32:試験の意味を辞書で引いて来い
伝達の魔術によって、バレット先生の声が学院中に響き渡る。
その瞬間に、私たちが集まっていた屋外実技場は爆音と喧騒に包まれた。
「ッッッ!? な、何!?」
「メリル、こっちだ!」
音と言うよりも“地震”に近い強大な衝撃。
とっさに引き寄せてくれたギルベルト先輩がいなければ、きっと腰を抜かして動けなくなっていただろう。
一体何が起こったのか。突然の事に周囲の院生たちも悲鳴を上げて、我先にと逆方向へ駆け出して行く。
やる気と緊張に満ちていたはずの場は、開始からわずか数秒で地獄絵図になってしまった。
「な、なな…なん、ですか!? いい今の、なんで、爆発…ッ!?」
「少し口閉じてろ。舌噛むぞ?」
言葉にならない私を制して、腕の中へ強く抱き寄せられる。
次の瞬間には、二度目の激しい爆発音と、瞼を閉じても突き刺さってくる閃光。
「ひいぃ!!」
「…あいつら、加減してないのか。全く」
地響きが耳を塞いでもぶつかってきて、悲鳴もうまく出て来ない。怖くてどうにかなりそうだ。
なのに、頭にだけはぽんぽんと撫でてくれる優しい感触があって…やっぱり夢じゃないらしい。
先輩のおかげで正気は保っていられるけど、これいっそ気絶した方が楽かもしれないわ。
…何分か、あるいは何秒か待って、私が顔を上げた頃には、黒混じりの灰色の煙が実技場をすっぽりと覆いつくしていた。
「こ、これが『演習』なの!?」
有り得ない。こんなのが授業だって言うの!?
地面はあちこちヒビ割れて、火が上がっているのさえ見える。煙の向こうには一人や二人じゃない数の人が倒れている。
これでも授業!? お勉強!? 上級生はこの学院で戦争でもしてるのか!?
「…まあ、あの辺りは特別だけどな」
先輩はとくに驚いた様子もなく、一息だけ吐いて、涼しい顔で辺りを見回している。
初撃がやっぱり一番アレだなーなどと、軽い声で呟きながら。
「せ、先輩…私」
「ああ、いったん退く。ちゃんとつかまってろよ?」
どう表現したらいいか困惑する私に、先輩はいつも通りの仕草で手を差し伸べて、そのまま引っ張って歩いてくれる。
慌てふためく他の院生たちなど、気にもしていないように。
「……一体、何が起こったんですか?」
「真っ先に爆音が上がった辺りは、六年の首席連中の集まりだ」
「ああ……」
苦笑混じりに教えられて、納得と同時に激しい後悔が浮かんだ。
首席の集まりとは、この魔術国家ロスヴィータにおける頂点『キルハインツ家』の人間と、その彼に連なる優秀者たちだ。
“授業の一環”と言う言葉にすっかり安心してしまったけど、そもそも、彼らとはその『授業』の基準が違うじゃないか。
「つまり、全っ然安全な試験じゃなかったんですね!!」
「そりゃあな。メリルと組んだのが俺で良かった」
正直に言って脅すべきだったか?と先輩はまた苦笑する。
クラスの皆、本当にごめん。先輩は私たちを元気づけてくれたのではなく、誤魔化していただけだった。
用心していた組が大正解。これは、どう考えても初等科生が関われるような試験じゃない。
(どうかうちのクラスメイトが、あの爆心地近くにいませんように!!)
深く深くうな垂れる私と先輩の後ろでは、また一際大きな爆発音が上がっていた。
* * *
それから十数分歩いて、ようやくまともな空気が吸える場外まで辿りつくと、そこはまた違う意味での地獄絵図が広がっていた。
泣きながら座り込む生徒。それに対して怒鳴り声を上げる生徒。ただ遠くを見つめて立ち尽くす生徒。先生の元へ棄権を伝えに行く数も少なくない。
「そりゃーいきなりアレじゃ心が折れますよね…」
私だって、隣りに居るのが先輩でなければ即棄権を申し出ていただろう。いや、最初の爆発で気絶して回収待ちになってるかな。
何にしても、私たち初等科生には早すぎるとしか言いようのない状況だ。泣くのも仕方ないよ。むしろ私も泣きたいよ。
「直撃はしないのだから、そこまで怖がることもないんだけどな」
一方の先輩は、相変わらず涼しい表情で煙の上がり続ける戦場を眺めている。
彼は彼で、私がいなければ爆心地で戦っている人だったんだろう。何とも複雑な心境だ。
少し離れて眺める実技場は、観客席のない闘技場のような造りだ。
とにかく駄々っ広い石床が広がり、細い通路がその周りをぐるりと取り囲んでいる。
一応通路には雨避けの屋根と、それを支える細い石柱が立っているものの、それ以外には全く遮蔽物がない。おかげで、実技場を出てもある程度は戦いの様子がわかるみたいだ。
(確かに、直撃はしてないように見えるけど…)
煙が上がる度に人が倒れる影も見える。ただの試験で人死には出ないと信じてるけど…いや、変な考えはやめておこう。シャレにならないわ。
「………」
先輩の目は、そんな慌しい戦場を捉えたまま。
表情こそ変わらないけれど、金色が少しずつ熱を帯びてきているようにも見える。
「…もしかして、先輩は戦いたかったですか?」
恐る恐る聞いてみると、意外にもすぐにこちらへ向き直ってくれた。整った顔に笑みが浮かび、支えられた肩が撫でられる。
「警戒しているだけだ。メリルが居るのに、戦いたいなんて思わない」
「でも、凄く真剣な目で見てましたよ?」
返してくれた言葉もとても優しい。けれど、やっぱり気になっているのも正解みたいだ。
一瞬だけ驚いた先輩は、一拍待ってから表情を微笑みに戻した。
「いつもは俺も、あの連中に攻め込む立場だからな」
「………」
つまり、彼も『頂点に連なる優秀者』だと言う主張であり、遠まわしだけど『肯定』の答えだろう。
ああ、やっぱり。私は早々に足手まといになってしまったんだ。
「……ごめんなさい」
「メリルは怖かったんだろう? なら、今日はあそこには用はない」
今日は、と言う言葉が胸に刺さる。傍に居るだけで迷惑をかけてしまうなんて。
とは言え、最初の場所に戻るのは怖いし、それこそ足手まとい確定だ。戻りましょうか?とも言えないし…
(……別の場所で、先輩が戦えたらいいんだけど)
下へ向けた視線を、そのまま周囲へ滑らせる。
視界に入ってくるのは戦う気力を失くした生徒ばかりで、ことを構えるような様子はどこにもない。
安全な場所へ逃げて来たんだから、まあ当然だ。
でもこれじゃ、先輩は不完全燃焼。私が居たせいで『無駄な一日』になってしまう。それは嫌だ。
なんとか、もうちょっと穏便に戦えそうな場所はないものか……
「…………ん?」
ふ、と。そんな生徒たちがかき分けられる様が視界に飛び込んで来た。
二、三……全部で十人ぐらいか。顔つきから察するに上級生。それも、多分高等科生がずんずんと人ごみを越えている。
(何だろ。なんか、私たちに向かって来てるような…)
先輩の知り合いだろうか。力強い足取りはまっすぐこちらへ向かっている。
顔を上げてみれば、いつの間にか彼の顔からは笑みが消えていた。
「えっと先輩? お知り合い、ですよね?」
「すまんメリル、忘れていた」
ただ確認で尋ねただけなのに、先輩の返答は音が低い。
肩に触れていた手は、掴むように力が込められていく。
「首席組がいない時は、俺も狙われる側だった」
「えっ!?」
短く答えられたのは、想定外の言葉。
同時に、私の体は引っ張られるままぐるりと振り返る。
向いた先は、逃げて来たはずの黒煙に包まれた実技場だ。
「ちょ、ちょっとちょっと先輩!? やだ、なんでそっち向くんですか!?」
「戦わないつもりだったが、無理だ。腹を括ってくれ」
「いやいや無理です嫌ですよ!?」
反省はしたわよ。申し訳ないとも思ったわよ。
だからって、休憩が五分もないなんてあんまりじゃないか!?
(前言撤回前言撤回前言撤回いぃぃいいい!!)
追い駆けて来る速い足音を聞きながら、私の体は再び煙の世界へ引き摺られて行く。
か細い悲鳴など、風と地面を削る音に全部かき消されて。
「メリル、頼りにしてるぞ」
「怖い無理帰らせてーーーーーー!!!」
演習試験は、始まったばかりのようだ。




