがもう集まっていた。
この後、俺たち以外のことで少し一悶着あってから、俺と高松は『ひくらし』で一朗と相澤さん、その他と勉強を開始。
最初の休憩時間の時に、一朗が「肉まんを寄越せ」という文と共に、今朝撮った写真を送ってくれた。
そこには高松1人のものもあり、そんな気がしたので「神」と返信しておいた。




