【壱/亭午】
綺麗な酒が並ぶ。
どれも透き通っていて、水と見間違う程。
けれど、鼻腔に抜けるは酒。
香りだけで美味いと分かる銘酒ばかりで、ちびちび飲むものなのだろうが、イヅナは遠慮なく、あおる。
そして、塩を舐め、至極の時を満喫する。
意識がふわふわし始めたところで、挙兵派のひとりがイヅナを訪ねてきた。
「ご隠居、先ほどは取り乱してしまって、大変申し訳ありませんでした」
「そんなこと、わざわざ言いに来たのか。律儀なやつめ」
別に気にしていない、と退室するよう手払いをするが――――
「にごり酒やどぶろくなどは、お飲みになりませんか?」
その一声に、イヅナは家臣の屋敷へ行くことになる。
買い付けたものもあれば、作っているものも。見繕ってくると言うが、行ったほうが早かった。
館が居城である甲斐の中心地は、城下までもが一体化した場所であり、家臣たちの屋敷もすぐ近くにあるのだ。
「あちらが酒蔵になります」
邸宅に広い庭、そして大きな酒蔵まで。
それなりに重鎮な男の収集品にイヅナの目が輝く。
「これは伊達の酒か?」
「えぇ。東北からやってきた商人から買い付けたものです」
「出は酒屋か?」
「地酒が好きなだけですよ」
「良い趣味だ」
「滅相もない。茶を嗜めと、よく言われますよ」
「茶、ねぇ」と鼻で笑えば、イヅナの背後から気配が消える。が、酒に夢中で気づいていない。
「どうぞ、お好きなものを……心行くまで御堪能あれ」
そう言われたときには、男は外に。酒蔵の扉を閉め、表から施錠した後だった。
「ツツジ公が挙兵されるまで、貴方にはここにいてもらいたい」
イヅナは黙って、その理由を聞く。
「ご隠居、貴方が現れてから、ツツジ公は目に見えて領地拡大に消極的になられた。一時は上洛に最も相応しい方だと。それが今や、自領や周辺の防衛に甘んじて」
――いるわけではないのだが。
イヅナに細かく説明してやる義理はない。
ツツジの家臣であっても、いや、周辺が〝鬼〟に落ちたことを知る人間だからこそ、言わずもがな。
扉の外の雑音ごとイヅナは酒で流し込む。
四の五の考えたところで、この状況が変わることはないのだ。懐から取り出した塩を舐めながら、イヅナはひとときを楽しむことにした。
「あっのー……イヅナ様ぁー?」
イヅナの護衛兼付き人の忍が、出窓から顔を覗かせる。
「なんだ、サノスケ。いたのか」
まだまだ青二才、に見せているだけの手練れが溜息をついた。
「いやいやいやいや。なに、まんまと軟禁されてるんですか」
「ツツジには知らせるなよ。面倒だからな」
「さすがにそれはー……」
「交渉の駒に私など使えないと、すぐ分かるだろう」
「そんなことないと思うんですけどー……」
「ここの酒を飲んでからでも遅くはあるまい」
それが本懐ですか。と、サノスケは内心で納得する。
自分の身<ツツジが用意した上品なもの<<<舌触りの荒い酒。
こうなってしまえば、表の鍵を開けたところで出てはこない。かといって、なにもしない。は、護衛としての立場が廃る。
――ツツジには。
その言葉尻をとらえて、サノスケは別の人物をあてに酒蔵を離れていった。




