優勝のお祝い2
今日の部活後は先週行えなかった一朗君の優勝祝いをする。
先週、校門前で起こった騒動をきっかけに小百合と清田という他校生の問題に学校が介入し、彼は藤野君と小百合に近寄らないと約束したそうだ。
こういうことを「雨降って地固まる」とか「禍を転じて福となす」というのだろう。
突き指ということにしている一朗君の打撲はまだ良くなっていない。
利き手の怪我なので不便そうだが、先生は配慮してくれて、友人たちも助けてくれるそうだ。
松葉杖で打撲したと知っている藤野君が特に協力的。
今夜の下校時も藤野君は一朗君の隣、私の反対側を歩いている。
小百合の護衛役はもう終わりという意味なのか、彼が彼女の隣にいることは全然ない。
私の予想では二人は両想いなのだが、どちらもよそよそしい。
小百合にそれとなく聞いたけれど、彼女としては「諦めている恋」だから、せっかく友人に昇格したのに他人になるのが怖い、たまに話せれば良いらしい。
藤野君にはまだ何も聞けていないので、誕生日をお祝いしたいというあの感じから何か変わったのか不明だ。
みんなで下校して駅前に到着したので解散。
私と一朗君はこれから二人で夕食なので、みんなとお別れの挨拶をして目的地へ向かった。
駅ビル内にあるレストランで、おまけに今日は土曜日だから混んでいるけれど、そこまで待たないで済みそうだ。
来週に迫ったテスト勉強期間の話や勉強の進み具合の話をしていたら、入店の順番がきた。
今日の一朗君は大人しいというか、疲れているのかあまり笑わない。
優しく微笑んではくれるけれど、いつもの快活さがないので日を改めた方が良かったのかもしれない。
怪我は全然平気だから延期は無し、今日がいいと言ったのは彼なので、元気がないのは怪我以外の理由だろう。
注文をした後に、思い切って大丈夫なのか、何かあったのかと問いかけると、驚いたような顔でかなり強く首を横に振られた。
「単に緊張してて」
「……そう言われたら私も緊張してきました」
部活後にこうしてデートするのは今日が初だから緊張してくれたんだと嬉しくなる。
自分も照れてきて無言になってしまったし、つい、うつむいてしまう。
「あのさ」と一朗君に話しかけられたので顔を上げた。彼はそっぽを向いて視線を泳がせた。
「あの! 優勝祝い。優勝祝いを持ってきました。先週はそれどころではなかったので」
「えっ?」
目を見開いた一朗君に向かって、カバンから取り出した包みを差し出す。
中身はスポーツタオルで、自分で選んだ紺色の袋に入れて、メッセージカードを一緒に入れてある。
私服の時に履いていた靴と同じメーカーにして、デザインも彼の持ち物と同じようにシンプルなものを選んだ。
一朗君は両手を伸ばして、包帯をしていない左手で受け取ってくれた。
あまり嬉しくなさそうなので、どうしてだろうと悲しくなっていく。
「……開けていいですか?」
「どうぞ」
友人に誕生日のプレゼントをあげた時とは反応が違う。
わぁっと喜んでくれると想像していたけど、喜びよりも遠慮が強いということだろうか。
一朗君は袋からスポーツタオルを取り出すと、「タオルだ」と言い、メッセージカードの入った封筒に気がついて「手紙?」と口にして、しばらく無言でタオルと封筒を交互に眺めた。
というか、そこから進まないでずっとタオルと封筒を見ている。
もしかして、これが彼なりの嬉しい顔? と疑問を抱いた時に、突然、満面の笑顔を向けられた。
あまりにも唐突な笑顔だったので、胸がきゅうっとなって顔が熱くなっていく。
「インハイでもない大会の予選なのにわざわざありがとう。大事に……なんで一人で息止め大会をしてるの?」
「えっ。そんな大会はしてないよ」
制服なのに校則があるのに、思わず口調がくだけてしまった。
「あはは、冗談。人に何かあげる時って緊張したり照れますよね」
「もうっ、からかわないでください」
後ろ向きな想像で悲しくなったら、今のようにうんと嬉しくなったり、彼といると心が忙しくてならない。
「手紙は帰ってから読もう」
「手紙というか、付き合えて一ヶ月経ったから簡単なメッセージカードです」
「タオルも嬉しいけど、こっちがめちゃくちゃ嬉しい。これだとお礼になっちゃうけど」
そう言いながら、彼はカバンから淡いピンク色の小さな袋——どう見てもプレゼントを出して、私に差し出してくれた。
私が両手で袋を受け取ると、一朗君は横を向いて左手で口元を覆った。
「まだ一ヶ月だけど初だから。嫌じゃなければ使ってくれると嬉しいです。当日はタイミングを逃して」
一ヶ月記念をもらえるなんて予想していなかった。
あまりにも嬉しくて告白した時くらい心臓がうるさくなっていく。
「……私も開けていいですか?」
「……うん」
袋の中身は小さめで制服のラインと同じ色の小さめのシュシュと、シルバーの飾りがついたヘアゴム、三連で一部がリボン結びになっている淡いピンクのヘアゴムの三種類だった。
全部可愛いし、どれも学校で使用して良い控えめのデザインだ。
「あの、沢山入ってます」
「予算内で買えただけ。毎日同じは飽きるかなって」
それはつまり、毎日どれかを使って欲しいという意味だろうか。
一朗君は突然、テーブルにおでこをつける勢いで頭を下げた。
「嬉しいって顔で良かった。大丈夫と思いつつ、めちゃくちゃ緊張して」
「私も。私もタオルを選ぶ時も、渡す時も緊張しました。すごく嬉しい。ありがとう」
「俺はなんでも嬉しいよ」
体を起こした一朗君は、愉快そうに「毛だらけチョコでも」と言ってクスクス笑い出した。
「そんなの作りません」
一朗君がすごく楽しそうに笑っているから、こちらも自然と笑ってしまう。
「何か作ったことはあるの? 友チョコとか、お父さんにとか」
彼の口調が徐々にくだけているのは距離が縮んでいるということだろうか。
私も真似したいけど、制服なので校則や部則が脳裏によぎってしまう。
「お菓子作りは中学校最後の調理実習くらいです」
「聖廉中って学校でお菓子作りなんてするんだ。何を作ったの?」
「中学校はお菓子の持ち込みが禁止なんだけど、二月はバレンタインがあるからチョコチップクッキーとロールケーキです」
「おお、私立中って感じ。美味しかった?」
「うん、とっても」
なにせ学校の先生ではなく、パティシエの卒業生がきてくれた特別授業だ。
その日は洋食のマナーと紅茶の淹れ方も習って、そのまま楽しいお茶会。
聖廉三年は受験生がほぼいないので、三年の後半はそういう特別授業が多めだった。
「へぇ。他にはどんな授業があったの?」
「防犯訓練、英語の朗読劇、模擬裁判、練り切り作りとお茶会あたりは公立中と違いますか?」
「防犯訓練はあったけど同じ内容なのかな。他はなかったです」
「英語の朗読劇は、今年合同でありますね。一朗君は喋るのも得意ですか?」
「うん、わりと。昔さ、祖父の家にアメリカ人が住んでて、家賃減額の代わりに俺たち孫に教えてくれて」
一朗君の祖父は、和菓子はこのままでは顧客が減るとSNS宣伝やインバウンド向けの商売にも熱心だそうだ。
十年くらい前に『日本語を教えるから英語を教えて』みたいなサイトで知り合った年の離れたジェイコブ と意気投合。
彼は長期休暇を利用して来日して、一朗君の祖父が誘ったので家をホテル代わりに。
「気がついたら再来日して祖父の家に下宿して都内の塾講師。一昨年結婚して、祖父の家から出て行ったんだ」
「それで英語が得意なんですね」
「うん。たまにジェイコブ の家族親戚が遊びに来るんだ。甥っ子のエイドが同い年で、気が合うから友達になった」
エイドと最後に会ったのは一昨年と言いながら、写真を見せてくれた。
色白で黒髪の年上に見えるような男の子と、今よりも幼い中学生の一朗君が雷門前で大笑いしながらバンザイをしている。
私としては初めて見る中学生の一朗君で、なんか可愛いからこの写真が欲しい。
「エイドに彼女ができたって言ったら見たいって。二人で撮った写真を送ってもいい?」
「恥ずかしいけど……大丈夫です」
この間の合同授業の時に撮った写真かスカイタワーの時のものかなと思ったら、一朗君は「じゃあ撮るよー」とスマホを構えた。
「それならアプリのカメラで撮りたいです」
「別にそのままでも可愛いのに」
こんな風にいきなり可愛いと褒められたことってあったっけ。
驚いていたら一朗君は私の照れに気がついて、彼も照れたように目を逸らした。
しかもこのタイミングで料理が運ばれてきた。
店員さんが軽く微笑みながら料理を並べ、「どうぞごゆっくり」と言ったその瞬間、その目線が生温かく感じられ、ますます照れてしまった。
「えっと、じゃあ、俺はアプリを入れてないから貸してくれる?」
「お願いします」
二人で写真を撮って、問題なく写っていたのでこれなら送っていいと伝える。
「エイド君はどこに住んでいるんですか?」
「アンカレッジってところ。アメリカのアラスカ州。料理が冷めるからメールは後でにしよう。いただきます」
「私もアラスカ州の検索は後でにします。いただきます」
一朗君はピサ、私はパスタを食べながら会話して、前に言っていた「私と話したい面倒くさくない友人」はエイドで、今度電話しようと誘われた。
友達に紹介してもらえるなんて嬉しいし、しかも異国の人とテレビ電話ができるなんてワクワクする。
「エイドがジェイコブ に言って、そこから祖父まで琴音ちゃんのことが伝わっているから、祖父にも紹介したいんだけど、どうかな?」
テスト勉強期間中の受験室は混むと聞いたし、最近恒例の土曜の勉強会もいいけど、少人数でも勉強したい。その場所に祖父の家はどうかと言われた。
静かでおやつも出てくるけど、二人きりは親的に良くないだろうから、船川駅から遠くないところに住む友人を誘おうと考えているという。
「颯と高松さんがいいかなって。居間の広さ的に四人くらいがちょうどいいからさ」
藤野君はいいと言っていたから、私が良ければ小百合に聞いて欲しいと頼まれた。
「小百ちゃんに聞いてみるね」
「よろしく」
この後は勉強の進み具合や自信の有無で鎌倉デートをするから、その話となった。
楽しい時間はあっという間で、気がついたら家にいた。
祖母と母には部活後デートだと教えてあったから、優勝祝いのタオルは喜んでもらえたし、一ヶ月記念のプレゼントを貰ったとつい自慢。
お風呂から出たら、一朗君からLetlがきていて、「こちらこそこれからもよろしくお願いします」という文だったのでニヤニヤしてしまった。
浮かれ気分で箏の練習と勉強をして、どんどん嬉しくなって、この日の夜はあまり眠れず。
翌朝、一朗君と駅の改札前で合流した時に、彼は私のポニーテールを眺めて、照れくさそうに「良かった」と笑った。
「ありがとう。大事にします」
「俺もタオルを大切にする」
ほぼ同時に、二人してあくびをした。
なんとなく、お互い同じ気持ちで眠れなかったのだろうと感じる。
そんなことを考えていると彼と目が合って、何も言っていないのに気持ちが通じた気がして自然と笑った。前よりも確実に彼との距離が縮んでいると実感する。
二人で歩き出して、昨日、小百合から勉強会に参加したいという返事をもらったことを伝えた。
「迷惑をかけたからかな。藤野君って最近、小百合さんと距離がありますよね? だからいいのかなって気にしていました」
「逆じゃなくて? 高松さんを映画に誘ったけど断られたから、勉強会もダメかもって言ってたけど」
「映画? そうなんですか?」
「高松さんに聞いてないんだ」
そんな話、私は小百合から聞いていない。
気になって部活の昼休みにコソッと確認したら、断っていない、でもあれから話もないと言われた。
「あれから」とは、この間の事件のお礼について聞いたら、映画に行きたい、奢ってと言われた日のこと。
一週間が経過しても、みんなでいつ行くという話題が出ないので、その日がいつなのかすら分からないという。
「あの時の藤野君があまりにも格好良かったから、ずっと恥ずかしくて近寄れなくて。登下校中も上手く喋れません」
それが「映画の誘いを断った」という誤解につながっているだろうから、頑張って喋りますと小百合は小さな声を出した。
「うん。頑張って下さい。今、一番面白そうな映画は『サイレント』ですよ」
「あのサメのCMの?」
「CMで聴いた音楽がすごいし、抜粋シーンも気になるから、絶対に面白いと思います」
この日の夜に、小百合から「映画は二人みたい。死んじゃう」とLetlがきた。
二人だなんてまるでデートというか、小百合からしたらそうだから心臓が持たない、向こうはそんな気はないのに変な態度になって嫌われる、でも二人で出掛けられるなんて嬉しいから頑張ると続く。
頑張れと返事をしながら、「まるでデート」ではなくて、藤野君からデートのお誘いだと思うと心の中で突っ込む。
中間テスト期間が始まるけど、色々あるから楽しみだ。




