SIDE:モニカの話02
当時のクラッセン公爵家の担当者は語る。かの四男様は、透明人間のような男だったと。
貴族社会は『目立ってこそ』と言う考え方が極めて強いところだ。性別を問わず皆流行の装いを追いかけ、醜聞には耳ざとく集まる。その中でもとりわけ目立つ『公爵位』なんてものを背負っている方々だ。視線を集めないわけがない。
実際に、現在の公爵である長男様を始め、皆煌びやかな世界を堂々と生きてきた御仁たちだ。その中で四男様は、あえて真逆の生き方を選んだらしい。
「ちょっと目を離すと、供もつけずに市井にいる」呼吸をするように監視をして生きてきたアイスラー家の人間に見失わせ、そう言わしめた彼。
フォースター家に婿入りした際も、一切合切隠しごとをしていなかったそうだ。あまりにも当たり前に結婚したものだから、我が家の者も含めて、誰も不思議に思わなかったらしい。ごく普通の平民の娘に公爵家の人間が婿に来るなんて思わないよなあ。
そうして領民たちの声をじかに聞ける立場へ降りた彼は、公爵家にとっては大変重宝する情報源となっただろう。本来なら領主まで届かないささいな会話も、彼を通じて受け取ることができる。
クラッセン公爵家の素晴らしい政治の裏には、彼の活躍があったに違いない。
そんな四男様――メリルの父君に先日会いに行って来た。
「やあ、君がモニカちゃんか。メリルからよく話は聞いているよ」
寮の相方と言うこともあってか、ちゃんとした事前の約束もなく、彼には普通に会うことができた。メリルと同じ濃い青色の髪に優しい形の緑目のおじさま。クラッセン公爵領にあるフォースター家は、小さな宿を備えた料理屋さんだった。
(……ああ、なるほどね)
軽く挨拶を交わしただけだが、一つ気付いた。彼の顔は目も鼻も口も形が整っており、配置もきれいだ。そして、ずっと穏やかな微笑みを浮かべている。
『いい人そう』それが彼の第一印象だ。だからこそ、記憶に残らない。
たとえば、ギルベルト・クラルヴァイン。彼も非常に整った顔立ちだが、第一印象は『鋭い』や『冷たい』だ。あのきつい金眼から感じる負の気持ちが残る。
メリルの父君の整い方は、どちらにも偏っておらず、極めて平均的。体格も太っているわけでも痩せているわけでもなく、かと言って筋肉質と言うこともない。中庸すぎる容姿に加えて無害そうな笑顔。毒にも薬にもならない存在ゆえに、記憶に残らないのだ。
(むしろウチに欲しいわね、この人)
覚えられにくい容姿とか、諜報員的にはすごく羨ましい。まあ、彼は意図的にそうしているんだろうけど。
こほん、と咳払いをしてから、姿勢を整える。街中ではなかなか使わない、淑女の礼の形だ。
「モニカ・アイスラーと申します。お目にかかれて光栄です」
「……ああ、もしかして家の話かな?」
あたしが名乗った家名に、ほんの少しだけ空気が乱れたが、すぐ何ごともなかったように笑顔に戻った。ただ、そのわずかな変化に気付いたのか、奥の方からメリルにそっくりな女性が慌てて走って来る。色合いは父親似で顔立ちは母親似なのね、あの子。
「そちらも関わるかもしれませんが、メリルさんのことでお話がありまして」
入れて頂いても?と首をかしげて尋ねる。一応お昼と夕食の中間を見計らって来たので、仕込み以外はそんなに忙しくないとは思うのだけど。
夫妻は少し顔を見合わせた後に、またニコリと笑ってあたしを準備中になっているお店の方へ案内してくれた。
店の中は質の良い揃いの木材で統一されており、白地のテーブルクロスはお手製なのか、どれも可愛らしい刺繍が施されている。一般家庭の温かい食卓を彷彿とさせる様相だ。
二十人も入れば満席であろう、よくある町の料理店。ここに公爵家の人間が婿入りと言われても、さすがに信じられないわよね。
「さて、メリルについてだったね。何か問題があったのかな?」
四人がけの席に通され、夫人の方が紅茶と手作り風のお菓子を用意してくれる。慌てて持って来たお土産(学院地区でも人気のお菓子)を差し出せば、とても喜んで受け取ってくれた。
「お話の前に確認したいのですが、メリルが二年の頃から付き合っている男性がいるのはご存知ですか?」
夫妻はまた顔を見合わせるとこくりと頷いて返す。父君の方はここに来て、笑顔を消し複雑そうに眉をひそめている。父親ってそんなもんよね。
「ギルと言う名前の、とても良い方だと聞いているわ。確か四つ年上の、学院の卒業生よね? 今は学院地区で暮らしながら、色々とお仕事をなさっていると聞いたけど」
一方夫人は交際に賛成みたいね。そりゃ、これだけ長いこと続いている上、倦怠期のけの字も出ない二人だもの。住所からもメリルの卒業待ちなのがわかるし、結婚を考え始めているだろう。だけど……
「その方で合っていますが……彼はギルベルト・クラルヴァインと言うのですが、本名は聞いていましたか?」
その名を聞いて、夫妻の表情が固まった。ああ、やっぱりか。メリルったら、肝心な部分を両親に伝えていなかったのか。
「……それは、私たちが知っている家のことで間違いないね?」
「はい、その子爵家の次期当主が彼女の恋人です」
あたしの返答に夫人は俯き、父君は彼女を支えるように肩を抱く。困惑は見えるが、姿勢は崩れない。やはり市井で暮らしていても、どこか貴族らしさは残るものね。
「弁明ではありませんが、彼は公爵家の存在を知って交際していたわけではありません。むしろ逆で、『平民のメリル』と結婚するために、今走り回っています。今日伺った理由は正しくそれでして……クラルヴァイン側の説得が難航しています」
なるべく暗くならないように、そう気をつけながら告げれば、彼は大体察してくれたらしい。あたしもまさかこう言う路線でお話に来るとは思っていなかったので、苦笑して返す。
「どうするのか、最終的には本人たちに任せるつもりでいます。ですが、あたしにも動けることがあるのなら……お節介ですけど、つい気になって来てしまいました」
「有難う、モニカちゃん。知っているだろうけど、私は実家と縁を切ったわけではない。動くことになるのなら、その覚悟はできているよ」
年の割りには若い顔に皺を刻んで、父君――クラッセン公爵家の四男様は微笑んで返してくれる。今の生活が崩れるとしても、娘が望むなら“貴族として動ける”とそう笑って答えてくれた。
彼に会いに来る際に調べてわかったことだけど、彼らは平民として普通に結婚しているけれど、同時に『貴族として』も正式に結婚をしていた。
平民であった夫人には後見としてある貴族家がついているし、彼女はもちろん娘のメリルも貴族として最低限のマナーの教育を受けているのだ。
あたしも、六年も一緒に居たのだからもっと早く気付くべきだったんだけどね。メリルの所作が、平民のそれにしては整っているって。
いつも一緒に食事をしていたのが、あのクラルヴァイン先輩だったものだから、彼に合わせて頑張っているんだろうなーと思ってしまったのだ。
彼を嫌がっていた最初の頃から、二人並んだ机に『違和感がない』ことに気付ければよかったんだけど、後悔しても今更か。
そもそも、メリル自身は自分を平民だと信じきっているのだし。
「私も現公爵に話はしておくが……メリルのことなら、父に話をするのが一番かもしれないな」
「父と言うと、先代の公爵閣下ですよね? 今はご不在だったと思いますが」
「はは、さすがアイスラー家。よく知っているね。父は唯一の孫娘を溺愛しているし、我々よりも子爵家への効力もあるだろう。確か、今回の訪問の途中で……」
彼が思い浮かべているであろうものと、同じ旅路を思い浮かべる。引退してなお多忙な元公爵閣下は、今もあちこちの領主を訪問して指導をしているはずだ。確か……
「……っ! 通りますね、クラルヴァイン子爵領!」
道が繋がった。同じ考えにいたった彼も強く頷いてくれる。とは言え、現在地からクラルヴァイン領へは遠くもないが近くもない。彼らの日程を考えれば、家に戻らずにそのまま向かわなければ間に合わないだろう。
慌てて席を立つあたしに、夫妻も同じように立ち上がり、こちらへ頭を下げた。
『ありがとう』と重なって聞こえた声に手を振って返し、あたしはフォースター家を出たその足で、そのままクラルヴァイン領へと馬を走らせることになった。
そして話は、あの豪雨の日に繋がる。




