SIDE:モニカの話03
あたしが告げたここまでの出来事を、元公爵閣下は最後まで静かに聞いていてくれた。
平民には一生縁のなさそうな豪奢な馬車の中。びしょ濡れだったので遠慮したのだけど、持ち主がどうしてもと言ってくれたので、現在は中に向かい合って座っている。タオルも貸して貰えたし、こちらとしては本当に有難いのだけど。
「モニカさん、と言ったね? 君はどう思う?」
「どう、とは何に対してでしょうか?」
ようやく口を開いた閣下は、その年不相応に鋭い眼差しをまっすぐにこちらに向けて来る。
「ギルベルト君、だったかな。メリルのお相手について、君はどう思う? アイスラー家としての視点ではなく、女性としての君の意見を聞きたいね」
「……ふむ」
メリルの父君の言った通りのようだ。閣下はメリルのことを本当に大事に思っているらしく、その孫娘を勾引かす男が気になるのだろう。クラルヴァイン家の云々などどうでもよくなるぐらいに。
もっとも、爵位は格段に閣下の方が上なのだから、彼からすれば他のことなど最初から問題でもないのかもしれないけど。
「強いて言うなら、そうですね。“良い意味で”恋に狂った男、でしょうか」
良いと強調したのだけど、普段会話には登場しない言葉に閣下もその従者もやや眉をひそめる。無言で続きを促されたので、あたしは顔を笑みを変えてから続ける。
「おそらく閣下の方がわかる感覚だと思いますが。貴族は本人よりもまず、後ろについてくる家柄を見られるでしょう? 彼もその一人だったと思います。そして、それを彼は望ましいとは思っていなかった」
と言うより、大抵の子はそうだと思うけどね。個でなく後ろを見られる感覚は、それほど有名でもない『アイスラー』を名乗るあたしにも少しだけわかる。自分を見て貰えないのは、慣れていても結構不快だ。
それを『仕方ないこと』と割り切れるようになるには、結構時間もかかる。
「彼は魔術師として有名な家の人間でしたから、学院では特によく見られたでしょうね。問題は一つも起こしませんでしたが、いつもつまらなそうな無表情の男だったと聞いています。立場を鼻にかけるような人なら、また違ったのでしょうけど」
そもそも、学院は出自を問わず入学出来るが、同時に対応も全て平等なのだ。どんな名門でも高位貴族でも、従者一人伴うことすら許されない。
そして、全寮制の上に二人部屋。家自慢の新入生が問題を起こすのは恒例行事だったらしい。
しかし、かのクラルヴァイン先輩がそうした問題を起こしたことは一度もないし、むしろ寮の相方とは友好な関係を築いていたはずだ。
貴族らしからぬ思考だからこそ、そうした関係を築けたのであり。同時に『つまらなそうな無表情』になってしまったのだろう。元々表情筋は硬そうだけど。
閣下は少し彼の人となりがわかったのかもしれない。先ほどより少しだけ表情を穏やかにして、また無言で先を促す。
「容姿がとても整った人ですから、女性にも人気はありましたよ。けれど、ほとんど上手くいかなかったようですね。彼に群がるのは『クラルヴァイン』を欲する者ばかりで、純粋に恋愛をしてくれる子はいなかったみたいですから。まあ、これは貴族社会ではよくあることですが」
「はは、手厳しいね」
「……失礼致しました。家同士の繋がりを考えることは大事なことですね。ですが、彼は学院でそれを望まなかったからこそ、上手くいかなかった。恋愛を諦めていたのでしょうね」
目の前の人も貴族だったと思い出して、苦笑する二人に頭を下げて返す。一応それっぽい教育も受けたけど、あたしも平民寄りの思考なんで勘弁して貰いたい。
「えっと、続けますね。詳しくは言えないのですが、実は彼とメリルが出会ったのはちょっとした事情がありまして。彼はメリルと“恋愛をしなければいけなくなった”のです」
「しなければ? それは、強制と言うことかね?」
「そうですね。メリルも最初はとても嫌がっていましたよ。けれど、彼からすれば正に天啓でしょうね。だって、恋をすることを“我慢しなくていい”のですから。メリルには言ってませんけど、あの人の好みぴったりだったんですよ、彼女」
思い出したらつい笑いがこぼれた。四年も前のことなのによく覚えている。メリルを追いかける彼の、あの幸せそうな空気ったらない。ご主人様を追いかける犬そのものだった。尻尾ぶんぶん振ってたわよね、あれ。
首をかしげる二人に当時のあれこれを少し話してみるものの、美形の容姿と結びつかないのか、さらに疑問符を浮かべている。
「彼にとってメリルは、ようやく見つけた運命の女だったでしょうね。そして、全身全霊でメリルを求めて、今に至ります。とりとめもない話になってしまいましたけど、あたしから見て、メリルをあの男以上に愛せる人間なんて、この世界には存在しませんよ」
おそらく、メリルが先輩以上に愛する男も現れないだろう。
相方としてずっと見て来たからこそわかる。あの子は、かの家の『産む道具』にされる可能性すら受け入れている。それぐらいに彼を愛し、離れることを拒んでいる。
……親族が使えるのなら、動いてしまうのも仕方ないじゃないか。あたしは、メリルに幸せになって欲しいのだから。
複雑な思いで閣下を見つめるあたしと、それよりずっと複雑であろう思いを抱えて、深く息をつく彼。唯一の孫娘が長いこと寮生活をしていたと思ったら、男が出来ていたのだ。それも、結婚を前提にしているような付き合いの。そりゃあ複雑だろう。
そんなこちらにはお構いなしに、馬車が今までとは違う揺れ方をして、止まった。
やがて、雨音の向こうから御者の声が伝える。「クラルヴァイン邸に着きました」と。
「……どんな男かは、直接見ればわかるな。今この屋敷にいるのは確かなのだろう?」
「はい。当家の情報を信じて頂けるのなら、ですが」
仰々しく礼をすれば、閣下はまた苦笑しながら衣服をピッと整えた。高齢のはずのその身に、弱々しさなどどこにも見えない。
御者が開けてくれた扉から皆が降り立つと、見計らったかのように薔薇を象った門が開く。
「……え?」
当然ながら今回の訪問は伝えていない。そんな時間なかったし。悪天候のせいか門番もよく見えないそこに、迎えが来るとは思えないのだけど……。
「……あれ、お前はメリルの相方の」
「え? クラルヴァイン先輩?」
開いた門から聞こえたのは、すでに聞き慣れてきた心地よい低音声。現れたのは、雨用の外套を適当にかぶった、まさかの先輩本人だった。今日は彼が招かれた夜会はなかったし、この悪天候で外出するとは思っていなかったのだけど。
「何だ、俺に用だったか?」
「ええ、まあ。先輩はどこかへお出かけですか?」
ひっかけていた外套をあたしの方にかぶせると、金眼が困ったように苦笑を浮かべる。
「お出かけ、と言うより、もうここには戻らん。それもやる」
「は!? え、ちょっと待って? ご実家ですよね、ここ?」
思わず声を上げてしまったあたしに、少し肩をすくめながら、彼は笑った。
「クラルヴァイン家から出ることにした」




