友だちと彼氏
恋とはとても忙しい。
手を繋いだだけでしばらく動けないほどドキドキしてしまったし、友人たちと勉強会になったと聞いただけで、自分は誘われなかったと寂しくて落ち込んだ。
しかし、声を聞けば元気が出て、顔を見たらさらに。
一朗君は今日から小百合の勉強特訓らしい。
藤野君1人に任せようとしたけど、2人きりは無理だと、小百合は一朗君と真由香を誘ったそうだ。
家が反対方向だからか私は誘われていない。
誘われなかった理由を推測できるのに、言語化できない感情でモヤモヤしている。こんな風に恋とは一喜一憂、本当に大変だ。
放課後、美由に「一緒に帰ろう」と言おうとしたら、先に「2人で話がある」と誘われた。
最近、彼女は元気がなくて、それなのに尋ねてもはぐらかされている。
麗華たちと勉強をすると聞いていたのに、いつの間にかそこから抜けていたことを知らなかったので罪悪感。
しかし、今日はついに私を頼ってくれるようだ。
相談を切り出されるまで待つか、自ら話を切り出すか悩んでいたら、美由は青空を見上げて微笑みながら「失恋しました」と言った。
あまりにも予想外の言葉だったので驚きで固まる。
「なんとなくいいなってくらいだったんですけど、頑張る気がおきなくて、自分から捨ててしまいました」
こう言われたけど、私は、美由が誰に対して、いつから気持ちを向けていたのか全く分からなかった。
「昨日のお泊まり会で小百合さんの恋バナを聞きました」
「……あの、待って。待って美由さん。小百合さんのことは後ででいいから、美由さんの話を聞きたいです」
美由は穏やかに微笑んでいるが、私は彼女が感情を飲み込み、隠すところがあることを知っているから心配だ。
彼女には相手を思って我慢するところがあるから、えいって踏み込まないといけない時がある。
「小百合さんさすごいなぁって。フラれたことがあっても、何年も存在を無視されても想い続けられるってすごいですよね」
「ねぇ、美由さん」
「私は短期間の無視や、他の人が好きなんだって事実が辛くて捨ててしまいました。友達の好きな人はダメ、先着順なんて言い訳を並べて」
彼女自身の話の続きだと分かりホッとした。
「友達の好きな人? そうなの? お店、お店はリヴェルでいいかな?」
「琴音さん敬語。なんて。小百合さんがいたら怒られますよ。もし付き合ってくれるなら、パンケーキ屋さんでもいいですか?」
「もちろん!」
お店の名前は「幸運のパンケーキ」で、場所は船川駅だと言われて混乱。
なんでわざわざ私たちとは逆方向の、それも一朗君の地元駅のお店へ行きたいのだろう。
当たり前に抱いた疑問を口にしたら、「お付き合いすることになった人に会って欲しいです」という返事だったので仰天した。
「おつ、お付き合い? えっ?」
「……うん。沢山褒められて少しその気になって、いいかなと思ってOKしました」
昨日、彼女はたまたま一朗君の友人と出会い、告白されたそうだ。
一度電話したことのある、あの日野原君がいきなり美由と付き合い始めたって何……。
一朗君から何も聞いていないと思った時に、美由が自分の口で言いたいから彼を口止めしたと言った。
「初恋を自分で捨てたって話は琴音さんと田中君だけの秘密でお願いします」
一朗君には言っても良いというか、察しが良さそうに見えるから分かっている気がする。
違ったとしても、私が自ら彼に暴露して構わない。
ただ、他の人には言わないで欲しいと頼まれた。
これは口が固い私への信頼と、その彼氏なら秘密を守って欲しいという願いだそうだ。
「分かりました。彼にもそう言います」
「藤野君って正直者ですよね。だから興味ある人と無い人の差が丸分かりです」
なんでここでいきなり藤野君……と戸惑って、先程の小百合話も考慮すると、「友達の好きな人」が彼のことだと気がついた。
「昨日も私は下り方面だと思っていたんですよ」
「……そうなんですか。い、いつ。いつからですか? あの、私、鈍いようで……」
「琴音さんは普通でみんなと同じです。気がついたのは多分、田中君だけですよ」
一朗君は気遣い屋で言葉選びも優しいので私は見る目があると美由は肩を揺らした。
小百合を格好良く助けて優しく支えたのが一朗君でなくて良かった、私と恋のライバルはもっと無理だと喋りながら、また愉快そうに笑う。
「……そっか。あの件で気になったんですね」
「今はびっくり箱さんが気になっています」
「日野原君のことですね。一目惚れしました、付き合って下さいとは確かにびっくり箱です」
「うん。結婚詐欺師みたいなことばかり言うんですよ」
昨日の夜の女子会で、真由香と小百合が「日野原君と話してみたい」「心配」と言ってくれたから彼と4人で電話をしたそうだ。
挨拶から質問会になり、やがて話題は彼女の褒め話に変化したという。
「あんなに沢山人に褒められることはなかったから、すごく幸せな気分になりました」
「それは良かったですね」
私もその場に居たかった!
誰かが勉強会に誘ってくれていたら参加者だったのに……。
私の家は小百合の家とは逆方向で、一朗君と一緒だと思われていたので誘われなかった。
彼が参加者になったのは藤野君が誘ったからで、リハビリ後に合流となると、私を呼び出せるような時刻ではない。
誰にも誘われなくて仕方がないけど落ち込む。
「だから私、彼を好きになる努力をしてみようかなって。びっくり箱さんと上手くいかなくても、私には素敵な友達が何人もいるから大丈夫です」
ふわっと優しい笑顔で「琴音さんもいつもありがとう」と言われてちょっと照れた。
そこから彼女は、昨日、なぜ日野原君と会うことになったのかを語った。
人が倒れて、日野原君がすぐに指示を出してくれたのでなんとか動けたけど、一朗君は美由から話を聞いた瞬間から非常にテキパキしていたという。
「琴音さんが田中君はよく人を助けているから気になったと言っていたけど、慣れている感じでした。大人よりも冷静でしたよ」
「そんなことがあったんですね。一朗君からは何も聞いていないです」
「琴音さんの彼氏は謙虚ですね。だから私が教えました」
美由はこれから行くお店のHPを開いて、「どれを食べましょうか」と話題に変えた。
たまに彼女へLetlがきてやり取りしたので、相手はおそらく日野原君だろう。
一朗君からスマホをこそっと奪って私に彼の暗証番号を送ってきたくらいなので、確かに「びっくり箱さん」かもしれない。
あの夜、一朗君はとても不服そうだったので、あの時の電話も多分、日野原君が始めたことだ。
船川駅に到着すると、日野原君は目立つのですぐに見つけられた。
背が高いし、顔も整っているし、おまけに美由を見つけて彼女の名前を呼び、大きく手を振ったから。
さらに彼はその後に体を丸くして、お腹が痛いというように両腕で自分を軽く抱きしめた。
駆け寄った美由が「痛みますか? 大丈夫ですか?」と告げる。
「嘘〜。ちょっとは痛いけど少しだけ。痛み止めって素晴らしい発明品だよね」
体を起こした日野原君は美由に向かってニコリと笑いかけた。
「やっぱりやめておきますか?」
美由が私に、日野原君は部活で肋骨を折ったばかりだと教えられて驚いた。
「やだ。家にいるのとほぼ同じだから平気。不思議なことに百年会えなかった気分だから会えて死ぬほど嬉しい。最低でも一ヶ月はスマホ越しだと思ってた」
息を吸うように褒められると教わったけど、いきなり「会えて死ぬほど嬉しい」とは凄まじい口説き文句だ。
「お店の整理券を貰ってあるから集合時間までぷらぷらしよう。番号が近くなったら集合なんだって」
「そういうシステムって書いてあったので、みんなで行くつもりでした。ありがとうございます」
「どういたしまして」
笑い合う2人は昨日出会ったとは思えないくらい親そうに見える。
「二度目まして琴音ちゃん。生彼女ちゃんだ。すごー。いえーい、ピース」
日野原君は前から友人だったみたいな雰囲気で私と2人で自撮りをした。
いきなり撮られたので驚き顔を撮影されて、「ほらほら、スマーイル」と笑いかけられた。
「あっ、はい」
肘で腕をつつかれて衝撃を受けたけど、笑ってと促されたので頑張って微笑んでみた。
男子と距離が近いので緊張して、スマホ画面の中の私の顔はみるみる赤くなっていく。
「美由ちゃんとは適切な距離を取る約束だから自撮りはそのうち」
「お気遣いありがとうございます」
美由はなんとも言えない顔をしていて、日野原君はどうしたのかと質問した。
「ご友人の彼女とそんなに近距離になったり、2人で写真を撮ったり、触るのは日野原君の周りだと普通のことですか?」
「ああ、つい。一朗の彼女ってことは妹みたいなものだなって。美由ちゃん、名字じゃなくて名前で呼んで欲しい」
「昨日もそう言われて考えたのですが、正式にお付き合いすることになったらでどうですか?」
「正式に? 今は正式じゃないの⁈」
「お試しみたいなものですよね。ご存知のように私はまだす……ではないし、日野原君は私のことをあれこれ知らないです」
照れるのか美由は「好きではない」という時は少し声を小さくした。
「ああ、そういうこと。付き合ってる、つまりお互いNo浮気って認識は合ってる?」
「私はその認識です」
「名前で呼ばれたらイコール好きになりましたってこと。分かりやすい合図をゲットだせ!」
有名ゲームの主人公の台詞みたいな言い方をすると、日野原君は散歩をしようと言って歩き出した。
駅ビルへ入り、女子が好きそうなものがあると言い、お店を覗くたびに美由の好みを確認していく。
美由は私に話題を振るけど、日野原君は彼女の隣をキープして、ほとんど話しかけてこない。
日野原君の予想よりも早くパンケーキ屋の順番が近づいてきて、行こうと案内された。
入店の順番がきて、可愛い内装のお店で美味しそうなのでワクワクする。
日野原君に慣れてきたし、美由という共通の話題があるので楽しい時間を過ごして解散。
帰る前に「こういうお店もある」と日野原君に案内されて、ぷらぷら歩いていたら彼は花屋で足を止めた。
「なにこのぷにぷに。部屋にパキラがある美由ちゃんなら分かる?」
「ここにちゃんと多肉植物って書いてありますよ」
「ああ、書いてあったね。こういうのは好き?」
「はい。部屋でいくつか育てています」
すると日野原君は何も言わずに鉢植えを2つ手にして多肉植物を購入して、1つを美由へ差し出して、「初デート記念」と言いながら笑った。
「えっ? あの、ありがとうございます」
「自分で調べるけど、1人だと心配だから育ての先輩として助けて。よし、勉強しよう。勉強したくなる日が来るなんて不思議」
改札まで見送られて、2人とも気をつけて帰ってと手を振られたので手を振り返す。
駅のホームへ行くと、困ったような表情の美由は無言でベンチへ向かい、静かに腰を下ろした。
私が着席すると、彼女は「自分の変わり身の早さに驚きです……」とポソッと呟いた。
「それって、日野原君を名前で呼びたいってことですか?」
「藤野君を目で追わなくなっているか確認してそうします……」
目で追うことがあったんだと心の中で呟く。
電車に乗り、祖母に家へ着く時間を連絡しようとスマホを手にしたら、一朗君から着信とLetlがきていた。
「どこのお店?」という質問の後に電話があってそれきり。
真由香からは、小百合が照れで2人は無理とごねるから、帰るのが遅くなった、私たちとパンケーキを食べたかったというトークもきていた。
さとまゆ【帰る時に田中君はすごくへこんでた】
さとまゆ【すぐ帰って琴ちゃんとたまに通話勉強だったのにとか】
さとまゆ【パンケーキデートって】
この感じだと、一朗君と真由香は藤野君と小百合をさっさと2人にして帰るつもりだったから、家が反対側の私を誘わなかったのだろう。
モヤモヤが減ったし、真由香が一朗君の気持ちを教えてくれて嬉しい。
【スマホを見ていなかった】と真由香に送り、美由に声をかけて一朗君に電話した。
結果、彼も船川にいるからお店に行こうと考えたけど、日野原君に「邪魔」と追い払われて、私からは連絡がなかったので諦めて帰ったと言われた。
そして今は日野原君が家に来ていて、勉強をやめないように見張れと言われているから、もう出られないそうだ。
「相澤さんと橋本さんの勉強の邪魔もしたくないし」
電話の向こうで日野原君の「まだ名字呼び?」という台詞が聞こえた。
「うるさい。俺には俺のペースがあるんだ。名前はいつか呼ぶから黙ってろ。喋るな」
「琴音ちゃーん! またね! 美由ちゃんも」
「これ以上、相澤さんに馴れ馴れしくするな。ごめん、相澤さん。あの、また明日」
「うん、また明日ね」
つい最近まではいつか話してみたいと眺めていたのに、今はもう「また明日」と言い合える仲になっている。
それでも足りない、もっとという気持ちが湧いているとは好きの天井はどこにあって、どんななのだろう。




