30:嵐の前の
驚きの内容を告げられてから一夜明けて。
準備に走り回る先生たちとは逆に、試される側の院生たちは何とも伸びやかに登校していた。
何せ全ての授業が休止になっているのだ。祭りの前日のような特別感・高揚感があるのは仕方ないのかもしれない。
とは言え、唯一の国立学院と言う狭き門をくぐって来た彼らは、怠けるようなことはやはりしなかったようだ。
あちこちでチームと思われる数人が点呼を取り、各実技室には順番待ちが出来るほどに人が押しかけている。
攻撃魔術が苦手な院生たちは蔵書室を巡り、有用そうな書物を集めては『ああでもないこうでもない』と意見を飛び交わせ作戦を練っている。
…聞かされた時は『何を考えてるんだ!?』と思ったけれど、こう見ると院生の自主性を尊重したなかなか良い試験なのかもしれない。短期間で準備をする先生たちはたまったものじゃないだろうけど。
……で、そんな皆の喧騒からは少し離れた特別棟、こちらは歴史書を主に扱う蔵書室。
明日の試験とは全然関係なさそうなこの一室にて、私とギルベルト先輩は勉強会などを開いております。
「先輩は、明日の準備しなくていいんですか?」
「んー?」
昨日中止になってしまった辺りを予習する私に、凶器と見まごう厚さの本を開いた先輩は、疑問符を浮かべながら首をかしげる。
実技とはほぼ無関係なおかげで、この部屋には朝から私たち二人だけだ。他の院生が来る気配すらしない。おかげでゆっくりと自習させて貰っているのだけれど…
「準備は教師がやってるだろう? いくら六年でも、俺たちは手伝えないぞ」
「いや、そっちじゃなくて」
こう平和過ぎる空気だと、それはそれで気になると言うものだ。
受け答えをしながらも、先輩の指先はページを進めていく。本当に読んでいるのか疑わしいほどの速度で。
「明日の作戦とか、有用そうな魔術の対策とか。皆やってますけど、そう言うのいいんですか?」
「たかが一日あがいたところで大した効果はない。魔術は日々の積み重ねで身につけるものだ。…メリル、そこ線を引いておけ」
先輩にしてはマトモな返答に驚くヒマもなく、凶器をめくっていた指先が今度は私の教材を指した。
ちょうど過去の賢人の名前がいくつも同時にあがっているところだ。
「そこはまとめて筆記試験によく出る。印を付けておくといい」
「わ、有難う御座います」
確かにどの人物も舌を噛みそうな長い名前だ。これなら意地悪な問題が作れるだろう。『重要!』と線で囲いながら、一人ずつ書き写していく。なんとも地味な作業だが、筆記試験は書いて覚えていくのが一番身につくのだから仕方ない。
「……って、なんで演習の前日に筆記試験の準備してるんでしょうね」
「せっかくの自習なのだから、有意義に使わないと勿体無いだろう?」
軽く息をつく私に、先輩は穏やかに笑って返してくれる。
この優しい金色を見ていると、明日もどうにかなりそうな気がするから不思議だ。私は全然戦えないはずなのに。
先輩はまた視線を戻し、凶器のような本をめくり始める。目を追えば、ちゃんと読んでいるみたいだから凄い。以前モニカが言っていた『あのクラスでなければ首席も狙える』と言うのは本当らしい。
私みたいな劣等生と組ませてしまって…恋人だなんて、申し訳なくなるわ。
その後もよく出る試験の箇所や、わかりにくい事件などを細かく教えて貰い、次の魔術史試験は自信を持って挑めそうなぐらいに勉強が出来た。先輩の言う通り、大変有意義な自習時間だった。
* * *
それから数時間後。
聞き慣れた昼休憩を告げる鐘の音に、下を向いていた私たちは同時に顔を上げた。
ちょうど書き取りがひと段落ついたところで、先輩も分厚い本を片付けながら笑いかけてくれる。有意義な自習時間も大事だけど、やっぱり休憩は必要よね、うん。
(私なりに頑張れたし、普通にご飯に誘えばいいわよね)
教材は朝とは別物のようになっている。我ながら誇っていいと思う書き込み量だ。頑張った!
……にも関わらず、先輩にかけるための次の言葉が、ちっとも出て来てくれない。
先輩との実力差はわかってたつもりだけど、わかりやすい『知識』と言う部分で頼りになるところを見せられてしまうと、やっぱり情けなくなってしまったらしい。
元々求められていたのは『体質』だったし、劣等生なのは昨日の資料でバレバレなんだけどさ。
「……メリル?」
だから、いつも通りに差し出してくれた手に、思わずちょっと感動してしまった。
いつも通りに温かくて、優しい。
「大丈夫か? 少し詰め込み過ぎたか?」
「ごめんなさい、何でもないです」
気遣わしくかけられた声に、慌てて笑顔を作る。綺麗な眉をひそめて、私を覗き込んで来るのは変わらない先輩だ。
変に劣っていると感じるのは失礼だと、わかってはいるんだけどね。
「……なんだか、日に日に先輩を好きになっていく気がして」
苦し紛れに、嘘ではない誤魔化しの言葉を呟く。
先輩は一瞬だけ驚きの表情を見せて、すぐに蕩けるような笑顔になった。
「俺は頭が良い訳じゃない。メリルより四つ年上なだけだぞ?」
「……あ」
誤魔化しはバレバレだったらしい。
私が六年生になっても、とても先輩と同じ知識量を詰め込めるとは思えないけれど。今は優しさに甘えておくのが正解だろう。
『好きになってくれるのは歓迎だ』と嬉しそうに言ってくれる彼に、もう一歩距離をつめて私も笑った。
* * *
いつもと少し違う廊下を歩いて、見慣れた食堂の扉をくぐると、広がっていたのはいつもとは違う光景だった。
昼食時は戦場よろしく院生で溢れているのに、今日の食堂にはいつもの三分の一以下の人数しか見受けられない。
「だいたいのヤツらは売店で買って、そのまま実技室に篭っているんだろう」
「ああ、なるほど」
お昼ぐらいちゃんと座って食べればいいのに、つくづく学院生は真面目な人間が多いのね。
普段から売店で買っている人もいるけど、食事と言えば大体は食堂だ。今頃売店の中の人は悲鳴を上げているかもしれない。
まあ、食堂の利用者から言わせて貰えば、空いているのはラッキー以外の何ものでもない。有難く落ち着いたお昼休憩を過ごさせて貰うとしよう。
あっと言う間に注文を済ませて、いつもの窓際の席に腰を下ろす。先に座っている人数もやっぱりとても少ないみたいだ。
「いつもこれぐらいなら楽なんだがな」
「まあまあ。席は空けておいて貰えてるんですし、これ以上はワガママですよ」
今日の私はスープパスタ、先輩はお魚メインの日替わりランチだ。相変わらずの選択に呆れるような安心するような。
「…そうだメリル。一応伝えておく」
「はい?」
相変わらずきれいな手の動きを眺めていたら、ふと真面目な声が下りて来た。
二人でいる時の甘い声とは高さが違う。姿勢を正すと、先輩は少しだけ申し訳なさそうな顔で微笑んだ。
「俺と過去に関わり…いや、『付き合った女』には、メリルのことを伝えてある。もちろん、先のイライザの件もあわせてだ」
「え?」
一瞬何を言われたのかわからなかった。
私のことって……つまり、『今の恋人』として話したってこと?
「え、ど、どうしてですか?」
舌がもつれて変な声になってしまう。頬に集まってくる熱がわずらわしい。
「早い話が“警告”だ。クラルヴァインを目当てに来ていた女たちは、それなりに情報網や繋がりもあるだろうが、メリルは違うからな。イライザのような馬鹿が動く前に全員に釘を刺しておいた」
「………」
さらっと言われてしまったけれど、それって『今まで付き合った人は“家柄目当て”だった』と言うことよね。
前に言われてはいたけど、本当に彼女たちは先輩の“後ろ”だけを見ていたんだろうか。だとしたら、なんて見る目がないんだろう。
「もしメリルに危害を及ぼすようなら、ヤツらが大好きな“家の権力をもって”沈めることも伝えてある。何かあったらすぐに教えてくれ」
「……わかりました」
ハキハキと伝えられる声には迷いも悲しみも混じっていない。
一時でも好きだった人なのに、こんなことを伝えなきゃいけないなんて…どんな気持ちだっただろう。
どうして先輩にこんなことを言わせなきゃならないんだろう。
「ギルベルト先輩」
「ん?」
「私は、“貴方が”好きですから」
会話の流れとしては不適切だけど、言わずにはいられない。
まっすぐに見つめてくれる瞳。鋭いのは形だけで、中身はとても優しくて可愛い人。
私は彼が好きだ。悔しいけど、本当に好きになってしまったんだ。
今までの女性たちのことは知らないし、勝てない部分の方がきっと多いけれど
「貴方が、好きです」
強く、強く想いながら声に出す。彼に伝わるように。
私のマヌケな宣言に先輩はきょとんとした後、少しだけ頬を染めながら幸せそうに微笑んでくれた。
「…知ってる。だから俺も、メリルが好きだ」
「はい!」
向かいの席に揃って手を伸ばして、繋ぐ。
私は恥ずかしいぐらい彼には釣り合わないけれど、好きだと言う気持ちでなら誰にも負けないように。
波乱の演習試験前日。
慌しい皆に申し訳なくなるほど、穏やかな時間を過ごせた私たち。
少ない食堂の利用者。つまり、この席がよく見える空間。
危うい光を灯す目があることにも、気付かずに。
実は今の六年生、上から10人ぐらいは毎回筆記でほぼ満点を取るので『筆記アテにならねーよ!』と教師が嘆いています(笑)ギルは総合順位で3~5位をウロウロ。
次回から演習試験本番です。もう二人でいると当たり前のようにバカップルになってきてしまいました…




