彼の幼馴染
昨日からテスト勉強期間に入り、部活は禁止になった。
その分、帰宅後は練習に多くの時間を充てている。
母が「テスト期間中に1日デートなんて」と鎌倉デートを許可してくれなかったので、勉強より練習を優先しているのは母へのささやかな反抗だ。
来月は個人的に出場するコンクールがあるので練習をおろそかにするわけにはいかない。
元々、その分の勉強を前倒ししていたので、自分としては問題ない。
練習に没頭していたら、父に防音室を明け渡す時間になっていた。
お風呂に入り、まったりお湯に浸かりながら録音した自分の音を確認していたら、律に「遅い」と怒られ、渋々出た。
「いつものようにきちんとタイマーをかけたのに」と文句を言おうとしたが、「部屋でスマホが鳴っていてうるさかった」という一言で、それどころではなくなった。
部屋に戻って確認したら、着信は一朗君からだったので早速折り返した。
昨日は『勉強が嫌になったから、応援してほしくて』と電話がかかってきたので、今日も同じ理由かもしれない。
私も集中力が切れると音楽動画を漁り始めるので、昨夜のお喋りしながら勉強は楽しかったし助かった。
「こんばんはー!」
知らない男性の声が聞こえてきたので、思わずスマホを耳から離して確認した。
しかし、画面に表示されているのは「一朗君」という文字だ。
「あの、こんばんは」
「一朗の幼馴染のヒノハライオでーす!」
「……相澤琴音と申します」
何がどうなって一朗君の幼馴染が彼のスマホで私に電話をかけてきたのだろうか。
「勉強中だったかな? ごめん。泊まりにきたこいつが話してみたいってうるさくて」
「うるさくしてない。少しお願いしただけだろう。大げさに言うな」
一朗君の声もしたので、スピーカーモードなのだろう。海鳴生以外の一朗君の友人はヒノハラ君が初めてだ。
「ちょうどお風呂から上がったところで、これから勉強を始める前だったので大丈夫ですよ」
「琴音ちゃん、テレビ電話にしない?」
一朗君以外の男子に「琴音ちゃん」と呼ばれるのも初めてだ。
「しないに決まってるだろう。非常識なことを言うな」
一朗君の部屋を見てみたいけど、今の私はとても見せられる姿ではない。
乾かしていない髪にタオルを巻いているし、よれよれシャツに祖母が「安かった」と買ってきたダサめのリラコなので。
「琴音ちゃん。双子みたいに育ったのにさ、彼女を見せてくれないなんてケチだよね?」
「二人は双子みたいに育ったんですか?」
「タメ口で平気。双子といいつつ若干三つ子。一朗に同じ学年の妹がいるって知ってる?」
「バレー部の妹さんですよね。今度、私の学校のバレー部と練習試合をすると教わりました」
「ほんと、タメ口でいいって。でもお嬢様って感じ。お嬢様なのに一朗でいいの?」
「お嬢様ではないし、その、嫌いな人とは付き合わないです」
『一朗君がいいです』とは恥ずかしくて言えなかった。
「俺さー、琴音ちゃんに会ってみたいんだけど、いつなら空いてる?」
「悪いんだけど会わせないと死ぬほどうるさいから、一回だけ会ってもらってもいいかな。日曜の勉強会の時に少しだけ」
「死ぬほどうるさいってなんだ。今も俺は大人しいだろう?」
「あの、ドライヤーをかけてなくて、少ししたらまた電話をかけ直してもいいですか?」
「どうぞどうぞ」
「邪魔してごめん」
一旦、通話終了。
髪を丁寧に乾かして、少しだけ顔色がよく見えるようなメイクをして、二年前に真由香から貰った一番可愛い部屋着に着替えた。
机の上に乗せた固定台にスマホを置いて、インカメで写りを確認してからテレビ電話を開始。
一朗君の幼馴染が「普通に可愛い」みたいに言ってくれたら、一朗君は返事で「うん」と言ってくれる気がする。
ドキドキしながら応答を待ち、少しして画面に見知らぬ男子が映った。一朗君とは正反対の色白さで、とても顔が整っている。
「お待たせしました。こんばんは。改めまして、相澤琴音です」
「どうも〜。一朗、写真よりも可愛いじゃん」とヒノハラ君は私に手を振った後に横を向いた。
「別に」
一朗君の声は不機嫌そうで小さい。勝手にテレビ電話にしたから怒っているのだろうか。
「俺の彼女は可愛い」とは言わない、でも相槌で「うん」くらいは言ってくれると思っていたので「別に」という発言には落ち込んだ。
「別に」に続くのは普通、「そんなに可愛くない」だと思う。
過去のことを振り返ると「可愛くない」と思われていないことは明らかなので、おそらく照れだろうけど、そっけない声の響きと相まって悲しい。
「ごめんね、琴音ちゃん。一朗のやつ、写真を見せろ、喋らせろって騒いだから怒ってて」
「怒ってない。迷惑をかけるなってだけで。本当、夜遅くにごめんね、相澤さん」
「この顔は怒ってるだろう」
「怒ってない」
幼馴染の前では私のことを名字で呼ぶみたい。
一朗君の表情は見えないけど、声は低めだ。
私が迷惑していると思って、幼馴染に腹を立ててくれるのはありがたいけど、私は何も困っていない。
「休憩時間だから何も悪くないよ」
「琴音ちゃんはさぁ、彼氏に名前で呼ばれるのは嬉しい? 微妙? こいつ、登録名を下の名前だけにしてるんだけど」
「おまっ! なんでバラすんだよ!」
「私はもう名前で呼ばれています」とは言わない方が良いのだろうか。
「……私も秘密を教えますが、田中君ではなくて一朗君と登録しているのでおそろいですね」
彼の部屋が気になるけど、カーテンは紺色で壁紙は白系ということしか分からない。話題を部屋のことにしたいな。
「おおー、良かったな一朗。すぐにフラれることはなさそうだ。照れ照れ可愛いな。大丈夫そうだから名前で呼んでもらえよ」
画面にヒノハラ君に肩を組まれた一朗君が映り込んだ。彼はグレーのトレーナー姿で死んだ目をして遠くを見ている。
「本当、やめてくれ。余計な話をするな。相澤さん、お休みなさい。俺、ちゃんと勉強するから。また明日」
一朗君は笑わないまま低い声を出して、私が「お休みなさい」と言ったら通話を切った。
少ししたらメッセージが送られてきて、また「ごめん」だった。
「紹介されて嬉しいし楽しかったよ」と返事をしたけど反応がない。
と、思っていたら「すねろう」と送られてきて、次はかなり不機嫌そうな一朗君の写真がきた。
一朗君【彼女を見られてやきもちたろう】
何か叫んでいそうな一朗君の写真も送られてきた。彼のスマホはヒノハラ君の手にあるようだ。
一朗君【スマホの暗証番号は041203】
一朗君【浮気疑惑の時に使うなり】
——一朗君がメッセージの送信を取り消しました——
——一朗君がメッセージの送信を取り消しました——
暗証番号とその後の文が消された。
しばらく待ったけど続きはもうないようで、何も送られてこない。
「二人ともお休みなさい」と送り、暗証番号は「041203」となんとなくノートに書き、そうしてからハッと気がついた。
この暗証番号は私と一朗君の誕生日だ。
今夜は電話をしながら勉強はできないようだけど、私としては嬉しい話をいくつか教わったから、嬉しい気持ちで張り切って勉強できるだろう。
☆★
テスト勉強期間中は朝練も禁止なので、私は家で自主練をして登校する。
一朗君も同じだったので、待ち合わせ時間を変更して一緒に登校している。
一方、時間帯が同じだから一緒に登校していた剣箏部の何人かのメンバーは、受験室の取り合いに参戦して勉強会をしたり、ほどほどの時間に登校して学校で自主勉強をしているのでいない。
おそらく、私たちが二人で登校できるように気遣ってくれたのだろう。
手の怪我が治りかけで、まだ電車通学の一朗君と今日も改札前で待ち合わせ。
今日は合流したら、昨日のことを謝られた。
昨夜と同じく楽しかったし迷惑ではないと伝えたけど、彼の顔色は悪いというか、怒っているように見える。
「あの、ほとんど二人で話していたから……すねろうですか?」
歩き出した時に尋ねたら、驚いたような顔をされた。その後、彼はうつむいて顔をしかめた。
からかうつもりではなかったけど、そうなってしまった。
「ごめん。あの、からかいたかったんじゃなくて、やきもちなら嬉しいと言いたかったんです」
せっかく二人で楽しく登校するはずが、気まずい雰囲気になってしまい、私も自然とうつむく。
一朗君はうつむいたままで、またしても何か言いかけたけど、何も喋らなかった。
何かで怒っているところに、余計なことを言ったせいでさらに怒らせたのだろうか。
昨夜の会話を振り返っても、彼が私に対して怒る理由はないので、「さらに怒らせた」は見当違いかもしれない。
現に、彼の表情は怒っているような不機嫌なものから、悩ましげなものに変化している。
「あっ、数学。苦手な数学は大丈夫そうですか?」
「気遣わせてごめん。あの……」
一朗君はまたしても何か喋ろうとして唇をギュッと結んだ。
何か言いたいことがあるけど、上手く言えないということのようだ。
私がするべきだったのは話題を変えることではなく、黙って待つことだったのかもしれない。
空気が重くて嫌だな、でも待つべきなのかなと悩んでいたら、「あのさ」と話しかけられた。
「かわ……いいと思ってて。可愛いから友達にジロジロ見られるのはあんまりで、昨日は態度が悪くてごめん。怒ってなくて良かった」
一朗君は続けて、「パジャマも可愛かった」と小さな声を出して、さらに「今も可愛いけど……」と続けた。
こんな風に褒められるなんて想像していなかったので、ボッと顔が熱くなる。
「だからうん。その、すねろうで合ってる。やきもちが嬉しいって嬉しいし、昨日のパジャマがあれすぎて照れが……。だから上手く喋れなくて……」
またしても「気遣わせてごめん」と謝られたけど、私は首を強く横に振った。
考えていることを教えてくれた結果、こちらも照れてしまって喋れない。
二人で無言で歩き続けたけど、空気は重くなくなり軽やかだった。
変な格好から可愛い部屋着に着替えて大正解。
校門前でお別れする時に、『彼が勇気を出してくれたので今度は私も』と意気込んで「耳を貸して欲しいです」と頼んだ。
「どうしたの?」
「ちょっと話があります」
手招きしたら屈んでくれたので、誰にも聞こえないように、でも彼にはしっかり聞こえるように耳元に顔を近づけて、両手で囲って声を出した。
「嫌いな人とは付き合わないというのは照れで、好きだから一朗君がいいです」
頑張った結果、心臓の音がめちゃくちゃに鳴り始め、耐えられないくらい恥ずかしくて、反応を見る前に逃げてしまった。




