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40:窮地

※SIDEではありませんが、ギルベルト視点です。


一体何が起こったのか。

思考が一瞬で吹き飛んで、ただただ名前を叫んだ。


腕の中に横たわる最愛の彼女は、焦点の合わない目を何度もまばたきながら『きをつけて』と声になっていない呟きを落とす。

つい先ほどまで笑っていたのに、何故急にこんなことになったんだ!?


(この部屋の魔術は結界だけだ…ならどうして!)


メリルを引き寄せながら、もう一度さして広くもない部屋を見回す。

入った時にあった違和感は、『箱結界』が発生した時点で消えている。何度確認しても、この部屋の中には他の魔術は仕掛けられていない。


(だとしたら外で…いや、有り得ない)


ここに来るまでの道のりでは、俺が全神経を動員してメリルを守っていた。彼女に害が及ぶなら、先に俺に当たっていたはずだ。


「メリル…メリル」


握り締めた小さな手は、少しずつ冷たくなってきている。

幸い苦しんでいるような様子はないが、静かに眠り落ちていくような姿が逆に恐ろしくもある。

“このままメリルが消えてしまうのでは”よぎった言葉に頭を振って、俺の体温を分けられるように強く強く引き寄せた。


(どうしてメリルだけがこうなった?)


最初から、ここに呼び出されていたのはメリルだった。犯人は間違いなく彼女を害そうとした人物。それは見つけ次第半殺しにするとしても、一緒に居た俺は無事で、何故彼女だけが倒れたんだ?


(考えろ…特定人物だけを害する魔術…何かあったはずだ)


浮かんで来るのは関係ない攻撃魔術ばかり…違う、そうじゃない! 思い出せ、何のために六年も学院に居た!!


これまで読んで来た魔術書、授業の板書き、教師たちの言葉。知識と思しきものをひっくり返すようにあさる。

けれど、思い当たる魔術は浮かんで来ない。そもそも、“特定の人物を指定して害する”ようなものは一般的に『呪術』に分類され、学院はもちろん国が使用を禁止しているのがほとんどだ。

そんなものを使う生徒が、学院内にいるとは考えにくい。


「……っ」


「メリル!」


彼女から聞こえた小さな呻き声に、慌てて体を抱き締め直す。

体温がますます下がって来ている。早くここから出なければ。バレット教師、早く気付いてくれ!


(俺の知識じゃ原因はわからない。早く、専門の人間に診せないと)


何が名門家だ。ただ戦えるだけじゃ、メリル一人守れないのに。俺はここまで何をしてきたんだ!


(くそ、もっと別の分野も見ていれば…知識………本?)



ハッと視線を上げれば、飛び込んで来るのは天井近くまでズラリと並んだ本棚。

もちろん、そのいくつかは箱結界の範囲内にも入っている。ここに魔術書があれば、メリルの状態がわかるかもしれない。



そう思って立ち上がって……俺は自分のお粗末さを後悔した。



並んだ本棚にはどれもビッシリと本が詰められているのに、結界内にあったその棚は、一角丸々本が抜けていた。

そして、棚が空いているにも関わらず、足元に本が積んである。いくら特殊棟の倉庫とは言え、学院の資料をぞんざいに扱うとは考えにくい。


「……先入観ってのは、視野を狭くしていかんな」


メリルをなるべく扉側に下ろしてから、棚の足元の本に手を伸ばす。

無造作に積んでいるように見せかけて、それは囲うように“組まれて”いた。


「………ッ!」


本の囲いに隠してあったのは、手に乗るほどの小さな試験用フラスコ。中には透明な液体が少量入っており、細い煙をあげている。

手が届くまで近付いて、俺もようやくわかった。本当にわずかだが、埃とカビが混じったような湿った臭い。実家に居た頃に“よく嗅いでいた”


「神経毒か!」


確か、毒の中でも比較的調合が簡単で、それなりの値段で入手することが出来るもの。『よく見るだろうから覚えておけ』と親族から何度も言われていた毒の一つだ。

考えてもわからない訳だ。原因は魔術ではなかったのだから。


「全く、これだから『魔術師は頭が固い』と言われるんだな」


自嘲を噛み締めつつ、フラスコの口に制服のスカーフを突っ込んで、容器は上着できつく巻いておく。

これでしばらくは止まるだろうが…


「メリル。しっかりしてくれ」


フラスコをなるべく結界の隅に置き、再度メリルの体を抱き直す。体温はすっかり冷たくなり、小さな口からこぼれる吐息も弱弱しい。

あの毒がメリルにだけ効いた理由は簡単だ。貴族の俺は、ある程度の毒には耐性をもつように仕込まれている。面倒で仕方なかったが、今ばかりはメリルと体を変わってやれたらいいのにと思う。


(効果は確か催眠薬に近い、麻痺と昏睡だったか。大量に摂取していれば命にも関わるが…)


いや、俺の体格で考えるのは間違いだな。メリルは俺より細いし小さい上、毒の耐性もない。それに、さっきも部屋の臭いについて何か言っていたし、そういうものに敏感なんだろう。

一分一秒でも早く、ここから出してやらないと。


「メリル…もう少しだけ我慢しててくれ」


血の気の引いた小さな顔が、少しだけ頷いて返してくれる。

なるべく外気に触れないように、冷え切った体を強く強く抱き締めた。






*  *  *



閉じ込められてから、どれぐらい時間が経っただろうか。

最初の方はここまで届いていた喧騒も、聞こえなくなって久しい。

この部屋には時計がないので、己の感覚だけで判断しているが…妙に長い気がする。せっかくメリルと二人きりで過ごしているのに、一秒一秒がひどく重い。


「……メリル」


繰り返し口をついて出るのは、彼女の名前。

その度に少しだけ頷いたり、裾を握ったりして返してくれていたが、だんだんとその反応も鈍くなってきている。

張り付いた髪を流してやれば、濃い髪色とは対照的な白い顔。愛らしい目は閉じられたまま、長い睫毛の落とす影が何とも切ない気分にしてくれる。


「寒くないか?」


小さな手をとり、指先に甲にそっと口付ける。どこもかしこも冷たくて、手首から感じる鼓動さえも弱弱しい。

早く、今すぐにでも出してやりたいのに。背後の扉は静かなままだ。待つことしか出来ない自分が悔しい。


「メリル…」


もう何度呼んだだろう。俺の大切な恋人の名前。口にする度に温かくて、苦しい。

早く、早く、早く、早く。誰でもいい。誰か、気付いてくれ。メリルが、こんなに冷たい。



「………ギル」


「ん、何だ?」


風に消えそうなか細い声が、珍しく愛称を呼んでくれる。

絡めた指を握り返して………………その手が落ちた。


「……メリル?」


ぱたりと。俺の手から滑り落ちて、垂れ下がったまま動いてくれない。

周りの音が消えた気がした。



「メリル? おい、メリル!?」


引き寄せた顔はぴくりとも動かず。かろうじてもれる空気の音が、徐々に小さく消えていく。

砂時計の砂のように、何かが、サラサラとこぼれて行くような。

俺の手から、消えてしまう……?




《杖を!!》




そう叫んだのは無意識だった。


ほのかな熱の直後に、手にずっしりとした感触。

上から下まで黒塗りの自分の杖が『命を刈り取る誰かのナニカ』に重なって、反射的に彼女から遠ざけた。



《怒り逆巻く暗きものよ、我が下に集いて煉獄と成せ!!》




我ながら悲鳴のような詠唱だ。

口をついて出たのは、知る限りでは最上位の破壊攻撃魔術。


至近距離での爆発に、一瞬で狭い部屋の中が真っ赤に染まる。


けれど、続いて聞こえるのは破壊音でなく、ガラスをこするような耳障りな騒音で。




「………くそッ!!」


視界が元の色に戻れば、変わらない風景がそこにある。

正方形の並んだ薄くも厚くもない『鉄壁』が、そこに。



「嫌だ…メリル! 誰か頼む、気付いてくれッ!!」


拳を叩きつけても、何の音もしない。こちらの骨に振動が残るだけ。

今の俺では壊せない。早く出ないといけないのに、このままじゃメリルが手遅れになってしまう!


「メリル、俺はどうしたらいい…?」


引き寄せた体は冷たく、動かない。頬は白く、小さな唇は色を失って。



「…………メリル」


そっと、その唇に触れる。

いつも薄桃色をしていたそれは、水気を失い乾いてしまっている。

けれど、柔らかくて、愛しい、彼女の。



「……一か八か、これしか、ないのか」


本当はいつも触れたかった。ずっとメリルにこうしたかった。

けれど、彼女を“本当に好きになったから”出来なかった。


この行為には『意味』があるから。

利用なんてしたくない。そんなことのために、彼女に触れたい訳じゃない。


だけど、彼女を助けられる手が、これだけなら




「………メリル、好きだ」




静かに唇を重ねた。


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