48:卒業
その日は、雲ひとつないとても良い天気だった。
まるで彼らを祝福するように、どこまでも青く晴れ渡った穏やかな空の下。
学院始まって以来とも言われた優秀な魔術師ばかりの最高学年クラスは、この日ついに六年間の学院生活に終わりを告げる。
やはり注目のクラスと言うことで、卒業式にはそれぞれの親族を始め、魔術協会やそれに準ずる機関の人々が多数駆けつけていた。
それはもう、広大さでは他の追随を許さない学院の中央広場が、ぎっしりと人で埋まるぐらいにだ。
「す、凄いね…」
「まあ、予想はしてたけどね。アンタの恋人も含めて、今期は本っ当に粒ぞろいだったから。新戦力獲得にどこも必死なんでしょ」
式場からも見える人・人・人の波に、隣りのモニカと共に溜め息をつく。
実はこの式典に、下級生の参加は義務づけられていない。どちらかと言うと『人数が多過ぎて入りきらないから来るな!』らしいのだけど、私は先輩が『是非に』言うことで先生に許可を貰い、在院生席から様子を眺めている。モニカも私とは別件で許可を貰っているみたいだ。
滅多に見られない光景が見られたので、こう言う部分でも先輩に感謝しないといけないかもしれない。
卒業式と言っても何か大掛かりな儀式と言う訳ではない。卒業生代表と在院生代表の送る言葉。先生や来賓の方々の挨拶などが済めば、それで式は終了。証書などの大事な書類は、個別にちゃんと渡されるようになっているらしい。
やがて、卒業生たちの退場及び解散へ向けて、外の人々の緊張感も高まってくる。式の最中はそれでも静かにしていたようだけど、だんだんとざわめきが聞こえてきた。
(おめでとうって言いたかったんだけど、コレは難しいかしら)
先輩は今期の中でも優秀な魔術師でありながら、子爵と言う階級持ちの貴族だ。加えて、私と言う存在が公になってからもそのモテっぷりは健在であり…うん、彼を目当てに集まっている人がいない訳がない。
一応先生がたも知っている恋人ではあるけれど、貴族などの話なら私が口を挟めるとは思えないし。
(仕方ない。先輩の最後の姿を見られただけでも良しとしよう)
本当なら去年同様に、今日は寮でのんびりと眺めて終わるはずだったんだ。先輩の傍で、かつ数少ない在院生席を頂けただけでも十分過ぎるだろう。
退場の時はなるべく邪魔にならないようにと、出口とは逆の方向へ体を向け始めて…
「メリル」
「…え?」
そんな私の腕を掴む大きな手。見上げれば、優しげに微笑む金眼と合う。
「先輩、どうして?」
いつも着崩していた制服はしっかりとボタンを留めて、男女色違いのスカーフもキチっと決まっている。それだけでも貴族らしい気品溢れる姿だと言うのに、極上の笑顔付きとなれば見惚れてしまっても仕方ないと言うもの。
一瞬言葉を失って固まれば、彼はそれを了承と見たのか、私の手を引いたままスタスタと歩き始めた。
「え、あ!? ちょ、ちょっと先輩!?」
「こっちだメリル。今日はどうしても一緒に行きたい所があってな」
さっき卒業した最高学年とは思えない、子供のような無邪気な顔。声も弾んでいて、ついて行かなければ私を抱えてでも連れて行きそうなノリだ。
早足で式場を出て、そのまま待ち構える人々の中へずんずん進んで行く。
先に出ていた卒業生たちはもちろん、先輩に用があったと思しき人々も全部無視して、先輩は歩みを進めて行く。あ、今明らかに女の子が呼んでいたのに。
「先輩、いいんですか!?」
「何がだ? 拘束されるのは式が終わるまでで、後は自由だぞ?」
「そうじゃなくて、先輩に用のある方もいらしてると思うんですけど!」
ほら今も。まさに通り過ぎた紳士風のおじ様は、先輩の名前を呼ぼうとしてポカーンとしてしまっていた。あのパッと見でも上等な衣装と佇まい、多分貴族だ。無視してしまっていいのか!?
「用のあるヤツには、明日以降に約束をしてある。事前連絡なしで来た連中なんて、気にしなくていいぞ?」
「そ、それはそうですけど…」
今日は卒業式。いわゆるおめでたい日である訳で、集まった人たちもお祝いを伝えに来てくれている訳だ。
そこに打算があったとしても、おざなりな対応をしてしまうのはこう…後々響いたりしないのだろうか。
「心配いらん。万が一急ぎの話があった場合も考えて、家の者をおいてある。俺への用件はちゃんと後で確認する」
「それならいいんですけど」
ちょっとだけ眉を下げた先輩が、手を絡ませる形に握り変えて微笑む。ま、本人が大丈夫って言うなら、私はそれを信用するしかないか。
無視してしまった人たちには申し訳ないけど、私も手を握り返して歩くペースを速める。
そうして人々の波を越えて、見慣れた門をくぐり、その先の商店街『学院地区』まで出て来た。
「えーと…ああ、こっちだ」
先輩は少しだけ周囲を見回してから、大通りとは一本離れた道へ進んで行く。
この先は住宅地区だ。学院の先生の中でも家庭を持っている人や、この学院地区に勤めている人が主に暮らしているのだけど…
「買い物に来たんじゃなかったんですか?」
「違うぞ。俺もまだちゃんと覚えてなくて……ああ、青い屋根。アレだ」
商店とは違った造りの家が並ぶ中、ひとつひとつ確認しながら歩いていた先輩は、小さな一軒家の前でようやく足を止めた。
白いレンガで造られた、青い屋根の小さな家。とは言え、建ってからまだ新しいようだし、窓や入り口などには細やかな装飾が彫ってある。それは華美ではなく、どちらかと言えば物語に出て来るような愛らしさの方が強い。
「可愛いお家ですね」
「だろう?」
率直な感想を呟いた私に、先輩はまたにこにこと笑って返す。
手を引いて、玄関まで連れていったと思えば
「え?」
てっきりノックをすると思ったのに、先輩の手は入り口に鍵を差し込んでいた。カチャンと軽い金属音がして、扉が開く。
「ここ、先輩の家だったんですか」
「だった、と言うよりは、『そうなる』だな。鍵も昨日受け取ったばかりだ」
手を繋いだまま、二人で扉をくぐる。
可愛らしい外見とは裏腹に、なるほど確かに中は殺風景と言っても良いほどに物がない。
入ってすぐに確認できた部屋数は三つ。台所兼食堂、リビング、そして奥に寝室だ。台所の奥にお風呂場っぽいものも見える。
一階建てで、恐らく一人暮らし用の住居。ただ、置いてある家具はどれもまだ買ってきたばかりのようで、本棚や食器棚は空っぽだし、ソファなどもホコリ避けがついたままだ。カーテンは畳んだままで窓辺においてある。
「明日からの学院地区での俺の家だ。これから引越しだから、まだとても住める状態じゃないけどな」
「ここが…」
そうか、先輩はさっき卒業したんだ。もう学院生として寮で暮らすことはない。
お昼休みに、彼が迎えに来ることもない。
ぼんやりとしていた感覚が、ようやくハッキリする。彼はもう、学院の先輩ではない。
「でだ、メリル」
確認した現実に少し戸惑っていれば、繋いだ手の中に冷たい感触が滑り込む。
慌てて放して手を開けば、そこには金色の小さな鍵を握っていた。
「この家の鍵だ。いつでも、好きな時に使ってくれ」
「えっと…これは、俗に言う合鍵と言うやつですか?」
「ああ、そうだな。親にも渡していない。俺とメリルだけの家だ」
そう珍しい形でもない、ありふれた家の鍵。けれど、とても大切なものに見えて、両手でしっかりと握り締める。
私とギルベルト先輩をこれからも繋いでくれる、とても大切なもの。
「俺はまだ離れない。卒業はしたが、これからもメリルと一緒だ」
金眼が柔らかく閉じて、そっと私の額に唇を寄せる。
先輩の大きな手、温かい体。私はまだ、この幸せな場所と離れなくていい。
「……卒業、おめでとうございます。ギル」
「やっと笑ってくれたな」
式場で言っていたら、ふわふわと落ち着きのない言葉だったかもしれない。
だって実感わかなかったし、外の雰囲気に気圧されてしまっていたし。
「他の誰からもお祝いなんていらない。俺はメリルからちゃんと聞きたかったんだ。勝手に連れて来て悪かったな」
「いいえ。私も、ここでないと言えなかったでしょうし」
今この場所で。『私と彼を繋ぐ場所』と教えて貰ったここだからこそ、私は笑って言えた。心からのおめでとうを。
……さよならと同義のおめでとうなんて、笑って言えるほど器用じゃないから。
「最後まで面倒かけてごめんなさい。有難う、ギル」
「いいや、ただ俺のわがままだ。俺だって、メリルと離れるなら卒業なんてしたくもなかったが…これからのために、やらなきゃいけないこともある」
温かくて大きな手が、私の両手を包む。鍵を握り締めた両手を。
「返されたらどうしようかと思っていた」
「返す訳ないでしょう。あと四年は、返しませんよ」
「ああ、そうだな」
さらさらの青銀が私の青に絡む。こつんと触れた額に続いて、私は少しだけ背伸びをする。
最初はあんなに抵抗していたのに、一度触れてしまえば彼のくれる温度はとても愛しい。
幸せな時間は、卒業してしまった後も、ちゃんとここにある。
それから少しして、ある休みの前日のこと。
私は入学してから初めて、実家へ帰る以外の理由の外泊届けを提出した。




