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「これで準備が整った」
「貴方のやることは素早くて間違いないないから、素敵よ?」
「ヒルダ、ようやく私達の時代になるよ」
夫は私に優しいキスをくれる。
彼は私に従順だから嬉しい。
あれは少し前の事だったわ。
私は私の寝室で甘い時間を過ごしていた。
「ひ、ヒルダ様、あ、」
「ああ、いいわ、あなた、いいわよ!」
「ああ、」
昼間、こうやって男性と肌を合わせるのは気持ちがいいこと。
軽いスポーツだから、健康にもいい、と思っておこう。
「あああ!」
私よりかなり年下の侍従が果てたままで私の隣に落ちてくる。
「良かったわ」
「ヒルダ様は、素敵です…」
若い子って、可愛いわね。
そこに男が飛び込んでくる。
「ヒルダ!ヒルダ!」
私の寝室のドアを乱暴に開けるのは、私の夫でこの国の宰相の一人であるアルミロ・ゲイリー。
隣の男がものすごく驚いた後でおびえている。
「どうしたの?」
「大変だよ、あの王子が田舎貴族の娘と結婚するって言い出したんだ!」
「あのって、あのシャルディなの?」
「そうなんだよ!」
夫は陛下とのお目通りの後、直ぐに戻ってきたに違いない。
抱き合っていた男はベットから飛び降り、床の上で土下座する。
「申し訳ありません、申し訳ありません!」
その姿を冷たい目で見た夫は、興味がないように言い放った。
「五月蠅いなぁ、君は。用事が済んだなら出て行ってくれないか?」
「は、?、はい!」
男は慌てて服をまとめて裸のままで飛び出して行った。
夫はそんな事を気にも留めずに話を続ける。
「ほら、あの親子は城を追い出された後、ネルダーの島に逃げ込んだだろう?そこの伯爵の娘だそうだよ。あいつも馬鹿だな!ホント馬鹿だ。ゼファクトを相手に好きだ惚れたで喧嘩を売ろうってんだから、だろう?そう思わないか?ヒルダ?」
夫は話の続きをするので忙しい。
「それもだよ、この再会をオルタンスの息子が世話したらしい。アイツ、嬉しそうに喋り続けてさぁ、五月蠅かったなぁ。さも重要な手柄を立てたみたいにだぞ?」
興味深い話だわ。
あの女の息子がね…、思ったより馬鹿だったのね。
そんな話はゆったりと聞きたい。
「貴方、汗を流してからゆっくりと聞くわ。いい?」
「わかったよ。なら、居間に冷えたシャンパンを用意しておくから」
「素敵、貴方は私の唯一の理解者よ?」
「光栄だなぁ」
夫が出ていく。
その姿を見送り、侍女に湯あみの用意をさせ、頭を整理することにする。
私はヒルダ・ゲイリー。
私の故郷はバルトン王国の北に位置するイニヒェン。
雪が深くて針葉樹の森が永遠に続くかと思うくらいに続いている場所にある。
雪国のせいなのか、人の肌が細やかで白い。
美人が多いと評されているわ。
今、この地を治めているのは私の弟のルハイザッハ公爵。
彼は父からその地を受け継いだ。
ルハイザッハは父の代は伯爵だった。
それを侯爵にしたのは父。
父は野心を隠さなかった。
ルハイザッハ3姉妹。
私達3人の美貌は王国中に響いていた。
もう30年程前のことになるわね。
時間は平等に過ぎていくわ、残酷な話しだけど。
父が伯爵から侯爵になれたのは、お姉様のお陰。
リステーアお姉様は見初められて王妃になった。
そう、今の王に望まれて王妃として嫁いだ。
そうなる為に、父は狡猾に立ち振る舞ったのよ。
お姉様の美貌が陛下の目に留まるように、わざわざ私達3姉妹を故郷ではなく王都で暮らさせた。
今みたいにケンフリットは女性の入学を認めていなかったから、知り合うとすれば舞踏会。
だから顔を出すと1曲踊るくらいで直ぐに居なくなるようなことをその年は繰り返した。
顔で惚れさせる、でないと無理だから。
案の定、陛下はお姉様の美貌に夢中になって、ロクロク喋っても居ないのに王妃として娶ってしまった。
その事を1年も経たずに後悔したのは陛下自身だと聞いたわ。
だってお姉様はとてもエキセントリックな方だったから。
常に神経を尖らせて、自分に愛を注いでくれないと満足出来ない女性だったもの。
愛は注がれるもので注ぐものではない、と考えるタイプ。
お姉様は嫁いだ早々から陛下を振り回した。
陛下のあの深い皺はお姉様との生活が作ったものだろうって噂は本当だわね。
けれども、父はまったく気にしていなかった。
自分の娘が国の王を疲弊させても平気みたいだったわ。
それよりも、父の心配ごとは2人の間に子供が出来ないことだったから。
父の野望は年々大きくなっていく。
私の妹を陛下の異母兄弟に嫁がせた。
キレンド公爵の妻にした。
政権がどちらに転んでも大丈夫なように。
そして、真ん中の私は宰相の妻となった。
まぁ、夫の地位は父が与えたものではあったけど、それでも、私達3姉妹がバルトンの中枢を牛耳る準備は整って行った。
それが父の願いだったから。
ところが実際はそうも上手くは運ばない。
お姉様は子すら成せずに、陛下に疎んじられた。
そして、あの女が身籠った。
金髪に緑青の瞳の女。
お姉様とは対照的に、大人しく優しさをもった女性。
お姉様は激怒した。
生まれた子が御子であったと知った日から、ありとあらゆる手段を講じた。
「あの女と子供を消して頂戴!」
そう叫んでいたのを私も聞いたことがあった。
けれど、いつの間にか彼女と子供は消えていた。
後になって南の島に居るらしいと聞かされたけれど、追っ手は出されなかった。
その頃には心を殺したであろう陛下が姉の元に戻ったから、お姉様は陛下が自分の元を訪れる様になるとあの2人には興味を失ったようだった。
陛下が自分の側にいればそれで良かったのだろう。
今にして思うと陛下はあの女性を心から愛していたわ。
それをお姉様に悟られないように、突き放すように城から追いやった。
その頃には妹がキレンド公爵の息子を産んでいたから陛下の跡継ぎは公爵がその息子と決まったようなもの。
お姉様は一時的にしろ落ち着き、これで父の願いが叶ったかのように見えた。
けれども、…。
お姉様が肺の病で亡くなった。
最後の数ヶ月は見ている方が苦しい日々だった。
そして、何もかもが、変わった。
陛下は私達一族を遠ざけるようになり、失意の中、父までもが亡くなってしまった。
気付いた時には、あの王子が連れ戻され、世継ぎになると宣言が出されてしまった。
私達一族は蚊帳の外にされたのだった。
お姉様は馬鹿だわ。
たった一人の男を愛したが為に、裏切られてもがいて苦しんだ。
愛されないと満足出来ないくせに、愛してしまった。
求める事しか出来ないくせに、待つ人生を送った。
お姉様は誰よりも激しく陛下を愛したわ。
心が自分の元にないと知っても、よ。
だから、私はお姉様の様な人生を送りたくない。
たった一人の男に縛られるは嫌。
だから、アルミロが私に相応しいの。
目の前にいる夫を、私は信頼しているのよ。
「あの王子がね…」
その夫から持たされた知らせは、王子を失脚させキレンド公爵を次の王にするという夢を叶える最後のチャンスに違いない。
夫の熱弁を聞いているうちに、やはりという思いが込み上げてきた。
あの王子には渡したくない。
お姉様から陛下を奪ったあの女の子供になんか、王座を渡すものかと。
「ねえ、貴方」
「なんだい?」
「こんな事をやりましょうよ?」
私は夫に自分の思いを打ち明け、そして、考えた計画を告げる。
「ヒルダ、良い考えだよ!そうすれば私もあいつ等を見返してやれる」
「そうでしょ?貴方は唯一の宰相としてこの国の中枢になり、公爵が王になる。それがお姉様の望みだったし正しい在るべき姿だもの」
「ああ、その通りだ」
そう言って夫は早速に動き出してくれた。
そして、今。
一つが順調に終ったと連絡がきた。
「さぁ、始まるわ」
「ああ、これからだ」
無事に護衛を潜り込ませることに成功した私達は、祝杯を上げたのだった。




