枝話「藤野颯と恋バナ」
今日は部活が休みだけど、一朗の勉強に付き合うために登校した。
週末の課題は金曜の夜のうちに終わらせてあるし、今日は息抜きするかと大学受験に向けた勉強も前倒ししてあるから気楽。
自習室で一朗を待っていたら、ニヤついて見える彼が現れて、心ここに在らずという様子で俺の向かいの席に座った。
どう見ても機嫌が良さそうなので、「なにかいいことでもあったのか?」と突っ込む。
「何でもない日〜お祝いだ〜ってことで特別な何かはない」
一朗は夢の国の作品の歌を軽く口ずさみ、にこやかに笑った。
昨日の試合全てで二本先制して、誰にも一本を取られなかった化物剣士とは別人だ。
彼は昨日、朝から試合が終わるまで寡黙で、凄まじい集中力を見せていたけど、今日はいつもの雰囲気だ。
「毎日が楽しいってことだな。それは良かった」
「相澤さんとの登校がそんなに幸せだったんだな」という風には突っ込まなかった。
和哉がそんな感じで絡んで、「放っておけ」とか「うるさい」と怒られているので。
「いや、ちょっと特別かも」
今朝、一朗は妹が作ったマカロンを相澤さんにお裾分けしたそうだ。
手作りお菓子繋がりで、バレンタインの時は手作りが良いとアピールして、多分、作ってくれると感じたらしい。
「ってことで今日のおやつ」
一朗はいかにも女子がラッピングしましたというような袋をカバンから取り出して、二人の間に置いて袋を開けた。
袋の中身はクリームの挟まっていないマカロンで、色も形も綺麗だから既製品のように見える。
「マカロンって家で作れるんだな」
「らしい。卵白とアーモンドの粉と砂糖だってさ。昨日、帰ったらあった」
このようなお菓子を作れる妹について聞こうとしたが、一朗は相澤さんの話に戻った。
「琴音ちゃんに今から練習するならそれも欲しいって言ったけど練習するかな。下手だったらそれはそれでなんかいい。可愛い」
日々、表情などで彼女を可愛いと思っていることは感じているが、面と向かって惚気られたことはないので驚いた。
前に初デート先を一緒に考えろという命令をされたけど、そのあとは彼女話をほとんどしない。
特に最近は、誰か——主に和哉が話題を振ってもスルーしている。
和哉が合宿の時にちょっとふざけた質問をしようとしたけど、その前振り、「手ぐらいは繋いだのか?」に対して「ゲスは滅びろ」である。
俺たち同期は全員、一朗に対して相澤さんとの進行具合を尋ねたら殺されると認識したと思う。
手繋ぎくらいで、あんなに恐ろしい目をされてビビった。
「バレンタインって気が早いな」
「言霊って言うからバレンタインも一緒にいられるように」
「そっか。練習作品をもらえたらいいな」
「うん。死んでも欲しい」
普段と違って相澤さん関係のことを喋り続けるので、やはり珍しい。
「死んだらもらえないから生きろ」
「あはは、確かに。あのさ、このままちょっと相談があるんだけど」
「俺に? 何?」
試験前でも補講がある日でもないので自習室には人が少ない。
その少人数も俺たちのようにここをカフェ代わりにしている状態だから、移動しようという提案はしなかった。
「次のデートの時に手を繋ぎたいから、今朝、ちょっとジャブを打ったんだけど、ダメかもしれない」
一朗は叱られた犬みたいに眉尻を下げた。
手繋いだ、繋いでいないという話が禁忌ではなかったことに驚く。
「ダメ? 何をして嫌がられたんだ?」
「多分嫌がられてない。でも、軽く腕を肘でつついただけで真っ赤だった」
腕を組んだ一朗は「うーん」と小さく唸った。
「手を繋いでいいですかって聞くのはダサい気がするけど、さり気なく行動して、無理って手を振り払われたら最悪だ。どう思う?」
「経験ゼロの俺に聞かれても。相澤さんが他人のことをダサいって笑ったり陰口を言う気はしないけど」
「俺もそう思う。やっぱりさり気なくだな。そうしよう。っていうわけで、今日は課題じゃなくて買い物に付き合って欲しい」
「そういうわけってどういうことだ?」
「からかわないし、悪いことも言わない颯大明神になら頼める。女子の雑貨屋に一人で入れないから助けてくれ」
一朗は俺に向かって手を合わせた。
その為に課題を終わらせてきたと、一朗らしからぬ発言に驚く。
相澤さんという彼女ができてからというもの、最低限ではなく勉強熱心なので意外でもないか。しかし、去年とは別人のようだ。
「女子の雑貨屋? 相澤さんに何か買うのか?」
「もうすぐ一ヶ月だから何か買う。颯の課題が終わったら付き合ってくれ。英語があれば手伝う」
「俺も課題は終わっている」
「よし、それなら今から行こう。颯なら終わってると思った」
広げた勉強道具を片付けて自習室を出て、重たい荷物は部室に置いて行くことにした。
二人で駅へ向かい、途中にある雑貨屋へ入ろうとしたものの、なんとなく気後れして店の少し手前でどちらともなく足を止めた。
俺もこういうお店に一人で入店する勇気はない。
「二人でも思ったより恥ずかしい。無理かも」と一朗が弱気な発言をした。
こういう時は和哉がいて、「琴音、一朗君からプレゼントがほちーのぉ」みたいにふざけると良い効果なのだが、彼は今いないし俺はそういうことは苦手だ。
一朗もそう思ったのか、「和哉も呼べば良かった」とボソッと呟いた。
一朗は目を閉じて深呼吸をして、「よし、行く」と目を見開いたけど動かない。
顔色が悪いし顔が強張っている。昨日の決勝前でもこんなに緊張した姿を見せなかったのに。
「頑張ろうぜ。っていうか、高松や佐島さんに付き添いを頼めば良かったんじゃないか?」
「琴音ちゃん不在で他の女子と出歩くのも、他の女子に選んでもらうのも嫌だ。逆だとめちゃくちゃ嫌だから」
「そうなのか」
二人でなんとか入店すると、店員さんは俺たちを見て普通の挨拶をしただけで、近寄ってきたり、「彼女さんにですか?」みたいな接客はしなかった。
きっと、似たような海鳴生が来ているから、わざとそうしてくれたのだろう。
シャンデリア風の照明に、白っぽい棚に美しく陳列された女性向けの商品の数々に軽いめまいがする。
名称の分からないアクセサリーが沢山ある。
「去年の部活禁止期間にこの店に入る聖廉生を見かけたことがあって……」
一朗は死んだ魚のような目をして、「男にこの空間はキツい……」と呟き、ため息混じりで一番近い商品陳列台に近寄った。
「予算は二千円くらいなんだけど何がいいんだか」
一朗はまたもやため息を吐き、髪を掻いて目を細めた。
「結構安いから物によっては何個か買えそう」
「学校でも平気そうなものは……どれだ? 聖廉の校則を調べ忘れてた」
「聖廉生が使っているのはこのくらいの小さめのシュシュだろう。飾りつきのゴムだとここらへんは全部平気そう」
「そうだっけ。よく見てるな」
「毎朝、あれだけの女子が登校しているから目に入るだろう。相澤さんも使っているけど見てないのか?」
「記憶にない。顔とかうなじとか色が白いとか、毛先がくるくるで可愛いとか、髪が艶々サラサラだなってことは見てるけど」
それはつまり、めちゃくちゃ見ているということだ。
「そうか」
和哉なら「むっつり野郎」と爽やかに笑いそうだけど俺は何も言えず。
付き合ったばかりだと趣味が分からないだろうから、個性的ではないものの中から自分で選ぶと良いのではないかと提案してみた。
「ここに来てから思ったんだけど、相澤さんと一緒にきて選んでもらうのもありな気がする」
「それは嫌だ。自分が選んだものを使って欲しい」
今日の彼からは、あれこれ知らない一面が垣間見える。
「そうなのか」
聖廉生はどういうものを身につけているかと問われたので答えたら、一朗はあっという間にどの商品を買うか決めた。
一朗が会計をしている間、彼氏だと好きな子にヘアアクセを贈れるんだなとぼんやり。
俺は高松に何かを贈る機会がないし、アクセサリーなんて意味深なものはさらに。
素直に「いいなぁ」と思いながら店を出ると、一朗に「付き合ってくれてありがとう」と笑いかけられた。
「予定はないけど俺の時もよろしく。この空間に一人は無理」
「おう」
帰り道も一朗は俺に相澤さん関係の話をした。
昨日、帰宅して落ち着いた時に電話をかけたら、男の声がして「彼氏」だなんて言うから頭が真っ白になったけど弟だった。母親まで出てきて、食事に誘われて戸惑っている。そんな話だ。
「俺のこの感じで大丈夫な気がしないんだけど。さすがに自分の親にも言うべきだよな?」
「俺は言った方がいいと思う」
「だよなぁ。じいちゃんに言っても親に言えって言いそうだし」
「親だと照れるってことか?」
「照れる照れないじゃなくて面倒くさい。根掘り葉掘り質問されそうだから」
一ヶ月記念直後に母親と対面は緊張しかない、今から吐きそうだと一朗はぶつぶつ言い始めた。
さすがに食事会には付き添えないので、頑張れとしか言えない。
「あのさ、一朗」
彼が自分にだけ色々話してくれたからか、なんとなく俺も言いたくなった。
「ん?」
「俺、鈍いみたいで気がつくのが遅くなったんだけど、小学校の時から高松が好きっぽい」
「へぇ、最近気がついたってことか?」
「ああ」
「颯と高松さんって雰囲気が良さそうだけど、浮かない顔なのはなんでだ?」
軽く顔を覗き込まれたので、人としての好意は向けられていても、男子としては意識されていない、理由はこうだと説明。
ゆっくり頑張ると決めたけど、思い返して口にしたら結構しんどかった。
「嫌がられない程度に頑張ろうと思っていたけど、興味のない相手からの好意自体が苦痛かなって」
時間をズラしても高松が登校する時間を見つけて、またしても改札近くにいた清田や、再度接触してきた天宮さんという存在が俺にそう思わせる。
『友人として連絡』や『帰り道に隣を陣取ること』もダメな気がしてきたので控えている。
「そもそも小学校の時に友人だったわけではないのもあって。何度も話したことがあるし、一緒に遊んだこともあるけど。誕生日会に呼んでもらっ……誕生日! 来月だ!」
ずっと前を見据えて喋っていたけど、思わず一朗の顔を見ていた。彼は優しげな目で微笑んでいる。
「祝いたければ祝ったら? 変なやつから助けてって頼る相手のことは少なくとも嫌いじゃない」
ニコリと笑いかけられて、もやもやしていた気持ちが小さくなっていった。
「そうかな」
「普通じゃない時はそれとなく突っ込んでやる。俺がしなくても、和哉が和ませてくれそう。何も知らなくても、場の空気を読んでくれるやつだから」
「今のところ、変なことはしてないと思うけど……そうだな。集団なら多分平気」
「高松さんって猫っぽいよなぁ。見た目もだけど、気を許した相手にはなんか人懐こい」
下校時間の高松が男子と並んで喋る時の距離感は、人によっては少し期待してしまうようなもの。
あれは二人きりだと勘違いしそうだけど、俺の場合は他の剣道部男子と同じだと分かるはず。
そもそも俺は他人の気持ちを考えて話したり行動できるから大丈夫。
大丈夫だと数回言ってもらい、とんとんと軽く肩を叩かれたら、最近の陰鬱な気分が消えていった。
「俺、琴音ちゃんに隠し事はあんまりしたくないから、颯のことをつい喋ると思う。積極的には言わないけど」
「俺のせいで喧嘩したり何かあったら嫌だし、相澤さんになら話してもいい」
「とりあえず四人で勉強会とか開催するか。高松さんの弱点は成績みたいだから」
「四人で?」
試験時期恒例になりつつある一朗の祖父の家での勉強会について、次の中間試験では相澤さんと二人がいいと考えているそうだ。
ただ、居間に二人きりは早い気がするので友人も一緒にどうかと誘うつもりだったらしい。
スペース的に剣道部全員は無理なので、誘う相手は相澤さんに任せるつもりだったが、こういう事情があるなら俺と高松を誘いたいと言ってくれるそうだ。
「頼れる講師役に颯が必要だーって言って、男二人と琴音ちゃんは困るだろうから、誰か誘ってって言う。船川と家が近い高松さんや佐島さんは?って」
「大明神はお前だな」
「我は神なり。崇めて彼女に俺のいいところを吹き込め」
一朗は最近話題のお笑い芸人のポーズと共に「いえーす」と歯を見せた。
「お前、相澤さんにもそういう感じなのか?」
「まだそんなにだけど、大丈夫な気がする。相澤さんも変わってそうだから。だってサメ。サメに大はしゃぎ」
この後、俺は一朗の初デート話を聞いた。誰にも全然教えなかったのに自分から話すとは驚きだ。
教えてくれたエピソードだと、相澤さんの中身は確かにあの雰囲気や話し方とギャップがあるかもしれないと感じた。
俺は恋愛話では一朗が嫌だと思う言動をしない、そう信頼されていることが妙に嬉しかった。
★
今朝、登校中に高松と佐島さんに誘われたので、昼は聖廉の体育館へ連れて行ってもらった。
佐島さんたちが相澤さんを誘う前に、彼女は脱兎のごとく部室から去ったそうだ。
その相澤さんは昼食をとらずに手すりにへばりついていて、おそらく一朗を眺めている。
目がキラキラしているし、表情豊かだし、漫画で見たことのある「きゃあ、格好いい」というような姿で面白い。
あの感じなら一朗の選んだプレゼントは喜ばれるだろう。
一朗にお礼をしたいし、どうせ知られることになるなら自分から匂わせるかと、相澤さんに近寄って話しかけた。
二人で少し話をして、一朗の写真を贈ったら想像以上に喜ばれた。
俺が考えていたよりも、一朗が語ったよりも、彼女は彼が好きなようだ。
相澤さんに高松の誕生日を教えてもらった後に、彼女と共にみんなのところへ戻った。
午前中に一朗に背中を押されたので、今日はあえて高松の隣の席を選択。
楽しい時間はすぐに終わってしまい、海鳴に戻って一人で勉強をして一朗の戻りを待つことに。
校門まで送ってくれた高松に「また放課後」と笑いかけられて、「今日は一朗の勉強を手伝うことにして良かった。役得」と心の中でガッツポーズ。
帰宅時間を迎えて高松たちと合流するため聖廉の校門前で待っていたら、先に相澤さんが現れて「遅れてすみません」と謝罪。
彼女は感情が顔に出やすいようで、一朗が全く気にしていないと笑うと、心底安堵したというように可憐に笑った。
両名とも、俺には見せない表情を浮かべて二人で去っていった。
女子校の校門前で男子が一人は少々キツい。
高松たちももう来るかなと、スマホを取り出そうとしたら、「おい」と低い男の声がして、この声はと顔を上げた。
「清……」
日曜の十八時頃に清田がここに現れるなんて想像していなかった。彼の服装は制服で、相変わらずまだ松葉杖を使用している。
「人の彼女にまとわりつくな。このストーカー」
「高松はお前の彼女じゃないだろう」
慌ててスマホを手にして、清田に気がつかれないように操作して高松に電話。
「俺たちは運命なんだからそうなる。今ももう同じようなものだ」
小学校の頃のこいつは、話が通じる奴だったのに、今は頭のネジが数本ないのではないだろうか。
清田の視線が俺の後ろに向かった瞬間、俺は後ろを振り返り、高松の姿が見えたので叫ぼうとした。
しかし、先に清田が「小百合!」と大声を出した。
「高松! 回れ右しろ!」
清田が校内へ向かって歩き出そうとしたので、行かせるかと前に立ち塞がる。
体当たりされたような感じになったので、俺のスマホが手から滑って地面に落下。
「おい、ちびの! 痛ってぇな! 邪魔するな!」
「自分を客観視しろ! ストーカーはお前だ! 聖廉の校門をくぐるのは警察沙汰でもおかしくないからな!」
瞬間、俺は清田にぶん投げられて、体を起こしたら下卑た笑みで見下ろされ、「ならお前が逮捕だな」という捨て台詞を吐かれた。
清田は松葉杖を使用しているのに、思ったよりは速い動きで遠ざかっていく。
「藤野君!」
「来るな高松! 先生と親に連絡!」
高松の叫び声がしたので振り返ったら、彼女は俺が大嫌いな泣き顔だった。
ようやく最近、彼女から登下校時の怯え顔が減っていたのに笑顔を壊すのは一瞬だ。
頭に血が昇り、思わず校門の外へ出たら松葉杖が振り下ろされた。
その向こうには、鬼のような形相の清田の姿があった。




