22:逢いたかった
思えばここのところずっと、何かが起こるのは夕方ばかりな気がする。
数日前のイライザさんたちの件も、その後の話し合いもそうだし。先輩から過去の話を聞いてしまったのも放課後だ。
……ああそうだ、彼と初めて会ったのも放課後のことだったか。
一日の中でその時間はとても短く、にも関わらず印象深く残る赤の視界。
何もなくても感傷的になってしまうこの時に……今日は不審者との邂逅と来ましたよ。
私、本当に呪われているんじゃなかろうか。
「………」
一定の距離を保ったまま、私も彼(?)も動かず、すでに数分が経過している。
ここは魔術師らしく臨戦態勢をとるべきかとも思ったけれど、悲しいかな私は戦う魔術に関しては素人もいいところ。
それに、目の前の紙袋頭も学院生の制服を着ているのだ。これで先のイライザさんたちのような手合いだったら…シャレにならない。
どうするべきか、そろそろ悲鳴でも上げてみるべきかと悩んで悩んで……
(……あれ?)
不審者を凝視しているうちに、ひとつ気がついてしまった。
頭にかぶっているのは、目の粗い茶色の紙袋。これは院内の売店でもつけてくれる汎用品だ。使い方はともかく、珍しいものではない。注目すべきはその下。
『制服』に気を取られていたけれど、“中身”に妙に既視感を覚える。
低めの壁にもたれかかっているせいか、立ち方はやや猫背気味だが……この人、身長が高い。
そして、上半身と下半身の比率に、とても見覚えがある。脚の長さが嫌味に近いこの比率。
「…………せんぱい?」
半ば無意識に呟いていた。
紙袋頭は少しだけこちらにを向くような素振りをして、ゆったりと首をかしげる。
一歩ずつ、ゆっくり彼に近付いて行く。
容姿は何も変わっていないのに、気付いてしまったら驚きも戸惑いもどこかへ吹き飛んでしまった。
ああそうだ、この少し崩した制服の着こなしも見覚えがある。無地なのにちょっと高級そうな靴も。
「先輩」
今度は疑問系でなくはっきりと呼んでみる。
紙袋頭はまた少しだけこちらを見ようとして、すぐに首を横にふった。
「先輩」
手に、触れる。女の子とは違う、骨や筋が目立つ固い手。大きくて、温かくて、何度も私に差し伸べてくれた手。
「……先輩」
それは、間違いなく彼の手だった。そっと絡めた指先の感触に、なんだか涙が出そうになる。
私を包んでくれるこの空気も、優しくて切ない彼のものだ。よく覚えてる。
「………」
彼は無言のまま、それでも手を払わないでくれた。
ただゆっくりと首を横にふって、繋いでいない手を渡り廊下の先…寮への帰り道へと向ける。
『帰れ』と、言われている。モニカの言葉を借りるなら『逃げてもいい』と。
あの放課後に始まったクラルヴァイン家に関わることから、逃げなさいと言われている。
それは、私の将来を思うなら正しい道だ。
(……………でも、できないってば)
否定の言葉は彼に、モニカに、そして自分自身に向けてのものだ。
帰りたくない。この手をまだ離したくない。紙袋の奥の先輩に会いたい。
…逢いたいのだから、仕方ないじゃないか。
「ギルベルト先輩」
だから、初めて彼を名前で呼んだ。
貴族で名門のクラルヴァイン家の人でなく、私の知っているあの常識外れの先輩の名前を。
彼は一瞬だけ肩を震わせて、手を静かに下ろした。
それから、体をちゃんと私の方に向けて、出口を示したはずの手を私の頬にそえる。
温かくて大きくて、とても優しく触れてくれるそれに、私も頭ごとすり寄る。
「…ごめんなさい。やめようって言ったのも私なのに。撤回早すぎますよね」
本当に、イライザさんに何も言えない。たった五日で前言撤回だなんて、自分勝手にもほどがある。
嫌なヤツ、バカな女。ごめんなさい。ごめんなさい。
「……俺に、用事があった訳ではないのか?」
久しぶりに聞いた先輩の声は、少しかすれていた。紙ごしなのも相まって、前よりも低く聞こえる。
でも、やっぱり彼の声で、紙袋の向こうにいるってわかって、それだけで凄く嬉しい。
……逢いたい。
「違います。あまりにもバカげた理由で、五日間貴方を捜してました」
「……?」
またゆったりと首をかしげる。ああそうだ、この動きも前に食堂で見たじゃないか。
顔の作りは鋭いのに、どこかズレてて、ところどころ可愛く見える、不思議な先輩。
「貴方に、逢いたかった」
手を伸ばせば、紙袋は簡単に外れた。
夕日に照らされてなお、刃のように輝く髪と、私のマヌケ顔が映りこむ綺麗な金の瞳。
まるで呪いが解けた物語の王子様のように、一瞬で赤の世界を支配するその姿。
本当に、この無駄美形め。眩しすぎて涙が出るわよ。
「五日って、案外長いですよね」
「……同感だ」
ぽすん、と。キラキラ容姿を堪能する前に、私は彼の腕の中に閉じ込められていた。
繋いだ片手だけはそのままに、それ以外は押し潰す勢いで。抱きしめると言うより、これじゃ“しがみつく”だ。
肝心なところで残念なんだから、この王子様は。
「五日は、長かった」
「そうですね」
「俺も逢いたかった。メリルに逢いに行きたかった」
「私も捜しましたよ。隠れるのお上手ですね」
「食事が不味かった。初めて食べ物が嫌いになりそうだった」
「私はあんまり食べれませんでしたよ」
「メリル」
「はい、ギルベルト先輩」
淡々と、五日間の言葉をぶつけあう。
ただ昼食を一緒に過ごすだけの関係だったのに、そんなものでも結構重要なんだと確認し合って。二人で過ごしていることを噛み締めて。
……今この瞬間、一緒にいるのが幸せだなーなんて思ったりして。
「メリル、俺は信じてくれなんて言えない。結局、上手く伝える言葉は見つからなかった」
ふと、抱きしめる腕がゆるんで、顔を上げる。
いつかの放課後のように、額がくっつくような距離で、先輩が私を見つめていた。
「クラルヴァイン家の『理由』は最初に伝えた通りで、それは嘘じゃない。変わりもしない」
「はい」
名門家は私の『体質』と『お腹』を欲しがっている。恐らくは、モニカの言ったように『道具』として。
……だけど
「…だけど、それは別の話だ。ギルベルトと言う俺個人が、メリルと一緒に居たいのは駄目だろうか」
痛いほど真っ直ぐに、金の目が私を射抜く。
眉間に皺を寄せて、今にも泣き出しそうな怯えた顔で。それでも、そらさないように震えて。
「……困ったことに、メリル・フォースターもギルベルト先輩と過ごすのは嫌じゃないんですよね。たった五日離れたら、捜し回ってしまうぐらいに」
だから手を伸ばして、ちょっと背伸びもして、頭を撫でてあげる。『クラルヴァイン』に困っているのは、多分きっと私よりも彼だろう。
嫌なことを言った私に、それでも一緒に居たいなんて言ってくれる可愛い人。いじらしい人。
きっと……私の好きな人。
「離れなくて、いいのか?」
「私こそ。体質しか取り柄のない小娘ですが、それでよろしければ」
「十分だ」
今度は押し潰さないように、ゆっくり抱きしめられた。
心も体も、先輩でいっぱいになる。それがとても心地いい。
これならもう、実は全部『説得』でしたって言われても、悔いはないわ。
くやしいけど、幸せだから。
その日初めて、私たちは二人で一緒に帰った。いつものように、手を繋いで。
見慣れたはずの帰り道の景色は、なんだかとても、とても綺麗だった。
ここから始まるお砂糖物語! ご愛読有難う御座いました!
次回からは新連載、いちゃいちゃべたべたな『恋愛事情2』をお送り致します!
※このコメントはフィクションです。タイトルは次回からもそのままですので、ご注意下さいませ※




