SIDE:モニカの話のエピローグ
“空間の無駄遣いだ”きっと今ここに居る人々は皆、同じことを考えているだろう。
白い無地の壁が四方を取り囲む、ただただ広いだけの部屋の中。中央に円形に並べられた机と椅子があるのみで、他に家具らしいものは見当たらない。絵画や彫刻と言った嗜好品もなければ、窓さえも天井近くに小さな換気用のものがあるだけである。
目と鼻の先には王国随一の荘厳な建造物があるにも関わらず、『彼ら』が通されたその部屋はあまりにも殺風景だった。まるで、牢屋か何かと錯覚してしまうほどに。
物足りなさと若干の居心地の悪さを感じつつ、集められた者たちは皆、思い思いに時間が来るのを待っている。
視界に入る人数はおよそ二十名ほど。年は四十、五十あたりの層が目立ち、そのうち半数近くは女性だ。
共通点と言えば、“一人を除いた”皆が仕立ての良い服を身に付けていること。貴金属や宝石なども惜しみなく飾る彼らは、明らかに富裕層の人間だろう。
除かれた一人も、決して不恰好な訳ではなく――むしろ、煌びやかな衣装などよりも一層彼の容姿を引き立たせる装いと言える。
隙なく留めた詰襟の裾の長い上着に藍色の外套。生地の端には華美にならない程度の銀刺繍が施されており、留め具やボタンには皆とある家の紋が彫られている。
『クラルヴァイン』ここに集まった者ならば皆、かの家がただの田舎領主でないことは勿論知っている。一見軍服のような装いも、その名を聞けば高位の魔術師の正装であるとわかるだろう。
……だが、装い以前に、彼はこの部屋の中で最初から異彩を放つ存在だった。
刃のような光沢をはらむ美しい銀髪に、猛禽類を思わせる鋭い金眼。整った輪郭の中には筋の通った鼻から抜群の位置に引き結ぶ唇。
元より社交界でも有名な美男子であったが、魔術学院に在籍してからと言うもの、その姿をなかなか見せることはなく。ようやく卒業したと思えば、今度は魔術師として各地を走り回っていたらしい。
貴族社会に姿を見せるのは本当に久しい、『二枚看板の名門』次期当主ギルベルト・クラルヴァイン。その姿は噂に聞いていたよりもはるかに美しく魅力的であり、この部屋に通された瞬間から、目に留めた誰もが感嘆の息をこぼしたほどだ。
それこそ、この殺風景な部屋の中で、唯一彼らの目を楽しませてくれる『芸術品』と言えるだろう。
そんな不躾な視線に、当のギルベルトが辟易しだした頃、ようやく一つしかない部屋の扉が開かれた。
「皆様、大変お待たせいたしました」
明るい口調と笑顔で姿を現したのは、二十代半ば頃の女性。
亜麻色のくせのある髪をひとつに結い上げ、大きめの眼鏡をかけた彼女は、愛嬌はあるが特別美人と言うこともない。どこにでもいる『町の娘さん』と言った人物の登場に、集まった人々は皆拍子抜けした様子を隠せない。
ただ一人、ギルベルトだけが「ようやくか」と呟いた後に、指定された席へと腰掛けた。
「お待たせしてすみません。“あちら”の使者が少々遅れておりまして。改めまして、ようこそ、【アイスラーの巣】へ」
にこりと微笑んだ表情とは不釣合いな名前に、呆けていた人々は我先にと慌てながら席へついていく。
そうだ、この部屋に通されてから感じていた“居心地の悪さ”は決して間違いではないのだ。貴族にとってこの場所は、審判の場と同等なのだから。
全員が席についたことを確認すると、改めて女性――モニカ・アイスラーは微笑みと共に頭を下げる。
「では、今回の会議を始めますね」
年に一度――集まった人々からすれば、数年に一度――王都でも最も王宮に近い屋敷と目されるアイスラー邸にて開催される【会議】
参加するのは毎回二十名ほどの貴族や魔術名門の当主、あるいはそれに準ずる者。表向き『参加する家は無作為に選ばれている』と言うことだが、当然アイスラー家が各家の事情を把握していないはずもなく、“必ず参加出来る年に”召集されるのが常である。
つまり、この召集を断ったりすれば、その時点で『王家に対して後ろ暗いことがある』と同意にとられてしまうのだ。女王の権力が強いこの王国において、自殺行為を好んでする馬鹿もそうそう居ない。
もちろん、急病など突然の事情もあるが、その際も本人たちが伝えるより早く『来なくていいからお大事に』と見舞いの文が来たりするのだ。本気で侮れないアイスラーの情報網である。
結果、毎年この殺風景な部屋の中には、顔色のよろしくない貴族の長たちが欠くことなく集められている。探られても痛くないはずなのに、腹が痛むのもこの独特の空気のせいと言えよう。
さて、【会議】と呼ばれるこの召集だが、内容は名前の通りに情報共有と話し合いの場である。ただし、『何故他人が知っているのか』疑いたくなるような情報が飛び出して来るのが常なので、集まった者たちは皆冷や汗を隠しながら周囲を窺っている。
当然ながら、このだだっ広い部屋の壁には数多の魔術が施されているだろうし、“あちら”と称された使者がどこの者なのかは言うまでもない。
『この場で嘘をつくことは、すなわち女王陛下を欺くこと』
のほほんとした平凡な女性が仕切る中、荒げそうになる声を抑えたり、胃をさすったりする者が絶えない会議は、約二時間ほどで解散となった。
「いやあ、お疲れ様でした。クラルヴァインはやっぱり先輩を出して来ましたか」
疲れきった様子の人々がふらふらと退室していく中、一人姿勢の良いギルベルトは、背後からかけられた楽しそうな声に足を止めた。
「会議を任されるようになるとは、出世したな相方」
「モニカですって。……このやり取りも久しぶりですね。メリルは元気ですか?」
「聞かなくても知っているだろう?」
相変わらずの台詞を嫌味なく返す男に「そりゃ知ってますが」とモニカも気兼ねなく笑いかける。
「つまらないですよ、クラルヴァイン家。先輩が手伝うようになってから、叩いても叩いてもホコリ一つ出やしない。完璧過ぎてムカつきます」
「いきなり閣下をつれて来たお前相手に、手加減などするか。メリルに恥じるような仕事は絶対したくないしな」
そして、相変わらずの恋人改め妻を溺愛する彼に、呆れを通りこして尊敬の念すら抱いてしまう。モニカから見ても群を抜いて整った容姿である彼には、結婚後にもあちこちから懸想を匂わせる誘いが山ほど来ていた。
が、その全てに対して「妻以外は女として見られない」と一刀両断。歯牙にもかけなかったと言う、世の女性の理想の夫である。
かつては「こんな軽薄男」と疑っていたギルベルト・クラルヴァインだが、今は親友が少々羨ましいぐらいだ。
「三人目は待望の女の子だったんですってね。おめでとう御座います。可愛いですか?」
「それはもう。俺は娘なら目に入れられる。物理的に」
「やめて下さい、娘さんが可哀そう」
……まあ、少々愛が重すぎる気もするので、やはり自分にはいらないなとも思う。鋭い顔立ちを蕩けんばかりの笑みに変えて「妻可愛い子供可愛い」を語るギルベルトは、たぶんちょっと病気だ、うん。
「そろそろ会い来てやってくれ。メリルもお前に会いたがっていた」
「あー……すみません、今回の議事録まとめたりとか色々ありまして。しばらくは無理じゃないかと思います」
そう苦笑いを浮かべながら、モニカはおもむろに“左手で”眼鏡のふちを持ち上げる。右利きのモニカがその動作をするのは『嘘をつくときだ』と、かつて教わった通りに。
「……そうか。まあ、また機会があればな。じゃあ、俺はそろそろ帰らせて貰うぞ」
「はい。メリルとお子さんたちによろしくお伝え下さい」
意思を汲んだギルベルトが苦笑を返して手を挙げると、モニカも眼鏡から手を離し嬉しそうに笑ってそれを見送る。「これからだと、ちょっと忙しいな」と呟いた声は、彼以外の耳には届かず空気に溶けた。
その後、馬車では二日半かかる道のりを馬を代えながら一人で走り続け、一日弱と言う速さで帰りついた“いつも通り”のギルベルトを、屋敷の者たちは呆れつつも温かく出迎える。
従者一人もつけないなど貴族としては有り得ないことだが、魔術協会でも最強の一角を担う彼に、もはや小言を言う人間はいなくなってしまっている。
「父様、お帰りなさいませ!」
「とーさま!!」
上の兄弟たちが駆け寄って来るのに続いて、きゃっきゃとはしゃぐ長女を抱いたメリルが微笑みながら歩み寄ってくる。
子供たちを抱き上げた後、軽くキスを交わす夫婦のいつも通りの風景に、屋敷の誰もが笑みを隠せない。
「お帰りなさい、ギル。会議はどうだった?」
「ただいま。内容は問題なし。ただ、お前の相方が司会をやってたぞ」
「へえ、モニカが? 出世してるあ……」
ギルベルトが抱いたのと同じ感想を呟く妻に、ますます笑みが濃くなる。『わたしも』と言わんばかりに手を伸ばしてくる長女の愛らしさも加われば、この光景が幸せ以外の何だというのか。
「そうそう、お前の相方が“終わったらすぐにうちに来る”そうだ。多分連絡は来ているだろうが、準備しておいてくれるか?」
「ああ、来てた来てた。終わったらって何かと思ってたけど、会議のことだったのね。ふふ、私たちの幸せっぷりをモニカに見せ付けてあげなきゃ」
「ねー?」と子供たちに同意を求めれば、笑いながら小さな宝物たちはギルベルトに抱きついてくる。そのまま「早く風呂に行け!」と祖母であるギルベルトの母がせっつきに来るまで、二人と子供たちはいちゃいちゃと笑いあっていた。
それから数日後、議事録を片付けてすぐに遊びに来たモニカは呟く。
「アンタの家は、紙面の情報で読むぐらいでちょうどいいわ」と。
大変お待たせいたしました。
これにてモニカ視点のサイドも終了となります。
お付き合い有難う御座いました!




