19節ー蛇姫の失策ー
そう言って黒狼の隣を過ぎた銀露は、僕にも聞こえづらい声でつぶやいた。
「相も変わらず喰えん奴じゃの……」
「っへ」
その言葉に黒狼様は短く、吐き捨てるように笑ってさっさと行けといった風に手を振った。
そして、僕と銀露は一緒にその奥の部屋へ向かった。
いくつか襖を開けて進んだ先に、蛇姫様はいた。
片目が隠れるほど伸びた前髪と赤い瞳。肌は浅黒く、髪はそれ以上に黒かった。
それこそ、すべての光を吸収してしまうのではないかというほど。
今の銀露と変わらないくらいの年齢容姿で、整った顔と常時見開かれているような大きな目がこっちを向いていた。
向きながらも、彼女は歯を立てていた。
鬼灯さんの首筋に、蛇の牙を突き立てていた。
「鬼灯さん……!?」
まるで美しい吸血鬼と少女の一枚絵。おぞましくも艶やかな様子に、僕は不覚にも目を奪われてしまった。
頬を紅潮させて少女らしからぬ恍惚な表情を浮かべる鬼灯の巫女。
僕が何をしに来たのか一瞬忘れてしまうほどの光景に呆然としていたら、銀露に頭を平手でぺちんと叩かれて背筋を伸ばした。
「夜刀姫様、感謝いたします……」
首筋から牙が離れて、解放された鬼灯さんが乱れた巫女服を直しながら言ったその一言は、熱い吐息まじりだった。
「お見苦しいところをお見せして申し訳ありません。柊千草」
「えっ……あっと……」
なんだかいけないものを見てしまった気分になっていた僕はどぎまぎしながら返事とも言えない言葉を返してしまった。
いや、でも……謝る相手は僕だけ、なのか?
「わしには一言ないみたいじゃが?」
「あなたには必要ないでしょう。銀狼」
「かかっ! いつの時代も鬼灯は鬼灯じゃの。憎らしいわ」
「懲りずに人間を誑かし、あまつさえ封を破って現に現れて。何を考えているのですか」
「そこの蛇もこの子を欲しがっているようじゃが?」
「……私は彼に注意しました。それでもここに来たのです。自業自得でしょう」
いがみあった銀露と鬼灯さんだったけど、そこに割って入ってきた蛇姫様の冷たい声。
「……下がりんす、鬼灯の巫女」
「はい。申し訳ありません」
その命令に、鬼灯さんは一切逆らわずに一歩退いた。
それはなにか操られているとか、そういったものじゃなくてただただ偉い存在の神様の事を敬っているからこその行動……に見えるな。
「随分回復した様子ではないかや、銀狼」
「おかげさまでの」
「ふん、鬼灯の巫女をこちらに引き入れたから……とでも思っておるのかや。どちらにせよ、今の鬼灯の巫女には白狐を留めておける力などありんせん。わっちが力を分け与え、ようやくといったところじゃ」
会話の初めこそ一触即発の雰囲気というものがあった……んだけど。
なんだろう。何か違和感があるのはなんでなんだろうか。
「ふん。一等邪魔者であるきさんを蚊帳の外に追いやれんかった時点でわっちの負けよ。それも白狐にとっては織り込み済みのことだったじゃろな」
張り詰めた風船のようだった銀露から、まるで少しずつ空気が抜けるように敵意をしぼめていっているのがわかる。
どこか力のない蛇姫様の態度に、僕もどこか気を緩めてしまっている始末だ。
「蛇姫、うぬ……何を隠しておる。神使だけでなく黒狼まで引き入れてけしかけ、うぬはこんなところに引きこもったまま出て来んかった。それに何より……その仮初めの姿はなんじゃ」
「……きしし」
蛇姫様が力なく笑う。
そうだ。違和感の正体は……蛇姫様がどうにも、見た目に反して言動に覇気がないからだ。
稲荷山でもそうだ。あの時は言動がどこか幼くて、違和感を感じてたはずだ。




