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SIDE:モニカの話04

 戸惑うことも言いよどむこともなく、先輩がさらっと告げた一言に、あたしたちの方が動きを止めてしまった。

家を出る……この言い方からするに、ただ出かけるとか学院地区に戻るとか、そういうことではないだろう。


「どういう、ことですか?」


「どう? 言葉通りの意味だ」


 この辺りの担当からは何も聞いていないのに。声が震えないように気をつけながら彼を見上げれば、ギルベルト・クラルヴァインはいつも通りの調子で返してくる。

貴族の跡継ぎが、そう簡単に『それ』を手放せるわけがないとわかっているだろうに。


 降り続く雨の中、次の言葉を決めかねていれば、ふと彼の後ろから走ってくる人影が見える。

「待ちなさい」と強く呼びながら駆け寄るのは、彼によく似た青銀髪のややきつい顔立ちの女性。その後を追うように、苦笑を浮かべて駆け寄る背の高い男性。……外見の年齢や顔立ちから察するに、先輩のご両親だろう。つまり、今のクラルヴァイン子爵夫妻。

雨に濡れることもいとわず何やら話しかけているが、先輩は聞く耳持たないといった様子であしらっている。


(なんか、間が悪い時に来ちゃったかしらね)


 あたしは雨避け外套を貰っているし待っても構わないけど、後ろには今も大物がお待ちなのよね。それも、馬車の屋根でギリギリ雨をしのいでいるような、非常に無礼な状態で。これ以上外で待たされるのは、突然訪問した身とは言えちょっと遠慮したい。


「お取り込み中申し訳ないのですが、お話しできませんかね」


「おや、貴女はどちらさまかな?」


 睨み合う母子はおいといて、少し離れた所の先輩父に話しかければ、おっとりとした様子で微笑みかけられる。先輩にはあまり似ていないけど背は高い。ここは父親譲りなのか。

雨を避けつつ懐からペンダントを差し出し、母子にも見えるように簡易式の貴族礼をする。


「お初お目にかかります。モニカ・アイスラーと申します」


「……アイスラー、ですって?」


 すると、先輩母の方もようやくこちらに気付き、話し合いを中断した。先輩本人は……あ、駄目だ『ああ、そんな名前だったな』程度にしか驚いてないわ。家名に気付けよ、このド天然。


「『陛下の耳』を(わずら)わせるようなことはしていないはずだけど、何かあったのかしら?」


「いえ、実はアイスラーからの使者ではなく、今回は個人的にギルベルト様に用事がありまして。ね、先輩?」


 ちらりと先輩に合図を送れば、一瞬ためらったものの、美形男はすぐ神妙な顔を作って頷いてくれる。

あたしたちの様子を確認すると、先輩母はすぐに背後で待機していた使用人たちを呼びつけて、屋敷へと案内してくれた。



「……おい相方、まさかメリルに何かあったのか?」


 水たまりの少ない道を選びつつ彼らについて行くと、近づいてきた先輩がまだ神妙な顔で聞いてきた。ああその顔、空気を読んで作ったんじゃなかったのか。


「モニカです。いい加減名前覚えて下さいよ。問題は起きてませんが、一応メリル関係で伺った次第ですよ。家を出るなら後にして下さいね」


「……わかった」


 苦虫を噛み潰したような複雑な表情で、先輩は先導する使用人たちの方へ走って行く。全く、あの男の頭にはメリルのことしかないのかしら。……愚問だったわね。



 両開きの大きな扉を開けて迎えられるのは、貴族の屋敷にしてはやや小さめの玄関広間(エントランスホール)。年季を感じさせる造りだけれど、手入れは隅々まで行き届いており、落ち着いた色合いで品も良い。

使用人たちはすぐに大きめのタオルを全員分届けてくれ、通された応接間も暖炉で十分に暖められていた。うん、使用人教育もできているみたいね。

「すぐに温かいお飲み物をお持ちします」と礼をして去っていく彼らを見送り、すすめられたソファへと足を運ぶ……と、席にはすでに先客がいた。


(この方は……)


 先輩やその母親によく似たきつめの顔立ちの男性。閣下よりも少し年上に見えるが、背が曲がっていることもなく、上等な服を着こなして姿勢良く腰掛けている。

両手に握る杖は歩行補助ではなく、おそらく権威の象徴のために持っているやつだろう。


(先代のクラルヴァイン子爵か)


 つまり先輩の祖父にあたる人。確か今とその前の子爵は『貴族派』の人間だったはずだ。彼を視界に入れた先輩が眉をひそめたので、正解だろう。

ちらりとこちらに視線を向けると、鋭い目をさらに細くして、睨むように顔を歪ませた。


「お待たせしましたお父様。こちらは、『陛下の耳』(アイスラー)からのお客様です」


「お初お目にかかります、モニカ・アイスラーと申します」


 先輩母の紹介に合わせて、今度は簡易式でなくきちんと礼をする。びしょ濡れなので様にはならないけど、間違ってはいないはずだ。

にも関わらず、心底鬱陶しいと言った様子で軽く流されてしまった。あちらが名乗ることも、まず席を立つこともしない。

うわあ、“貴族様”気質の人か。たかが子爵がいい度胸だ。うちは貴族ではないけれど、あたしたちが見聞きしたことは余すことなく女王陛下に届くとわかっていないのかしら? 今度からこの辺りの監視厳しくするぞこの(じじい)


 少々イラッとしたけど、先輩母の方が謝ってくれたので、とりあえず表には出さずに会釈をしておく。先輩が貴族であることを嫌がっていたのは、こうした親族を間近で見ていたからなのかもしれないなあ。閣下とは大違いだ。

 作り笑顔でそんなことを思っていれば、当の先輩が母親よりも一歩前に出た。


「これから彼女たちと重要な話をしなければなりません。恐れ入りますが、お爺様は席を外して頂けませんか?」


「私に聞かれては困るような話なのか?」


「ええ、邪魔です。この老害」


 淡々と交わされた会話の最後で空気が凍りついた。先輩は予想以上にこの人を嫌っているようだ。鋭い金眼は侮蔑(ぶべつ)一色に染まっており、魔術師特有の殺気を放っている。

 息子をいさめようとした母親も、彼のあまりの視線の冷たさに手が止まってしまった。そりゃそうだ。この男は今の魔術協会で最強の一角と言われている魔術師だもの。ただの貴族では手が出せない。

逆に、魔術師の父親の方がなだめようと声をかけているけど、どちらも聞く耳持たないようだ。


「あの先輩、お爺様がいらっしゃっても、私たちは構いませんが」


 先輩父を助けようとあたしも声をかけてみるものの、四つの金眼に睨み返されてしまった。爺はともかく、アンタまで睨むなよ先輩!


「……申し訳御座いません、閣下。色々と間の悪い時に来てしまったようで」


「いいや、君のせいではないよ。わざわざこんな悪天候の中、駆けつけて来てくれた君が悪いものかね」


 こっそりと背後を伺えば、従者さんと一緒にタオルをごしごししていらっしゃる閣下。ずっと静かに様子を見守ってくれていたけれど、表情は穏やかに笑ったままだ。

……ただ、その優しい目はちっとも笑っておらず、厳しい色を浮かべているが。


(メリル……あたし、頑張ってるからね……)


 前でも後ろでもひと波乱起きそうな状況に、キリキリと胃が痛む。

先輩ではないけど、なんだか無性にあの可愛い相方が恋しくなった。

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