19:一難さって
クラルヴァイン先輩が来てくれてから、どれぐらいの時間だろう。
彼が手を離すのと、私の涙が止まるのはだいたい同じタイミングだった。
体に触れた空気が冷たくて、つい名残惜しいと思ってしまう。気のせいだとすぐに黙殺したけど、先輩は笑っていたから、もしかしたら気付かれたかもしれない。
助けて貰ったんだし、安心したからってことにしておいて貰おう。
「立てるか?」
優雅に差し出された手を重ねて、脚に力を入れる。が…
「痛っ!?」
「メリル!?」
突然走った痛みに、また床へ逆戻りしてしまった。
先輩が支えてくれたので転がりはしなかったものの、どうも上手く立つことが出来ない。
痺れた感じは消えているのだけど…
「まさか…」
怪訝な様子で私の足首に触れて、次の瞬間には顔を歪ませる。
倣うように私も触れてみたら、くるぶしの辺りが熱く、靴下ごしでも腫れているのがわかった。
(ああ、あの時か)
そう言えば、二枚重ねた防壁を例のイライザさんに吹っ飛ばされたんだった。
反対の足も触ってみたところ、位置こそ少し違うけれど、やはり同じように腫れてしまっている。
両足これとは立てない訳だ。
「………折れて、いなければいいんだが」
壊れ物のように触れながら、低い呟きが落ちる。
見上げれは、細められた金眼には心配と同時に怒りの色が見えた。
「あの、私も回復魔術使えるので大丈夫ですよ。言われるまでは気付かなかったですし、折れてはいないでしょう。今はちょっと、魔力足りなさそうですが…」
なるべく優しく返せば、先輩は一瞬目を見開いて、また『すまない』と頭を私の肩に預けた。
彼女たちを庇うつもりはないけれど、あんな殺気立った先輩を見るのはもっと嫌だ。自分に向いていないとは言え、怖すぎるもの。
彼にはいつもの優しい笑顔で居て欲しいと思う。
被害者は私の方なのに、結局少しの間、子供のように落ち込む先輩の背中を撫でてあげていた。
* * *
「……で、これはないと思うんですけど」
「歩けないのだから仕方ないだろう。背負うよりはマシだと思うが」
それから数分後、我に返った先輩は大慌てで謝罪して……何故か私の体を横向きに抱き上げた。
右手は背に、左手は太ももの辺りに。ええ、あれです。お姫様抱っこですよ!!!
「は、恥ずかしいので、魔力回復待ったら駄目ですか。置いてってくれても構いませんし」
「俺が原因なのに、怪我したメリルを置いていけるか。大丈夫だ。下着は見えないように配慮してる」
確かに先輩の腕は、私の短いスカートがめくれないように押さえてくれている。だけど!
(それ以前に、貴方が私の太ももとか触るのはアリなのかッ!?)
歩けないのは確かだし、この部屋に長居したくない気持ちもあるけどさ!
直ったと思った矢先にこれだよ。触られる経験なんて全然ないし、本気で遠慮したいのだけど。
(…いや、やめとこ。今責めるのはよくないわ)
追求しようとして、思わず言葉を飲みこんでしまった。
すぐ近くにある先輩の顔は、眉を下げ眉間に皺を寄せ、今にも泣きそうだったからだ。
……被害者、私よね?
「わかりました。治療が出来るようになるまで、お願いします」
仕方なく先輩に体を預ければ、ホッとしたのがはっきりわかるよう微笑んで、抱く手に力を込められた。
さっきまでは恐ろしい形相をしていたと言うのに、まるで今は子供みたいに見える。
どっちも彼なのだろうけど、本当に不思議な人だわ。
二人で実技室を出ると、扉の外には別の人が待っていた。
「お姫様は救出できたようですネ、クラルヴァイン君」
制服でなく、丈の長いローブスタイルの男性。院生と同じ年ぐらいに見えるけど、先生だろうか。
片目を隠した青髪の人は、姫抱っこの私たちを気にするでもなく、穏やかに笑いかけた。
「ええ、お待たせしました。中にはもう誰もいません」
「そのようですネ。あとはコチラで処理しましょう」
やはり先生だったようだ。軽く手をふる彼に、先輩が会釈を返す。
「そうそう、クラルヴァイン君。いくら脅しでも、ああいう危ない魔術は使ってはいけませんヨ。何かの拍子に発動したら、君は殺害五件確定です」
「さ、殺害って…!?」
ああいうってのは、彼女たちの足元にあった赤黒いアレのことだろう。
さっき出る時には消えていたけれど、やっぱり命に関わるような危険な魔術だったのか!
「…殺したいぐらいに怒っているのは事実ですから」
「自制してくれて何よりデス。学院で犯罪は困りますからね。では二人とも、気をつけて帰って下さい」
物騒な台詞を残して、先生は笑いながら実技室の中へ入って行ってしまった。
返答時に一瞬だけ殺気を浮かべた先輩も、すぐに無表情に戻し、実技室から離れて行く。
「もしかして、今の先生が先輩を呼んで来てくれたんですか?」
「いや、この辺りは彼の管轄だから……ああ、二年生は知らないのか」
「?」
巡回中の彼が先輩を呼んで来てくれたのかと思ったら、そうでもないらしい。
少し歩くペースを落としながら、『実技室』について説明をしてくれる。
この場所は周知の通り壁が厚く、耐久性はもちろん防音も兼ねた幾多の結界が張られていると言う。
が、同時に今日のような“よろしくないこと”に使われる可能性もあると言うことで、大変精密な監視魔術が組み込まれているのだそうだ。
その精度は中の様子を見ることはもちろん、やろうと思えば会話も聞き取れるとか。
しかも、結界魔術陣の中に『よく見れば視認できるレベル』で書き込まれているそうなので、気付いている院生は絶対に実技室で悪さはしないとのこと。
つまり、彼女たちは気付いていなかったってことだ。
「あの教師は学院の荒事に関して、発言力の大変強い人だ。その彼が気付いて動いていたからな。イライザたちは謹慎処分は確定、成績に関しても何らかの処罰が下るだろう」
「そっか…公的な処罰があるならそれでいいです」
監視が視認できるってことは『暗黙の了解』であり『気付かないヤツが悪い』だろう。
イライザさんは、やっぱりあんまり頭の良くない方だったみたいだ。
おかしな理由で危険な目に遭わされた身としては、胸が空く思いだけど。
「あれ? それなら、先輩はどうしてここに?」
「ああ、お前のクラスメイトが俺の後を追って来たんだ」
黄色っぽい髪の、メガネかけた…と先輩が上げたクラスメイトの特徴は、もちろん覚えがある。間違いなくモニカだ。
「俺から呼び出されたらしいけど、何かおかしいと言ってな。俺は帰るところだったから、大当たりだったということだ」
「その子、寮の相方ですよ。私色んなところで彼女に支えられてるな…」
わざわざ先輩を捜してくれたなんて、なんて良い子なんだろう。
思わず感動する私に、先輩もそうだなと笑って返してくれる。今度何か奢らせて貰おう!
傾きかけた赤い日が照らす学院の廊下。
各地に施された金装飾と同じぐらいに、先輩の髪もキラキラと輝いてみえる。
響く足音は一人分。特別棟のせいか、他の院生たちの気配もない。
ただただ静かで綺麗な空間。
降りた沈黙は優しく、触れた手はとても温かい。
さっきまでの危機が嘘のような穏やかさだ。
心地よいと、確かに思う私がいる。
先輩のせいで変なことに巻き込まれたのに、彼を恨む気持ちはなく…逆に、助けに来てくれたことへの感謝の気持ちばかりが浮かんで来る。
二人でいるのが嫌じゃない。
だけど、私はちゃんと確かめないといけない。
他人に言われて気付いたのは癪だけど、このままなあなあで過ごしちゃいけないから。
「痛むか?」と心配してくれる彼に、なるべく普段通りに返答する。
「ねえ先輩、少しお話できませんか?」
途端に固まった彼と同じぐらい、私の体も強張っていた。
恋愛的に波乱編に参ります。
ちなみに待ってた教師は本編に登場するバレットです。
恋愛事情でもモニカが名前だけ挙げてましたが、学院の双璧と呼ばれる戦闘派の人。




