初デート2
水族館入口のすぐそばにある階段には、水中の演出が施され、まるで夢の中に迷い込んだかのような空間が広がっていた。
初めて来たわけではないので、既に知っている景色なのに、新鮮な気持ちがする。
家族連れの楽しげな声が響く中、透明な水の世界に溶け込んでいくような感覚がして、さらに幻想的な雰囲気を醸し出している。
子供たちが水槽に手を伸ばすたびに、一朗君はさりげなく前を譲ったり、堂々と「前にどうぞ」と笑いかける。
その時に、子供に話しかけて少し遊んだりする姿はあまりにも自然で、無邪気で、私の視線は魚たちよりも彼に釘付け。
「見えますか?」と私に場所を譲ってくれるのは「可愛い彼女」に対して普通にすることだろう。
けれども、自分と全く関係のない人に優しくすることは無償の優しさだ。
心の中で「好きだなぁ」とつぶやきながら、魚を見つめてニコニコしている彼の横顔を眺める。
彼には聞こえていないのに、思わず照れてしまう。
「あっ、サメがいます! サメですよ、サメ!」
気になるサメ映画が公開中なので、大きな水槽の中にサメを見つけて、つい大きな声が出た。
一朗君は、「急にどうしたんですか?」と笑いながら目を丸くした。
「大きな声を出してすみません。サメがいたのでつい」
「サメが好きなんですか?」
一朗君の表情は引きつっていなくて、不思議そうな表情や目で見られている。
どうやら、私がサメについて語ることは、彼にとっては驚きで、興味を持ってくれたらしい。
「怖いですけど、今、サメの映画が上映しているのでつい」
「ああ、あのCMの巨大サメ。あれを観たいんですか?」
「観たいです。どんな恐ろしい音楽なのか気になります」
「怖い音楽が好きなんですか?」
一朗君は笑わないで、ほんのわずかに首を傾げた。
願望混じりなので油断できないけど、悪い感情を抱かれた気配はない。
私は話題を間違えた気がするけど、何も考えずに「サメ!」と言ってしまったので突き進むしかない。
「どんな音楽も楽しいです。『ジョーズ』って観たことはありますか?」
「ないけど、あの音楽といえばこれですよね」
一朗君は「ドォン……ドゥン……」と低い声であの音楽を口ずさみ、少ししゃがんで「わっ!」と脅かすようにグッと伸びた。
その瞬間、ビクッと驚きながらも、「そう、それ!」と何も考えずに声を上げる。
「あのじわじわと迫ってくる感じがすごいの。静かに、でも確実に近づいてきて、何かが起こりそうな緊張感がどんどん増して、もう目の前にいるぞ! って。明るく綺麗な旋律が出てくるのに、すっごく不気味!」
あの曲は怖いものが現れる時の曲としては最高傑作だと力説して、自分でも話しすぎたと感じて、慌てて口を閉じる。
私の熱弁に、一朗君は黙って、でも愉快そうにうなずいている。
今、私は友人たちにするような、くだけた口調になっていた気がする。
「あっ、サメが消えました。水槽の中なのにどこに行ったんでしょう?」
「ほらほら、後ろ、どこだと思いますか?」と一朗君が私の後ろを指で示したので振り返ったら、目の前にサメの頭が現れたので、びっくりして小さく叫んだ。
「あはは。騙された」
「そうやってサメを甘く見ている人は、最初の犠牲者になってしまうんですよ」
「うわっ。それは嫌です。こいつはきっと変な薬で強化されている特殊ザメだから、水槽を突き破ってくるかも。食べられたくないです」
「早く逃げないと。生き残りましょう」と手招きされたのでついていく。
待ち合わせからここまででも楽しかったのに、こんなのもう、楽しい予感しかしない。
☆★
水族館に入って早くも一時間が経過。
こんなに一ヶ所ずつを楽しんだことはないというくらいのんびり周り、ペンギンの餌やりタイムを待っている時に、座れるところで一人で妄想してしまった。
一朗君がお手洗いにいって一人だからつい。
『琴音は可愛い』
『琴ちゃんは可愛い』
呼び捨ても、ちゃん付けも、どちらも良いなとニヤけていたら、一朗君が戻ってきて、隣に座ったので慌てて自重して、表情を引き締める。
お待たせしました、お帰りなさいって、素晴らしい会話だ。
さて、これまでは水族館の生き物について盛り上がっていたけど、休憩も兼ねてここで座ってしばらくまったりする。
もう少ししたらペンギンの餌やりタイムをよく見るために場所取りだ。
つまり、今は一朗君と生き物以外の話しをするチャンス。
「あの、田中君はどういう髪型が良いと思いますか?」
勇気を出してストレートパンチ!
「髪型? このくらいが良いです。長いと面がより暑いし、丸坊主は嫌なんで」
ストレートパンチではなかったようで、全然伝わらなかった。これは全く予想していなかった返事だ。それなら……。
「……私は今くらいが良いかなぁと思いつつ、たまには肩ぐらいや、いっそショートにしてみたいなと。ショートは丸顔には厳しいけど、美容師さんなら上手く切ってくれそうです」
今度こそストレートパンチ! 直球! なはず。
これで、私の髪型について何か意見を言ってくれるだろう。
「あはは、確かに丸顔。小顔だからなんでも似合いそうです」
またしても想定外。小顔という評価は嬉しいし、丸顔で笑ってくれるなら丸顔で良いけど……女子の好きな髪型は?
「……女子の好きな髪型はありますか?」
今度こそ、ストレートパンチのはずだ。さぁ、私がなるべき髪型を教えて下さい。
「……えっ?」
何かに驚いた一朗君はしばらく無言。
少し背中を曲げて、膝に肘を乗せて手を軽く組んで考える人みたいなポーズに変化した。
交番前のベンチに並んで座った時に見た姿勢とよく似ている。深く考える時の癖だろうか。
「……相澤さんならなんでも。たまに見かけると髪型が違っていて、違うなぁと。どれも……って」
声がどんどん小さくなったので、完璧には聞き取れなかったけど「どれも可愛い」だろう。
「どれもなんですか?」
良いことを言われそうだと期待して、聞こえなかったフリをすることに。
「大変だなぁって。女子は大変。でも楽しそうですよね。妹たちもあれこれアレンジして楽しそうですから」
どれも可愛いと言われたというのは自惚れだった!
というか、言われたい願望だ。
「……友人とお揃いにしたり、友人に褒められると楽しいです」
今日は一朗君に可愛いと思って欲しくてこの髪型にしたと言ったらなんて返事が来るだろうか。
それこそストレートパンチなのだが、さすがに恥ずかしくて言えない。
「俺、そろそろ場所取りをしてきます。ここで休んでいて良いから、ゆっくりして下さい」
「えっ? 嫌です。一緒にいたいです」
立ち上がった一朗君が振り返り、私は自分の大胆な発言にびっくりして口を両手で覆った。
目をまんまるにした一朗君が、「それならもう少しここで休みますか? それとも、二人で行きますか?」と尋ねてくれた。
「あの、田中君。一緒に場所取りをしましょう。ちらほら始まっています」
「……どの辺りが良いですかね。あそこかな」
一朗君は初めて女子とデートと言っていたので、私と同じくちょこちょこ緊張姿を見せてくれる。
それがくすぐったくて嬉しくて幸せ。
二人でペンギンの水槽の前に行き、ちょうど中央やや右寄りの場所を確保して、ペンギンが餌をもらう準備で泳ぎ回っている様子を見ながら、もうすぐ餌がもらえるとはしゃいで泳ぎまくるペンギンたちについてお喋り。
ペンギンの生態についての解説や、この水族館のペンギン達のコソコソ話つきの楽しい餌やりタイムが終わったので、後回しにしていた金魚リウムエリアへ行くことに。
「あっ。今日の写真って共有しますか? 相澤さんが撮った写真も気になります」
「私も気になるので、アルバムを作りますね」
二人のトークにアルバムを作成。
今日の日付にスカイタワーという題名にしておいた。
「あの、二人でも撮ったりしますか? 俺は撮りたいなぁと」
「……はい。はい。そうしましょう」
盛れる写真アプリで撮りたいので、私のカメラで撮影することにしてもらおうと思ったけど、私がカメラアプリを起動する前に、一朗君は家族連れに話しかけていた。
彼らの写真を撮り、代わりに自分たちの写真もお願いしますと依頼している。
私は自分たちのことに夢中だったけど、一朗君は写真を撮りたい人をしっかり把握していたようで、またまた気遣い屋なところを目撃。
「代わりにお願いしますって言いやすい人を探そうと思ったら、すぐ見つけられて助かりました」
下心で「撮影します」と言ったと発覚したけど、だから落胆ということはなく、正直者だと好印象を抱いたので、私は一朗君の行動はなんでも好きなのかも。
ペンギンの水槽前で撮影してもらって、写真を確認して、問題は無いのでお礼を告げた。
少し距離をあけて、大人しい雰囲気でピースする二人というところが、初デートということを物語っている。
……この流れなら、もしや友人たちみたいに「はい、撮りますよー」と一朗君の撮影会を開催しても許される気がする。
「相澤さんだけも撮りますよ。ほら、ちょうどペンギンが集まっているんで。はい、笑ってー」
えっ? と思ったらスマホからシャッター音が鳴った。
「もう一枚」
「ちょっ、勝手に撮らないで下さい」
一朗君が撮った写真を確認したら、慌てふためく私が写っていた。
「あー! 変な顔!」
「変な顔って、驚き顔なだけで変じゃないですよ。でも、それなら次は自分の顔を確認しながら」
覗き込んでいた一朗君のスマホが遠ざかり、セルフィモードになり、画面にお互いの顔が半分ずつ映った。
この角度かなと、一朗君がスマホを動かしながら、二人の顔が全て画面におさまる位置を探る。
もう少しこちらへと言われたので、ドキドキしながら近寄り、背後の水槽でペンギンがばしゃばしゃはしゃぐ中、写真を撮ってもらった。
自分の顔を見ながらなので、一生懸命、この顔なりに可愛い顔を目指したけど、半笑いで真っ赤だ。
しかし、その部分を切り取ってしまえば一朗君の満面の笑みだけが残る。
これはもう宝物。
ただ、今の写真を送ってくれないと、私のスマホに一朗君を保存出来ない。
「あとで送ってください」
「……」
一朗君から返事はなく、彼は何も喋らないで自分のスマホをぼんやりと見つめている。
「あの。送って欲しいです」
「えっ? あっ、はい。すぐに送ります」
先程、あとでと言ったけど、それは聞こえていなかったようで、一朗君はすぐに写真を送ってくれた。これは棚からぼたもち。
「私も撮りますよー」
されたことはして良いはずだし、私は一朗君の写真がもっと欲しいので、彼にスマホを向けた。
「えっ?」
驚いているけど、私もされたから勝手に撮影!
「あはは、この俺は慌てすぎですね」
一朗君はひょいっと私のスマホの画面を覗くと、屈託のない笑顔を向けた。
距離が近い……と照れたので、顔がどんどん熱くなり、わりと色白な自分は赤くなるのが丸分かりなので、彼にもバレバレだと焦る。
「……金魚、金魚でしたね。金魚。待たせてすみません」
行きましょうと促されて並んで歩き、少し後ろはやめて真横へ。
ふと、一朗君の左手をちらっと見てしまった。
いつか手を繋ぐ日が来るのかな?
そう考えたら、ますます心臓が大暴れしてしまった。
☆★




