表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
70/74

SIDE:モニカの話06

「ギルベルト君、謝罪はもうわかったから、顔を上げなさい」


「いいえ! メリルの大事なお爺様をこんな悪天候の中お待たせしてしまった挙句、あのような身内の恥をお見せするなど……本当に申し訳御座いません!!」


「いや、それはもう十分聞いたから……ね?」


 さて、このやり取りももう何度目だろうか。

 半ば遠い目をしつつ彼を扱いあぐねている閣下と、その足元の床に未だ額を打ち付けているギルベルト・クラルヴァイン。こちらの部屋に移ってからかれこれ数分以上、同じ押し問答が続いている。


 閣下からもチラチラと視線を投げかけられているけれど、あたしとしても正直『どうしよう、これ』である。先輩の気が済むまで土下座させておけばいいかなーと楽観視していたけど、こう何度も続けられては飽きてもきた。彼も謝罪よりも意固地になっているのではなかろうか。

 ちなみに、最初は驚いていた従者殿は途中から諦めたらしく、一人だけ少し遠い場所で紅茶をすすっている。


(……ふむ)


 どうしたもんかな、と思案をめぐらせて、彼の恋人・メリルの顔が頭に浮かぶ。冷徹な外見とは裏腹に、彼は突っ走ることが多々あるらしいし。ここはあの子のやり方に(なら)うとしようか。



「……つまり、先輩はお爺様の顔が見られないほど、メリルに関してやましいことがある訳ですね?」


「ある訳ないだろう!!」


 ぽそっと呟いただけの一言に、彼は驚くほど敏感に反応した。

 床に打ったせいで赤くなった額を気遣うこともなく立ち上がると、やたら真剣な顔で否定を叫ぶ。本当にこの人、メリルが関わると必死だな。

 ようやく顔を上げた彼に、閣下も目に見えてホッとしている。今回のことが全部終わったら、クラッセン公爵家には菓子折りでも贈っておこうかしら。


「ええとつまり、君はメリルと真面目に交際をしている、と言うことでいいのかな?」


「はい! 彼女とは結婚を前提に、真剣に!お付き合いをさせて頂いております!」


 真剣に、のところに力が入っているのは笑うべきか。ひとまず話が出来るようになったので、閣下は気になっていた彼に関することを一つずつ質問し始める。

 姿勢を正し答える先輩も、ハキハキと言いよどむことなく返す。仕事、住居、年収、メリルとの出会いについて……少しばかり私事の権利(プライバシー)を害しているような気もするけれど、親族ならこんなものか。

 時折閣下がこちらに目配せをしているけれど、それに返すことなくあたしは紅茶をすする。それこそが『嘘はついていない』と言う答えだ。年収に関してなど、実際よりも少なめに答えるから笑いそうになったじゃないか。



 やがて、一通りの質問を終えた閣下は、嘆息と共にソファに背中をもたれさせた。誰が聞いても理想的な好青年、と言った回答に安心したのかもしれない。『アイスラー』のあたしが一度も否定をしなかったのだし、疑っていることもないだろう。

 紅茶の淹れ直しを提案する侍女をやんわりと断ると、眉を下げたまま先輩に笑いかける。


「君の人となりはだいたいわかったよ。私の孫娘は、人を見る目は確かなようだ」


「有難う御座います!!」


 ずっと表情を強張(こわば)らせていた先輩も、その言葉にようやく安堵の笑みを浮かべる。学院と言う限られた場所でしか付き合ってこなかったし、初めて会う親族がいきなりお爺様では、やはり緊張していたのだろう。膝の上で握りしめていた拳を解いて、ぬるくなった紅茶を一気に飲み干している。



「……そうだね、もう二つだけ質問をしても?」


「あ、はい。何でも聞いて下さい」


 先輩の様子が落ち着いたのを見計らってから、ふと閣下がまた口を開く。少しソファから身を乗り出した姿勢で、その目は先ほどの質問より厳しくなっているようにも見える。


「まず一つ目、私たちがこの屋敷に到着した時、君は『この家を出る』と言っていたね。理由を聞いても?」


 静かな声色ながらよく通る質問に、笑っていた先輩の表情がまた翳る。理由は閣下も察しているだろうけど……先輩は一呼吸間をおくと、形の良い眉をひそめて答えた。


「……先ほどご覧になった通りです。我がクラルヴァイン家では現在、貴族としての地位に固執する者が発言力を持っています。祖父だけでなく、一族の過半数がそんな有様でして。メリルとの結婚も、ずっと彼らに反対されています」


「それで、家を捨てると?」


「はい。これまで色々と手は尽くして来ましたが、残念ながら受け入れて貰えず。メリル以外と結婚する気はありませんし、家の方と縁を切るしか解決策がないのです」

 

 チラとまたこちらに向けられた視線に、頷いて返す。ここに来る理由ともなった彼らクラルヴァイン家の『貴族派』と『魔術師派』の亀裂は広がるばかりで、先輩の要望が受け入れられる可能性は低い。

 元々『魔術師派』は年々人数が減っていたし、ゆえに『メリルに子を産ませる』べく動いていたのだ。

 まさか先輩本人がその相手に惚れこむとは、夢にも思ってなかっただろう。


「魔術協会から“俺宛てに”途切れることなく仕事を振られておりますし、貯蓄もあります。クラルヴァインの名を捨てても、メリルを金銭的に困らせることはありません。誓って言えます」


「ああ、だろうね。その点は“彼女の様子を見ても”心配なさそうだ」


 おお、さすが閣下。先輩が年収について答えている時のあたしの様子に気付いていたのか。まあ、協会から振られる仕事は基本歩合(ぶあい)給だし、彼ほどの魔術師ならあたしが把握しているよりも貰っているかもしれない。その分、難易度も高いはずだけど。


「親族と縁を切るのは頂けないが、それがあの子を選ぶためだと言うのなら……その心意気は評価しよう」


「有難う御座います」


 肩をすくめて応えたあたしを揃って笑いつつ、また二人共に姿勢を正す。先輩はもう一つの質問に備えて。そして閣下は……何故かソファから立ち上がった。


「では、これで最後の質問だギルベルト君」


「はい」




「君は、メリルのために死ねるかい?」



 今まで彼が発した中で、一番低い音。そして、一番重たい音が、質問の言葉を紡ぐ。

 問われた先輩は目を見開いて、一呼吸おいてから、金眼を閉じた。



「いいえ」



 はっきりと、低い音が落ちる。

 その答えは震えることも、掠れることもなく発せられた。意外な返答に、思わずあたしも動けなくなる。先輩のことだから、その質問には肯定を返すと思ったのに。


 鋭い金眼がゆっくりと開く。輝くようなその色の中には、もう緊張は見えない。



「メリルのために“命を懸ける”ことは出来ます。けれど、死ぬことは出来ません。俺が死ねば他でもない。メリルが、一番大切な人が悲しむから」


「…………合格だ、ギルベルト君」



 ギルベルト・クラルヴァインらしい、自信溢れた声での答えに、閣下は満足そうに笑った。

 なるほど、確かに。悔しいけど、よくわかっているじゃないかこの男。

 先輩が死んだらメリルは悲しむだろう。いや、それが自分のため(せい)なのだとわかったら、下手したら後を追いかねない。

 慌てて格好つけたら『はい』と答えそうな質問だけど、彼女を思うなら『いいえ』が正解なのか。自意識過剰でも何でもなく。


「……ムカつくわ、先輩」


「褒め言葉か?」


「ええ。悔しいけど、アンタになら任せられそうで、本当にムカつく」


 ここに来て初めてハッキリと感情を乗せた言葉に、先輩は笑って応える。ああやっぱり、この天然男にメリルを預けるのが最良の選択なんだわ。わかりきっていたけど、いい男過ぎて本当に腹立たしい。


 呆れつつ笑うあたしたちを、閣下も穏やかに微笑んで眺めている。

 数分……いや数秒だっただろうか。

 おもむろに彼が手を挙げた。何ごとかと視線を向けると、いつの間にか扉のもとへ移動していた従者殿が、勢いよくそれを開く。


「……あ」


 開いた扉の外には三人の人間が立っていた。一番先頭には先輩の祖父殿が杖をついており、その背後に両親の姿が見える。客間で待っていると思ったのに、何故ここに?


「ギルベルト君は嘘偽りなく答えてくれたからね。私も君の誠意に応えよう。近い未来、きっと親類になるのだし」


 あたしたちが質問をする前に、年を感じさせないきびきびとした動きで、閣下が扉の外に出る。心なしか祖父殿の顔色が悪い気がするのだけど……


「遅くなってしまったが、名乗らせて貰おう。私の名は、アレクサンダー・クラッセンと言うんだ」


「やはり、クラッセン公爵閣下……ッ!!」


 吹き抜けの廊下に静かな名乗りが響く。途端、悲鳴のような声を上げた祖父殿は、杖を放り出して膝をついた。「元だよ」と笑う閣下の声は、きっと聞こえていないだろう。貴族としての身分に固執する彼は、特に同じ世代で有名だったその名を知っているだろうし。


「公爵、閣下……?」


 先輩も先輩で、先ほどとは打って変わって唖然とした表情を浮かべて立ち尽くしている。そりゃそうだ。平民のメリルと結婚するために家を出るつもりだったのに、まさか超格上・公爵家の血筋だったと言うのだから。


「私の孫娘のために家を捨てると言う覚悟は認めたがね。やはり、親族と言うのはあった方が良いものだよ。未来の孫婿君」

 

 全部知っていて黙っていたあたしも同罪なのだろうけど。とは言え、こちらを振り返ってウインクを飛ばす閣下ほど罪深くはないと思う。

 有能さで名を馳せたはずの方は、ずいぶんとお茶目な方でもあったようだ。アイスラーとして、これは後で追記しておこう。





 その後はもう大変だった。

 クラルヴァイン家は屋敷を上から下までひっくり返して、(元)公爵閣下の歓迎におおわらわ。使用人たちをかき集めると、すぐさま宴の席が設けられた。どこから嗅ぎ付けたのか、近隣に住まう親族たちも集まって。


 そして、先輩が結婚したがっているメリルが彼の孫娘なのだとわかれば、手のひらを返しての大歓迎。さも応援してましたと言わんばかりに、結婚式ついて話を進め始める始末だ。

 その間、閣下も先輩ももの凄く冷めた表情で彼らを眺めていたのだけど、いったい何人気付いただろうか。あたしも同じような顔をしていただろうけどね。



「…………こんな親族でも、あった方が良いですか? 閣下」


「はは、まあないよりはいいだろう。出来れば出自がわかる相手に任せたいと思うしね。それに、君のご両親はそう悪くない」


 呆れの強い投げやりな質問に、閣下も苦笑しつつ返している。まあ、確かに先輩の両親は、祖父殿の比べたらマシなんじゃなかろうか。初対面の時もそうだけど、急遽設けられた今の席でも、他の親族を止めるように走り回っているし。



「……閣下、俺はメリルを愛しています。彼女が平民でも公爵家の血筋でも、それは変わりません。彼女以外考えられない」


「……ああ、そうだろうね」


「この汚い世界に彼女を深く関わらせたいとは思いません。たとえ、彼女が元々貴族の血筋だったとしても。これは、俺の傲慢でしょうか?」


「……いいや?」


 ぽつぽつと語られる言葉に、閣下は目を閉じて、頷いて返す。もしかしたら、メリルの父……彼の末の息子のことを考えているのかもしれない。


「最初に名乗った通り、私は『メリルの祖父』だよ、ギルベルト君。それ以外の意味を私に求めるかどうかは、君たち次第だ」


「……有難う御座います」


 穏やかに返された言葉に、先輩は一瞬だけ目を見開いて……すぐに笑って、頭を下げる。

クラルヴァイン家はともかくとして、この人たちは大丈夫そうだ。メリルの背後に何があったとしても、先輩はきっと変わらない。



「相方も、色々と動いてくれたらしいな。有難う」


「礼を言うなら名前覚えて貰いたいですけど、どういたしまして。あたしの大事な大事なメリルを頼みますからね」


「もちろん」


 無駄に美形な顔に自信に溢れた笑みが浮かぶのを見て、つられて笑ってしまった。

 六年一緒に居たあたしでなく、この男だ。ふざけた始まりで出会ったくせに、この自信。この一途さ。こんなの認めたくなかったのに、今は誰よりもメリルに相応しい。

 きっと誰もが羨む幸せな家庭を築いてくれる。そう認めざるをえない。

 ……あたしの行動が無駄じゃなかったのなら、あたしにとっても『幸せな結果』には違いないのだけどね。




 いつの間にか雨が止んだ空には、世界の全てを染め上げる赤々とした夕日が輝いていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ