SIDE:モニカの話05
暖炉の火が爆ぜる音が、妙に大きく響く。
部屋の中は暖かいはずなのに、向かいあったクラルヴァイン先輩とその祖父殿の間には凍えるような空気が流れており、見ているだけのあたしたちも背筋が寒くなるような状況が続いている。
先輩の両親も黙っているので、『アイスラー』とは言え部外者のあたしが口を出すのも憚られる。おそらく根の深い問題だろうし、どうしたものかと悩んで待つこと数分。
意外にも先に動いたのは先輩の方だった。
「……先輩?」
彼は深いため息をつきながら祖父殿の方へ向かって行く。何をするかと思いきや、祖父殿の向かいあった革張りのソファに手をかけると、おもむろにそれを担ぎあげた。ぱっと見でもかなり重そうなのに、こちらへ戻って来る足取りもしっかりとしている。
「見苦しいところを見せて申し訳ない。居間の方にも暖炉があるので、そちらで話をさせて貰っても構わないだろうか」
「あ、あたしは構いませんけど……なんでソファ?」
「席が足りないからな」
いや、それでも貴方が担いでいく必要はないと思うんだけど。次期当主なんだし、せめて使用人に頼むとか方法はあるだろう。
了承を返せば先輩は先導するようにスタスタと進んで行く。その姿には何のためらいもなく、平然としている。意外と筋力もあるのね、この人。
知り合ってから四年経つけど、予想外の行動をするところは全然変わらないみたいだ。メリルはよくずっと恋人をやっていられるものだわ。
「待ちなさいギルベルト。私の話が終わっていないだろう」
当然ながら祖父殿はまだ怒っており、先輩の両親も息子の行動をぽかんと見送っている。が、残念ながら止めて止まるような男でないのは、我々学院生には周知のことだ。
一応双方をうかがった後、声を上げる祖父殿に礼をしてから、あたしと閣下たちも先輩に続いて客間を後にする。
最初から用があるのは先輩にだけだし、少なくとも、この爺さんよりは彼の方がまともだしね。
「……防音結界張ればいいかな、と思ってたんですけど」
先を行く先輩に駆け寄って耳打ちすれば、彼は器用に視線だけをこちらに向けて苦笑する。
「面倒なことを言われて絡まれるぞ。お前が本当に『アイスラー』なら、あの爺のやったことはだいたい調べがついているだろう?」
「……まあ、本当にアイスラーなので、存じておりますが」
返された言葉にあたしの方も乾いた笑いを浮かべてしまう。
クラルヴァイン家……いや、先輩のことに関しては、実は恋人のメリルよりも調べていた自信はある。もちろん理由は可愛い相方を案じてだけど。
今更な話になるけれど、この国の貴族に『親が決めた婚姻に従わなければならない』と言う法律はない。むしろ強要しすぎると、そっちを諌める法があるぐらいだ。
なのに何故、貴族の子息・子女は親に従い、家柄を重んじての婚姻を結ぶのかと言えば、他でもない。『今の生活水準を維持するため』だ。
身分を越えて愛を貫くこともできるけど、それをして失うものは結構多い。家を残すのはもちろん大事だけど、だいたいこっちが本音である。
贅沢な暮らしを捨てられないがゆえに、貴族は貴族同士で脈々と血を繋いでいくのだ。今も昔も、ずっと変わらない。
ただし、例外もある。それが、先輩やあたしたちのような『魔術師』だ。
わが国『魔道国家ロスヴィータ』において、魔術師は時に貴族を凌ぐ発言力を持つ。特に先輩のような優秀な人物は、わざわざ貴族らしい婚姻をしなくても十分な立場を確保することができるのだ。
まあそれでもやはり、豊かな暮らしを続けるためには貴族同士の方が都合もいい。
クラルヴァイン家の『貴族派』も、当然その方向で動いていたのだろう。あんまりにも勝手な動きをしたらしく、先日も魔術協会が全面協力をして先輩の婚姻話を止めたと聞く。
今の『貴族派』代表は先ほどの祖父殿だ。組織が動くような面倒ごとをやらかしてくれた相手とくれば、そりゃ仲は悪いわな。
「……もしかしなくても、家を出ると言っていたのはお爺様が原因で?」
「あれ一人だけではないけどな。後でちゃんと座って話す。それより、メリルに関わる話なんだろう、相方」
「モニカです。覚える気ないでしょう、貴方」
またも器用に目だけ笑ってよこした彼は、メリル以外は本当にどうでもいいらしい。あたしの親友を一途に愛してくれることは有難いけど、協力者として名前ぐらいはそろそろ覚えて欲しいものだ。
そんなしょうもない会話をしつつ、ほどなくして通された居間の方では、少し慌てた様子の使用人たちがあたしたちを迎えてくれた。
急にソファ担いだ男が入ってきても『少し慌てる』で済むあたり、本当にこの家の教育は行き届いているわね。あの爺さんは好ましくないけど、貴族としてのクラルヴァインは、やはり安定しているようだ。
足されたソファも合わせて皆が着席し、ようやく配られた紅茶にホッと息をつくと、『そういえば』と先輩が切り出した。
「ずいぶんお待たせしてしまったが、そちらの方々は誰なんだ? 相方」
「聞くの遅いですよ、先輩」
むしろ、本来ならばあたしよりも先に紹介しなければならない方だ。お忍びを兼ねた訪問だったとは言え、彼らには本当に失礼な対応ばかりしてしまっている。
今更ながら腰を折って頭を下げると、閣下は気にするなと言うように手を振って返してくれる。
それから姿勢を正すと、穏やかに微笑んだまま、先輩に向き直った。
「初めましてギルベルト君。私はメリルの祖父だよ」
「大変失礼いたしました!!!!」
次の瞬間、長身の彼は床に平伏していた。
『クラッセン公爵家』でなく『メリルの』と名乗る辺り、さすが閣下よくわかっていらっしゃる。
そして、わずか一秒で床に土下座した先輩もさすがだ。メリルのためなら本当に全力だな。自尊心なんて投げ捨てている。
さて、ここから先は閣下と先輩の話だ。
いきなり変わった空気に戸惑う従者さんを案じつつ、部外者のあたしもゆっくりと紅茶をすする。
果たしてどんな話になるのかしら、ねえ先輩?




