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私は殿下の影として生きていくと決めております。

その事について後悔したり辞め様などとは一度も思った事がありません。

自分の幸せなどは求める必要もないと、そう信じていました。

いえ、今もです。






いつも昼下がりのこと。

ここ最近はエリザベス様の側近からのレクチャーが続いていて毎日が忙しいルミーア様です。

先程まで大公の権限と領地での方針の説明を受け、今は休憩時間。

侍女のデイジーが私達にお茶を入れてくれます。

これはルミーア様の姉君のところで販売してる茶葉、やはり故郷のものは美味しいのでしょうか。

ルミーア様はこの茶葉を良く求められます。


「ねぇ?」


一口味わった後に私にお尋ねになります。


「はい、なんでしょうか?」

「ルリのことなんだけど」

「はい、どうかしましたか?」

「私に内緒で2人で会ってるわよね?」

「え、なんですか?」


焦ります。

いえ、焦る必要などないのに、そう、そうです。


「今日も私に会う前に、ルリと会ってたわよね?」


緑青の瞳が問いかけます。

私は深蒼と緑青に弱い、そんな自分を呪います。


「…、どうして分かったのですか?」

「ルリに聞いたのよ」

「ルリに?」


え?ルミーア様に内緒でルリのお菓子を食べていたのが心苦しくて、内緒にして欲しいってお願いしたのに…。


「なんのお菓子を食べたの?私の分は?」

「えっと、ですね…」


この私が言葉を濁して黙ってしまいました。


私は甘いお菓子が欲しくて堪らないのですよ、どうせ。

あのような子供時代を送った人間なのです、甘いお菓子は夢だったのですよ。

空腹の日々の中で思うのは甘いお菓子を腹一杯に食べる夢。

それはそれは色々な味を空想したものです。

甘いお菓子が食べたいと言っても、甘すぎるのも良くありません。

程よい甘さ、その中に隠れている色々な香りや風味のハーモニーが醍醐味なのですよ!

その点、ルリの作品は完璧です。

あれは天性の才ですね、間違いありません。

調理長のアンディとも意見は一致してます。


「ヴァン?」


あ、…。

ルミーア様の分でした…。

私の分しかなかったと言ったら…、怒るんだろうな。


「無言ね?」

「そ、そうでも…」


けれども、ルミーア様は悪戯っ子の様に微笑みました。


「嘘よ」

「嘘?」

「ルリが私に話したなんて、嘘なの」

「ルミーア様!」

「許して?」

「はぁ…」


私はホッとして思わず苦笑いをしてしまいました。


「何故、その様なことをお訊ねになるのですか?」

「だって、私の分が無いから」

「それは申し訳ありませんでした」

「ねぇ、?」

「はい?」

「ルリって、ヴァンのことが好きなのかしら?」

「ええええ?!」


思わず大声になります。


「何を!ルリはまだ子供ですよ?」

「あら、私は子供の頃からシャルだけを想い続けてきたわ」

「そ、それはそうですが…」

「だって、試食会の時もね、ヴァンの為にだけ作るみたいじゃない?」

「そんなことは、…、ないでしょう」

「そう?ヴァンがいるときだけ凝ったお菓子の様な気がするの」

「そうだと、しても、それでルリが私の事を好きだなんて、勘ぐり過ぎです」

「そうかなぁ…」


ルミーア様は、まだ腑に落ちないようです。


「じゃ、ヴァンには想う人はいないの?」

「え?」

「いるんだ?」


参りました。


「いませんよ」

「本当?」


嘘です。

でも、嘘を付きます。


「はい」

「いないんだ?けど、シャルの影になるからとか言って無理してるんじゃない?」

「無理じゃありません。必要ないからです」

「そうなの?」

「はい、ルミーア様を立派な次期大公にするのが私の務め。自分の事に構ってる暇はありません」

「そんなの待ってたら、ね、何時になるか分からないわ?」

「そうですね」

「あ、酷い…」

「嘘です」

「ほんと?」

「はい、」


ニコッと微笑まれます。


「ヴァンに褒められたわ。嬉しい!」


可愛い所もあるんですよ、私のご主人様は。


「では、次の時間に参りますか?」

「そうね、呼んできてくださる?」

「はい」


また、レクチャーが始まります。

私は部屋の隅で話を聞きながら想いに耽ります。




想い人、ですか…。



きっと私は好きな女性に意地悪をするタイプなのでしょうね。

ネルソンさんと同じタイプです、間違いなく。

言うだけ言って、後悔するんです。

なんであんな事を言ったんだってね。


子供です。

馬鹿です。


けれども、怒らせてしまいました。

これで終わりです。

だいたいです、あの方のお父上に罵られた男ですから相応しくないのです。

分相応、その言葉を唱えます。

ですから誰にもそんな素振りは見せたことがありません。

殿下にも気付かれておりません。

もちろん、ルミーア様にも。

そして、自分すらも欺くと決めておりましたから。



ああ、愚痴ですね。

情けないです。






「どうですか?」


仕事が一段落しましたので、こっそりとルリの元へ通います。

本日2度目のお菓子は甘酸っぱいベリーとチョコのケーキです。

素晴らしい香りと繊細な口の中での食感…、至福です。


「ええ、美味しいですよ」


ルリは本当に嬉しそうな笑顔になります。


「このクリームとスポンジの合わさり方が絶妙です。ルリは腕を上げましたね?」

「ありがとうございます!」


彼女の笑顔と素直な言葉は心地いいです。

さすが姉妹ですね、マリと同じです。


けれども、いくらアンディが認めたからといって後から入ってきたのです。

きっと私には言えない苦労があるでしょう。


「ここには慣れましたか?来たばかりの貴女では大変でしょう?」


先に仕事をしている人間が快く思わない事もありますからね。


「それは大丈夫なのです。皆さん優しくして下さいます。わからない事があったら教えてくださりますから」

「それは良かった」

「はい!それに、ルミーア様が良く厨房にお顔を見せて下さいますから。私達に色々と良くして下さって、ルリは私の妹みたいな子だから心配なのって仰って下さって…」


ルリは嬉しそうに話をしてくれます。


「私、嬉しくって!だから、本当に良くして貰ってます」


そうですか、ルミーア様はそれほどまでにルリのお菓子に夢中と…。


「それは良かった。貴女が元気なら貴女の作るお菓子も美味しくなりますからね」


すっかり食べてしまった私は空になった皿をルリに預けます。


「今日もありがとう、美味しかったです」

「はい!次も楽しみにしていて下さいね?」

「ええ、ルリの成長には驚かせられます。このままだと貴女はベルーガで最高の腕前になりますよ?」

「本当ですか?」

「ええ、これでも私は五月蝿い方なので間違いありません」

「良かった!」


両手を合わせて嬉しそうにしてる彼女は、そう、可愛いですね。

それから嬉しさを破裂させたように言葉を続けました。


「ヴァン様、もし、私が一人前になって美味しいお菓子を作ることが出来たら、その時はヴァン様のお屋敷で働いてもいいですか?」

「私のですか?」

「はい、私はヴァン様が嬉しそうなお顔をして下さるから、お菓子を作るのが楽しいのです」


これは、好意を寄せられているのでしょうかね…。

ルミーア様のお察しの通りなのでしょうか?

子供の気持ちは純粋で嬉しいものですが、そうなると弱ります。


「ルリ、私は殆ど屋敷には戻らないのです」

「え?そうなのですか?」

「ええ、独り身ですからね。大概は城かこちらか…、自分1人は気楽でいいのもです」

「じゃ、ご結婚は?奥様を娶ることは?」


ルリの言葉に反応して浮かんだ面影は…。

私は慌てて消し去ります。

そして断言します。


「ない、でしょうね」

「ない、のですか?」

「ええ、私はシャルディ殿下の影でいいのです。その為の貴族の地位ですから、何時だって無くなっても構わないのですよ」

「そうしたらヴァン様は貴族じゃなくなりますよ!」

「いいんです。元々平民の生まれで両親の顔も知らない育ちですからね」

「それでも、いいんですか?」

「はい、構いません」


ルリはちょっと下を向きました。


「どうしました?」

「もし、もし、ヴァン様が貴族じゃ無くなったら、そしたら、あの、」


顔を上げたルリは少し赤くなった頬で私をジッと見詰めました。


「私をヴァン様のお嫁さんにしてもらえますか?」

「…、」


真剣です。

彼女は真剣に私にぶつかってきました。

ルミーア様の勘、当たりです。


これはちゃんと答えないとなりません。


「それは出来ません」

「だめ、ですか?」

「ルリ、貴女がその様に考えていたなど気付きませんでした。私としたことが迂闊でしたね。ですが、私は貴女の気持ちには応える事が出来ません」

「そ、そうですよね…」

「すみません。私は貴女に辛い思いをさせてしまいましたね?」

「いえ、お気になさらないでください。そうだ、私が言ったこと、忘れて下さい!お願いします」


ペコンと下げた頭が少し揺れているのは、気持ちが乱れたからでしょう。


「そうなればいいなぁ、って思ってただけですから!全然大丈夫ですから!」

「分かりましたよ。ですがルリ、私は貴女の腕を信頼しています」

「ありがとうございます!」

「貴女がこれから調理人として成長していく為ならば、私は貴女を支えます」


驚いた顔が私を見詰めます。


「ゼファクトにも負けない美味しいお菓子を、作ってくださいね?」

「はい!」

「では約束です」


私は手を差し出しました。


「握手をしましょう。これからビジネスとしての長い付き合いになるのですからね」

「はい!」


ルリの少し小さな手が私の手を握ります。




その感触は爽やかに私の中に入っていきました。





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