枝話「藤野颯と恋嵐注意報1」
今日は私服登校で合同遠足だ。
ただし、午前中は通常授業が二時限。授業が終わると、食堂は閉鎖されているため、各自でお弁当を用意する必要がある。
俺たちの班は、荷物を増やさないために外食を選んだ。
午前中の授業が終わると、『バカは彼女の隣に相応しくない』と張り切っている一朗が、涼を先生役にして勉強を始めた。
勉強は前倒しにすればするほど余裕ができて、みんなが必死な時に遊べるから俺も参加。
海鳴の体育館に両校の二年生が集合し、改めて先生の説明を受けて集会は解散となった。
この合同遠足の目的は、異性を含む他人とのコミュニケーション能力の向上である。
何も考えていなかったり、先輩たちに質問していなかった生徒たちが、海鳴二年の学年主任の、「では解散」の一言でざわめきだす。
てっきり、先生の誘導で班員と合わせてもらえると思っていた生徒たちが、クラスと名前しか分からないと頭を抱えている。
もっとも、先輩たちに話を聞いている生徒が多いため、戸惑っているのはほんの一部の生徒だけだ。
俺たちの班は、集会後に体育館後方のバスケットゴール付近で集合することになっているから、一朗と涼と一緒にそこへ向かう。
その時に一朗が、「今日は琴音ちゃんとデートにする。だからみんなとは別行動」と告げた。
「へぇ、そっか。分かった」
「ああ、颯。俺と東さんも別行動」
涼はさらに続けた。
「なんか和哉に女子を紹介してくれるというか、知らない人同士の班は辛いって助けを求められたって」
涼と東さんは和哉と共に他の班に混ざる。
コミュ力おばけの和哉が、他班の救済者に選ばれた結果、剣箏部のもう一つの班の残りが政と橋本さんと佐島さんの三人になった。
政が『男子が俺だけになった』とクラスメートに言ったら、それなら合同班になろうと提案された。
「なにそれ。聞いてない」
「それぞれ頼まれたり、調整していたから忘れていたんだな。一朗はこんなだし」
涼に『こんな』と言われた一朗は、へらへらしながらぼんやり歩いて、まるで心ここにあらずといった様子だ。
相澤さんと二回目のデートが、よほど嬉しいのだろう。
「俺と高松はどこの班だ?」
「高松さんが、佐島さんはそろそろ自分離れの練習をするべきだから今回は彼女と離れる。で、高松さんは颯に相談があるらしくて、颯と二人はちょうどいいって」
思わず『はぁああああああ!!!』と叫びそうになり、強く唇を結ぶ。
この展開は、どう考えても俺にとって都合が良すぎる。
「高松が俺に相談?」
「自分で言うって言っていたけど、まだ話していなかったんだな」
涼が淡々と語っていく。
バタバタ決まったし、箏曲部は昨日、ショッピングモールで演奏会だった。
さらに高松は責任者だったからそれで頭がいっぱいだっただろうし、演奏会後は疲れていただろう。
それで彼女は俺に言うのを忘れたに違いない。
バスケットゴール近くに到着したら、もう和哉と政がいて、少ししたら相澤さんが一人で現れた。
彼女は俺たちに挨拶をしたものの、その視線は一朗にしか向いておらず、彼の前で『今日はよろしくお願いします』と、はにかむように笑った。
もし俺があんな風に好きな子から微笑まれたら、舞い上がる自信がある。
一朗も同じで、俺たちには決して見せない、照れくさそうな笑顔で彼女に話しかけている。
初々しい、でも確実に前よりは距離が近づいている二人が、俺たちの存在をあっという間に忘れたような雰囲気で去っていく。
去り際、いつも『田中君』と呼んでいる相澤さんが、『一朗君』と親しげに呼んだのが耳に飛び込んできた。
一朗のやつ、名前で呼ばれる仲に昇格してる。
東さんが知らない女子二人と男子三人を連れてきて、涼と和哉と共にいなくなった。
そのすぐ後くらいに橋本さんと佐島さんがきて、去年、わりと政とつるんでいた男子二人と、見知らぬ女子二人が合流し、緊張感ある様子で挨拶会を始めた。
俺たちの前だと、いや、高松がいると破天荒気味の佐島さんが借りてきた猫のようになって、橋本さんの後ろに隠れている。
この班には、コミュ力おばけの一朗か和哉がいると助かりそうだ。
しかし、和哉は違う班になったし、一朗は相澤さんとうきうきデートで不在である。
高松がこないのでスマホを確認したら、集会解散時間くらいに連絡がきていて、「話があるから舞台前にお願い」という内容だった。
『遅れてごめん』と返事を送り、逆方向に歩き始めたその時、見知らぬ女子三人組が俺に話しかけてきた。
一人が俺の前に出て強張った表情で口を開き、残り二人はそれを見守っている。
彼女——アマミヤさんは、前に俺に痴漢から助けてもらった、ずっとそのお礼をしたかったと話した。
班員が集まるまでの時間は、ちょっとした突撃タイムだと先輩から教わっていて、一朗はこの時間に相澤さんに話しかけると言っていたけど、アマミヤさんのこの行動もそういうことだろう。
アマミヤさんとあの日に泣いていた被害者が繋がらないというか、記憶が曖昧だ。
大雨の日だったので一朗が電車通学で、彼は痴漢を捕まえて、ホームで犯人と喧嘩をしていた。
その姿はとても目立っていて、涼もいたので何か手助けをと考えながら近寄って、自分の役目が何か分からずおろおろしていたことは覚えている。
アマミヤさんは、相澤さんが一朗に向けるような照れたような顔で、「お礼の品です」と俺に向かって紙袋を差し出した。
彼女は「俺に助けられた」と言ったから、一朗や涼へ渡して欲しい品物ではないのは確か。
彼女は自分に気があるというのは、自惚れではなさそうなので、どうしたものかと思案しながら、少し手を震わせてうつむいているアマミヤさんをじっと見つめた。
「中学校の時に同じクラスだった高松さんに……コーヒーは苦手、紅茶派と聞いたのでそれにしました」
げっ、スカイタワーに行った日に高松に紹介されそうになったのはこのアマミヤさんか? と訝しげる。
「アマミヤさんは高松の友人ですか?」
「友人というほどでは。でも、同じクラスの時はよく話しました」
アマミヤさんは不安げな様子でチラリと俺を見上げた。
可愛らしい聖廉生なので、高松と再会していなかったら、長年の自分の気持ちに気がつかずにいたら、浮かれていたかもしれない。
しかし、気分が沈んでいくだけ。
再度、アマミヤさんが俺に差し出している紙袋を見て、中に手紙らしき封筒が入っていると気がついた。
「俺は何もしていない」とか、「一朗と涼にお礼をしないのか」など、言いたいことは色々ある。
しかし、勇気を振り絞ったという様子のアマミヤさんを、公開処刑するような真似はしたくない。
「お礼なら、いただきます。感謝してくれて、ありがとうございます」
アマミヤさんと手が触れないように、紙袋を受け取り、会釈をして足早に逃亡。
高松は俺に興味がないことを突きつけてきた元凶ではあるが、アマミヤさんには何の罪もない。
それなのに、どうしても苛立ちを感じてしまう。
イラつきながら歩いて舞台前に到着したので高松を探した。
彼女は一人で凛と立っていたけど、俺を見つけるとパッと表情を変化させて、微笑んで手を振ってくれた。
雰囲気の落差に胸がぎゅっと締めつけられる。
俺もアマミヤさんも一方通行の恋をしているわけで、世の中というのは上手くいかない……。
スカイタワーの時とは違って、今日はスカート姿の高松に、思わずドキッとしてしまった。
薄い生地のクリーム色と呼びそうなブラウスに、デニムのワンピースを合わせて、短めの靴下に白のスニーカーを履いている。
ワンピースの裾が膝くらいで、あとは生足なのでつい目がいった。
待たせたことを謝ったら、全然待っていないと笑いかけてくれた。
「今日のこと、誰かに聞きました? 麗華さんが早坂君を友人に紹介することにしたとか、真由香さんが人見知りを直すから頑張りたいって言い出したって」
涼から聞いた話とニュアンスが違うけど、突っ込むほどの解離はなさそう。
「今日、ついさっき涼に聞いた」
「それに便乗して、私が藤野君に相談をしたいとか、二人だと助かるという話は聞きました?」
「うん」
「……あっ。アマミヤさん、頑張ったんですね」
高松は俺が手にしている紙袋に視線を移動させて、喜ぶわけでも、悲しむわけでもなく、ただ単に指摘しただけというような表情を浮かべた。
「なんかお礼の品って言われた。高松に相談して紅茶に決めたって」
「助けてくれた藤野君を探して私に辿りついて、どうにか会いたいって頼まれたんですけど……」と高松は苦笑した。
「藤野君に紹介されたくないって言われて、嘘はつきたくないから、彼女にそのまま伝えました」
「……それはどうもありがとう」
それなのにアマミヤさんは、勇気を出して俺に話しかけてくれた。
なのに、ちっとも嬉しくないし、ありがたいという気持ちも抱けない。
高松の大事な友人を傷つけるのは忍びないけど、だからといって彼女を諦めたりはしないし、アマミヤさんと深い仲ではないと教わった。
「アマミヤさんは元クラスメートで、部活のことで励ましてもらったことがあるんです」
「そうなんだ」
「藤野君も私の恩人。頼まれたのに、良い人を良い人に会わせなかったらバチが当たるなぁと……」
高松はまだ苦笑いでうつむいている。
「でも、それは私の藤野君には余計なお世話で……嫌な気持ちにさせてすみませんでした」
心の底からごめんというような困り顔を向けられて、こんな顔をさせたくないから首を横に振る。
「何回も謝らなくていい。そもそも高松は何も悪くないから」
「ありがとうございます。えっと、とりあえずお昼を食べに行きますか? まだですよね?」
「うん。行こうか」
高松と二人で並んで歩き始めたとき、周囲の生徒たちの探るような視線が気になり、『これじゃあ一朗と相澤さんみたいに、俺たちも付き合ってるって思われるんじゃないか?』と不意に思った。
俺はそれで良いけど、高松はそれで構わないのだろうか。
「藤野君ってラーメンの大盛りは食べられますか?」
「ん? 最近、ラーメンは大盛り。高松はラーメンが食べたいのか?」
「早坂君に勧められた、海鳴生いきつけのお店が気になってて。でも私、量が食べられません」
もしかしてあの店? と聞いたらそうだった。
学生好きなお店だから、男子と行って、普通の量を二つ注文して、片方を大盛りの量、片方を少ない量と頼むと対応してくれそうだと和哉に言われたそうだ。
だから、今度みんなで行くのも良いけど、今日、俺と行くのはどうかと。
「俺、あそこのラーメンはかなり好きだから、行ってみて、お店の人に聞いてみようか」
「ありがとうございます」
好きな子と初めて二人で出掛けるのに、ラーメン屋で昼ご飯とは色気ゼロ。
これって、高松の『藤野君とはそういう関係になりませんよ』という、遠回しの牽制なんだろうか。
「藤野君は博物館をがっつり観たいですか?」
「ずっと行ってないからなんとも。観たら楽しいかもしれないし、微妙かもしれない」
「私も。博物館があまり面白くなかったら、動物園に行きませんか?」
「えっ?」
「藤野君、小学生の時は好きでしたよね? 一ヶ所ごとに、あっ、まるまるって動物の名前を叫ぶくらい」
クスクス笑われて恥ずかしくなる。二人なのに動物園って、なんかデートっぽい。
そもそも二人で博物館へ行くこともだけど。
「高松も変わっていなければ動物好きだよな?」
「うん、好きです」
屈託のない笑顔でそう言われて、俺の脳みそが「うん、藤野君が好きです」と変換したので、咳払いのふりをして緩む唇を隠すために、口元に手を添えた。
彼女の頭の中を覗ければ良いのに。
「じゃあ、博物館はさっさと観て、動物園に行こうか」
「ありがとうございます。これで藤野君は二つ、私にお願いことができます。考えておいて下さいね」
「えっ? なんで?」
「ラーメン屋に行きたいと、動物園に行きたいという願い事を叶えてくれるからです」
「じゃあ、俺も高松にどこどこへ行きたいって言えるってこと? 二回?」
「はい」
友達を紹介するという話がなければ、期待して大喜びするところだ。
高松はアマミヤさんにお世話になったことがあって、彼女に頼まれたから俺に会わせようと考えた。
アマミヤさんに約束をしたかもしれない。
一方で、高松としては俺は恩人で、質問した結果、俺は『彼女が欲しい男子』だったから、自分としては良い人であるアマミヤさんを紹介しようとした。
アマミヤさんの望みが叶い、俺の願望も叶うかもしれないと。
ここに、『高松は俺が好き』という気持ちがあると……。
自分を高松の立ち位置において考えてみたら、俺は自分の気持ちは横におくなと思った。
恩がある友人の気持ちを無下にしたくない。応援も協力もしないけど、会わせないという邪魔はしない。
……。
まぁ、することはこの間決意したことだ。
彼女に嫌な思いをさせないように気をつけながら頑張る。
周りの都合と高松が相談したいということで二人になり、昼も博物館後のことも彼女が提案してくれたので、全然頑張れてない!




