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38:蜘蛛


「そう言えば先輩、足止めされてたって聞いたんですが、大丈夫ですか?」


「足止め? 俺がか?」


注目の的になりかけていたお手洗い付近から走って離れて、現在地は最初の集合場所になっていた正門前の中央広場。

形の良い眉を少しだけひそませながら、ギルベルト先輩は数秒間考える姿勢を見せた後、『ああ』とこちらを振り返った。その顔は、何となくスッキリとしている。


「そうか、あれは足止めをされていたのか」


「え、気付いてなかったんですか!?」


「いや、手洗いの扉が開かなくてな。出るのに少々手こずったんだが…屋外だから立て付けが悪いのか、あるいはどこかの魔術が当たって壊れたのだと思っていた」


「そう言えば、外につっかえ棒らしきものがあったかもなー」なんて、先輩は明るい表情で笑っている。相変わらずこの人は、外見鋭いくせに中身抜けまくりだわ。

とにかく、『足止め』と言うのは、言葉の通り物理的に止めていたらしい。魔術が使える外側から結界張るとか色々あっただろうに、そのまま塞ぐあたりやさしいと言うか何と言うか。


(てっきり、ノックス先輩の関係者が、先輩に何かしたのかと思っていたのだけど…)


考えてみれば、三年生が最上六年生に試験以外の場所で挑む訳はないのか。ましてや、相手は『優等生のクラルヴァイン先輩』だし。


「ちなみにどうやって出て来たんですか?」


「どう? 普通に蹴破ったぞ?」


……閉じ込められた側も力技で出て来たらしい。

お手洗いは魔術禁止だったとは言え、ここが一体“なに学院”なのか忘れそうなやりとりだわ。

もっとも、先輩が無事なら何でもいいんだけど。


「メリル、心配してくれたのか?」


「しますよ、そりゃ。ノックス先輩ちょっと怖かったし」


「そうか」


微笑んで、繋いだ手をくいと引かれれば、気付いた時には先輩の腕の中だ。

今日は本当に一日中ここに居る気がする。周囲から刺さる視線が気にならないと言えば嘘だけど、それ以上に先輩の腕の中は温かくて心地よい。本音を言えば、ここで暮らしたいぐらいに。


「待たせてすまなかった」


「いいえ。私こそ、あの頑丈な扉を蹴らせてしまってごめんなさい。怪我はないですか?」


「ああ。メリルが守っていてくれたからな」


頭上から降りてくる優しい言葉で気付く。いつの間にか、先輩にかけていた補助魔術が切れてしまっていたようだ。

かけ直しの呪文を口にしようとして…やんわりと先輩の手に止められた。


「先輩?」


「俺はメリルを利用しないと、さっき言ったばかりだ」


「………」


『利用』と言う言葉が胸に刺さる。

始まりこそ“そう言う関係”を求められたけれど、今の先輩は私をとても大事にしてくれている。それはもう度が過ぎるほどに。

もし彼やノックス先輩の言っていたことが本当なら、私の補助魔術は先輩の役に立てる今唯一の手段だ。それを、『利用』と言う一言で括られるのは悲しい。


「大事にしてくれるから、私も返したいだけなのに…それを『利用』と呼ぶんですか?」


「そう見えるのなら、仕方ない」


思ったよりも弱弱しい声が出て、先輩が苦笑しながら頭を撫でてくれる。

好きな人の役に立ちたいと思うのは、はたから見たら悪いことなんだろうか。

他人なんて、何も知らないのに。


「メリルの気持ちは嬉しいし、それがあれば十分だ。ここに居てくれれば、それで」


「守られてるだけの私は立場ないですよ。それに、これ一応試験なんですよ? 魔術使うなって、私を落第させたいんですか?」


「その時は、全部さっきの男のせいだと言っておけ」


ぽんぽんとあやすように撫でられて、それ以上何も言えなくなってしまう。さっきは思い切り抜けた子だったのに、あっと言う間に出来た大人になってるんだもの。つくづく、先輩には敵わない。


(……先輩が嫌な目で見られるぐらいなら、使わないけどさ)


本当に、こんなにいい男を皆はどんな色眼鏡で見ているのだろう。

優しくて、ちょっと抜けてるけど、私をとても大事にしてくれる温かい人だ。『利用』なんて有り得ないのに。


触れなければ気付けなかった優しくない周囲(せかい)を睨みながら、本格的に役立たずな私は大人しく抱かれているしかなかった。




*  *  *



結局正門前でも院生たちに絡まれそうになって、私たちはあの後、ぐるりと学舎の反対側までまわった特殊棟の渡り廊下まで来ていた。

先輩はなるべく戦闘を避けてくれているようだ。多分彼一人ならなんてことない相手だろうに、完全お荷物を私を庇ってくれているんだろう。

……ものすっごく申し訳ない。


「先輩、私のことは大丈夫ですよ? て言うか、補助させて下さい。意味があるなら使いたいです」


「駄目だ。利用しないと宣言して、まだ1時間も経ってない」


「これは利用じゃないですってば!」


不毛な会話もかれこれ何度目だろうか。これもう、周囲の云々って言うより彼の意地なんじゃないだろうか。

回避がほとんどだったせいか、先輩も少し息が上がってきている。攻撃主力の人に慣れないことをさせたい訳じゃないのに。


「先輩!」


「じゃあ試験が終わったらな」


「それじゃ意味がないでしょ!?」


思わず強い声も出てしまう。こんなやり取りをしつつも、私は彼に抱かれたままなのだから笑えない。走る時は私を抱えて走っているのだ、この人。


「わかったわかった、じゃあ今度から人数少ないヤツらはちゃんと倒して行く」


「そう言うことじゃありません!」


と言うか、こんな軽口でも『倒す』と言えるってことは、やっぱり私を気遣っているだけなんじゃないか。あの廃墟のような実技場で彼の強さはしっかり見ている。それなのに、私が足をひっぱるなんて


「とにかく先輩、まずは私を離しましょう!」


「それは出来ない相談だ。誰にも咎められずにメリルと一日一緒に居られるなんて、今日を逃したら次はいつになるか…」


「休日に会えばいいじゃないですか!? もう勝手に魔術使いますから……」


言いかけて、ぴたっと彼の歩みが止まった。

何事と問おうとして、彼の視線が鋭くなっていることに気付く。


(なに…)


その先には、渡り廊下の壁に隠れるようにして院生が一人立っている。背の低い私よりもさらに小柄そうな女の子だ。

おびえを浮かばせながらも、まっすぐに私たちを見つめている。


「…一瞬で終わらせるか」


「ちょ、ちょっと先輩!?」


視線を強めた先輩に、今度こそはっきりと彼女が震え上がった。

確かに『少人数なら倒す』と言ったばかりだけど、この女の子は戦いに来た子じゃないだろう。見開かれた目には、うっすらと涙も浮かんできているし。


「先輩、女の子泣かせちゃ駄目ですよ」


「そう言う試験中なんだが…」


構えようとした黒柄の杖を慌てて引っ込めさせると、先輩は明らかにガッカリした顔で私を見て来る。

…だから、戦いたいのなら変な意地を張らずに『そう言う生徒』とやれと言っているのに。


「怖がらせてごめんなさい。戦わないなら見逃すから逃げてくれる?」


とりあえずはこの子だ。なるべく優しい声を作って問いかけると、女の子はまたビクッと肩を震わせながら、首を横に振った。


「え、戦いに来た人?」


「ち、ちがい、ますっ!! ごめんなさい! 痛いことしないで下さい!」


髪を振り乱しながら、彼女は首を横に振る。何に対しての否定だろう。外見は15・6歳…多分低学年だ。三年生までは混合チームになっているはずだけど、彼女の周りには他の院生は見受けられない。


(…他の子たちが脱落しちゃったのだろうか)


一人だけ残ってしまったから、上級生と組んでいる私に助けを求めに来たとか…まあない話ではないか。最初の方で先輩はかなり実力を見せ付けていたし。



女の子の首振りが落ち着くのを待って、もう一度同じ問いかけをすると、今度は火がついたように泣きながら予想外のことを口にした。


「………人が呼んでる? 私を?」


「はい…ごめんなさい! わたし、先輩を呼んでこないと、酷いことするって、脅されて…ごめんなさい!!」


私を先輩と呼ぶってことは、この子やっぱり一年生か。入りたての右も左もわかっていない頃にこんな試験に巻き込まれて、挙句パシリ扱いされるなんて……


「……なんて不幸な」


「同情している場合か? 脅迫して呼び出すなんて、どう考えても普通じゃないだろう」


可哀相な一年生をどう慰めようかと考えていたら、頭上から厳しい声が落ちてきた。

先ほどまでのふざけた様子はない。金色の目には、怒りの色も浮かんでいるように見える。


「そこの一年生、呼び出しには俺も同伴して構わないのか?」


「は、はい! だいじょうぶ、だと、おもいます! 誰もつれてくるなとは、いわれて、ないので!」


「わかった。お前に危害は加えないから、案内してくれ」


落ち着きながらも一言一言に強さを秘めた先輩の声に、今度は女の子は縦に頭を振り乱す。

それから、震えながらも「こっちです」と駆けて行く彼女に、数歩離してから私たちが続いた。


「念のため聞くが、身に覚えはないよな? メリル」


「…ないですね」


覚えはない。けれど、それを言うならさっきのノックス先輩だって予想外だったんだ。

しかし、彼は下級生を脅すようなことはまずしないだろうし……


「…先輩は?」


「イライザたちはまだ自宅に居るだろうし、他の連中にはキツく伝えてある。あれが通じないほど馬鹿な女はいなかったはずだが…」


きょろきょろと辺りを確認しながら、一年の女の子は棟の中に入って行く。

低学年には特に縁のない特殊教室の棟なので、もしかしたら迷っているのかもしれない。

懸念した先輩が周囲を色々指摘してくれるが、どうやら迷っている訳ではないらしい。



階段を三つほど上がった奥の部屋、それこそあまり使われていない選択科目用の資料室と説明された所で、女の子はようやく止まった。


「こ、ここです」


「………」


私よりも先に先輩が扉に手をかける。中は普通の教室よりも少し狭く、どちらかと言うと図書室に近い部屋だった。

ズラリと並んだ本棚には、厚い背表紙の本がいくつも並び、入りきらないのか足元にもいくつか山を築いている。

あまり使われないせいか、蜘蛛の巣まではないものの、少し埃っぽい。換気用の窓も白く曇っているし、どことなく変な臭いもしている。

図書室のように机や椅子がないので、あくまでここは保管用の場所なんだろう。


「……誰もいないようだが」


「は、はい! あの、私がこれから、呼んで来ることに、なってます。ここで待つの嫌だって…」


「じゃあ何故こんな場所を指定したんだ?」


「ひっ…わ、わからないです! ごめんなさいごめんなさい!!」


一瞬だけ細めた先輩の目に、一年の女の子はまたボロボロと泣きながら頭を下げる。ここまで怖がることはないだろうに。それとも、呼び出し主によっぽど怖いことをされたんだろうか。


「あの、急いで呼んで来ますから…ごめんなさい! すぐ戻ります!!」


「わかったから。あの、大丈夫?」


ぺこぺこと腰からお辞儀を繰り返し、震える手でノブを何度も揺らしている。


「だいじょぶ、です…ほんとに、すぐ戻りますから! あの、扉閉めますけど、カギは開いてますから!!」


「わかったから、早く行って来い」


先輩もやや呆れた口調で手を振り返す。

最後にもう一度深いお辞儀をしてから、小柄な女の子は廊下へ転がるように消えて行った。





キン





「…………え?」


それと、同時だった。

ガラスを引っかいたような甲高い音に、先輩を振り返る。

彼にも聞こえていたようで、目を合わせた後、今度は閉められた扉へ目を向けた。


彼女の足音は、もう聞こえない。


「何、今の音……魔術…?」


「まさか」


彼の制服を掴んだ私の手ごと、先輩が扉へ走り寄る。

……が、


「………やられた!」


彼の伸ばした手はノブからほんの数センチ離れた場所で、止まっていた。

否、遮られていた。


大きな手のひらが、半透明の何かに“触れている”



「………『箱結界』だと…ッ!?」


「はこ……?」



彼の口にした意味はわからないまま、


けれど、この試験中一番焦った表情を浮かべている彼に、


自分たちは結構ヤバイ状態に追い込まれたのだと、嫌でも悟るしかなかった。


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