SIDE:始まりの話
その話を最初に聞いた時、ギルベルトが感じたのは怒りと言うより苛立ちだった。
ことの始まりは数日前のこと。久しぶりに家からの召集を受け、体を休めるにもちょうどいい時期だったので、少し長めの休みを申請して帰省した……までは良かったのだが、昼夜を問わずに語られる親族たちからの婚姻話に、ギルベルトはほとほとうんざりしていた。
確かに、六年も学院へ通わせてくれたことには感謝している。だが、卒業後の身の振り方をわざわざ考えて貰うほど子供でもないし、それに従うほど幼い訳でも力がない訳でもない。
適当に流して聞いていれば、今度は婚期を迎えた令嬢たちが蔓延る夜会へ有無を言わさず引き摺られていく始末。拒否権のない生活が帰省してからずっと続いている。
休みに帰って来たつもりがこの仕打ち。学院に通っている時よりも、よほど顔色の悪い自分を鏡の中に見て、いっそ卒業せずに学院に留まってやろうかとギルベルトが真剣に悩み始めていた頃。
その人物が、ある[予知]を持って屋敷に現れたのだ。
(……馬鹿げている。それが本当なら、俺の今までの努力は何のためにあった?)
その人物――クラルヴァイン家抱えの占術師である初老の男が迎えられてから、両親を始め数少ない“魔術師派”の親族たちは、ずっと話しこんでいる。表情や声から察するに『嬉しそう』であることが、ギルベルトを余計に苛立たせた。
いわく『抱くだけで本人を強化し、間に設けられる子は類まれな才をもって産まれてくる』らしい女。
確かに、魔術と言うものは使用頻度の割りにはまだ謎めいた部分が多い。魔道国家として栄えるこの『ロスヴィータ』でそうなのだから、まだまだ解明するべき部分はあるだろう。
――だからと言って、そんな都合の良い人間が、本当に存在するものなのか?
よしんば存在したとして、それなら努力なんてしなくても、全部それで済ませればいいじゃないか。
(……子供か、俺は)
占術師が言うには、その女が“使える”のはギルベルトを含めて本当に一握りの人間だけらしい。今なお最強と名高い『始祖・ロスヴィータ』さえ生涯独身だったはずだ。そんなものがあってもなくても、本当に強い人間には関係のないこと。
そう頭ではわかっていても、どうしても胸にひっかかるものがある。本人の才能も努力も全てを凌ぐ『モノ』があるなんて。そしてそれを使うことを、親族連中は望んでいるのだ。他でもない、最も血の近い両親でさえも。
「……貴方が期待されていない、と感じていらっしゃるのならば、それは違いますよ、ギルベルト様」
ふいに低い声がかけられて、壁にもたれかかっていたギルベルトは姿勢を正す。
視界に立つのは自分よりもいくらか背の低い男。ギルベルトとは違い、老化で色の抜けた髪と同じ色のひげを撫でて穏やかに微笑んでいる。
「彼女に出来るのは、上限を開放することのみです。元々の能力や経験がそこに届いていなければ、全くその恩恵を感じとることは出来ない」
「……だとしても、俺でなく他人の力をもって強くなれと言うのだろう? 反則を親にまで推奨されているんだ。ふて腐れたくもなる」
「はは、まあそれはそうでしょうな」
今なおも親族たちは謝礼についてなどの話を続けている。「聞かなくていいのか?」と尋ねれば、男は苦笑いを浮かべながらギルベルトの隣りに並んだ。
「私は、クラルヴァイン家の繁栄に必要かと思い、視えたものを伝えに参りました。けれどそれは、貴方様。ギルベルト様にとって必要だと……もう一つ“視えた”結果をもって、伝えると決めたのですよ」
「もう一つ? それが、俺に関わることなのか?」
この所貴族特有の『狸親父』ばかり相手にしていたためか、つい身構えてしまったギルベルトに対して、男はゆったりとした口調で微笑んで話し始める。
「私はこの道を本職として生きてきた者。視えたものの中でも、確信のあるものだけを厳選して、皆様にはお伝えして参りました。けれど此度視えたものは……これほどハッキリと視えたのは、本当に久しぶりなのですよ」
「勿体ぶるな、一体何が視えた? それとも別料金なのか?」
嘘ではなさそうだ。そう判断したからこそ急かしてしまえば、男は孫を見るような眩しい目つきで頷いた後、乾いた両手でギルベルトの右手を取った。
「ギルベルト様、彼女には真摯に向き合って下さい。嘘はつかず、偽らず、目を見て話して下さい」
「あ、ああ……?」
まるで染みこませるように。しっかりと包まれた右手は温かく、確かな熱と共に男の言葉が刻まれていく。
「彼女は道具ではありません。どんな体質であろうと、普通の女性です。大切に、してあげて下さい」
「わ、わかった。そうすると何か起こるのか? 効率が良くなるとか?」
「どうでしょうね? 私に視えたのは――彼女を大切にした時の結果です。『貴方は貴方が一番欲しいものを手に入れる』そうハッキリと視えました」
ハッキリと、と言った割りには曖昧な回答に、思わず形の良い銀の眉がゆがむ。表情にも表れていたのか、くすくすと男のこぼす笑い声が聞こえてくる。
「……俺が一番欲しいものとは何だ?」
「さて、それは私にはわかりませんよ。ただ、貴方が幸せになると言うことだけは確実だと思います」
「幸せ、ね」
ここ数日の生活とは縁遠い言葉に、ついため息がこぼれてしまう。
自分の幸せとは何か? 香水臭い令嬢たちと結婚しなくて良いことか? 大魔術師として成功することか?
(とりあえず、まずは早く学院に戻りたいな。正直、女なんてしばらくごめんだ)
うんざりと言わんばかりの顔で、男の言葉も親族からの期待も半信半疑で聞き流す。どうせ何が出て来たところで、変えられないものは変えられない。
あと残りわずかな学院だけが、最後の拠り所だと――そう思っていたギルベルトは、まだ知らない。
後に出会うこの『予知の女』メリル・フォースターと過ごす時間の甘さも。
育む絆の尊さも。共に歩む人生の輝かしさも。
彼が一番欲しかった幸せとは何だったか。
それは全て、彼女から始まる。
文庫の書き下ろしの裏側みたいな感じでしょうか。




