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「ヴァン、まだ着かないのか?」
ルミーア様と渋々別れた殿下は、いやいや城に向われます。
まぁ、この程度の我が儘はこれまでもありましたから平気です。
「もう直ぐですよ」
「…、」
「ルミーア様の所に早く戻りたいでしょうけど、陛下とはちゃんとお話なさるんですよ?」
「わかってるさ、そんなことぐらい」
私は陛下に会われる殿下に同行しています。
陛下の病状は現状維持のままで、その事には城中が安堵しているところです。
「少しはお元気になられただろうかな、父上は」
「そうだと思いますよ」
私の励ましなど何の意味も無いでしょうが、殿下の声が明るくなられます。
「そうだな、俺を叱る元気があるんだからな」
そう言って考えに沈み込まれます。
ザルファー様が、この際だから一緒に暮らしてしまえば良いと仰って下さいましたが、だから直ぐにそうする訳にも参りません。
何度か陛下とお話し合いをしていただかないと、ご苦労するのはルミーア様ですからね。
「とにかく、ルミーアとの事を認めてもらってからだ」
「そうですね。ルミーア様ならば、きっと陛下もお気に召して下さいますよ」
殿下の顔が少しは明るくなりました。
簡単に上手くいく訳ではありませんが、それでもルミーア様との未来を求めたいと思っておいでなのですから。
一歩一歩進むしかありません。
城に着きました。
やはり城の中の空気はどこか重く、言葉の一つ一つを丁寧に紡ぎ出さなければいけない気持ちにさせます。
ようやく陛下の寝室隣の部屋へと辿り着きました。
重厚なカーテンが陛下が王座に就かれたからの時間を表している様です。
「殿下、お待ちしておりました」
「父上の御加減は?」
「本日は宜しいようです」
「そうか、じゃ、取り次いでくれ」
「はい」
侍従が中へと消えます。
「では、私はここで待っております」
「ヴァン、お前も同行しろ」
とんでもない事を言い出します。
私ごときが陛下の寝室に入るなど、無体なことです。
「ですが、」
「気にするな。お前の事も頼みたいんだ」
私の何を頼むというのでしょうか?
戸惑う私を道連れにしてシャルディ殿下は入室なさいました。
空気が変わります。
やはり王がいる部屋、滅多に感じない緊張感に戸惑います。
「シャルディか?」
「はい、父上」
ゆっくりと起き上がる陛下。
その肩にガウンをそっと羽織らせる殿下。
余り会話がないとされている親子ですが、互いを思いやる気持ちはお持ちなのが伝わります。
「我が儘を言っていると、ザルファーから聞いたぞ?」
「決して我が儘などではありません」
「許嫁がいるのに、別の女を妃にするなどと言い出すことが我が儘ではないのか?」
「はい」
殿下は怯みませんでした。
「ルミーア・ランファイネルを私の妃にしたいのです」
「本当にあの娘なのか?」
「はい、ネルダーで一緒に暮らした彼女です」
「いつ決めたのだ?」
「ルミーアがケンフリットに来た時から決めてました」
「それは、娘も納得しているのか?」
「もちろんです」
「確か昔にワシは、時期が来たら側室にしろと言った筈だ」
「嫌です、出来ません」
そのはっきりとした言葉に苦笑いされます。
「ゼファクトの姫は、お前が迎えに来てくれるのを待っているそうだ。どうするつもりだ?」
「…、私が行かなければこの話は進みませんね?」
「無茶をいうな…」
暫し無言が続きました。
「アチラへは、お前が卒業したら、直ぐに行け」
「父上、ザルファーから聞きました」
「何をだ?」
「この婚約の話は、父上と前皇帝の間の約束だと」
「…、ザルファーの奴…」
「私が断ることは可能なのですね?」
陛下が少しうな垂れました。
「父上と前皇帝が友人だったと聞きました。その友情からでた話だと。ですが、そのような話で私とルミーアの未来が壊されるのは嫌です」
「シャルディ、それが我が儘だと言うのだ」
「これを我が儘だと言うのなら、それで構いません。ならば、早々にルミーアとの婚礼を行い、その事実をアチラに告げてどうするかをお任せします」
「お前…、」
「私はルミーアを離さないと誓いました。2人で未来を見ると約束しました。その為ならば何でもすると自分に課しました」
「この話、息子である現皇帝も乗り気なのだぞ?」
「乗り気ですか?それは、厄介払いが出来るから、ですね?」
調べではクリステル王女は、前皇帝が亡くなる前に世話係に生ませた姫だとのことです。
そのような血筋の者が身内にいることは、恥と考えられるのが常です。
それでも年老いてからの姫を溺愛なさった前皇帝が身の振り方を心配して、今回の話になったとお聞きしております。
「ブラハンスはワシの良き友だ。彼の娘ならばお前にお似合いだと考えた。悪い話ではない」
「私は1人しかおりません。ルミーアと娶るとなると、ゼファクトの姫に割く時間などありません」
「女など何人いても大丈夫だろうが、」
「私には必要ありません、ルミーアだけで身一杯です」
陛下は深いため息を疲れました。
「その強情さは誰に似たのだろうな…」
殿下は優しいお顔でお答えになります。
「それは、父上でしょう」
「そうか?」
「はい、」
その言葉に陛下の皺が緩くなったようです。
「お前達のことは、そうだな、ワシが原因なのかもしれぬ」
陛下は窓の外を眺められました。
「ワシがお前たち親子をネルダーへと追いやったことが、始まりだ。ワシはマリアーヌに償わなくてはならない…。不幸にするつもりなど無かったのに、結局は二度と会えなかった」
「父上…」
「不甲斐ない男だ。王妃の振る舞いに疲れ果てて政に逃げ込んだ。ワシが庇えば、妃からの嫌がらせが悪化するからとお前たちを遠ざけた」
「もう、終ったことです」
「そうだ、終ったことだ。だから変えられない。マリアーヌも生き返らない」
その言葉の深さに、やはり陛下はマリアーヌ様を愛しておられたのかと驚いてしまいます。
「だが、ワシは決めたことを覆す訳にはいかない。ましてやこの国の王子の結婚だ。何があろうとゼファクトの姫をお前の妃にしろ、いいな?」
「嫌だと申しております」
「馬鹿が」
言葉としては強いのですが、何故でしょうか、陛下の声はどこか優しく響くのです。
「ザルファーが進言してくれましたので、私の卒業と同時にルミーアと暮らします」
「どこでだ?」
「城ですね」
「ワシの目と鼻の先でか?」
「そうなります」
ゴホン、と陛下が咳き込まれました。
殿下はその背中を擦ります。
「1度、会ってやってください」
「…、マリアーヌの遠縁だと聞いた」
「そうですね。けど、穏やかで優しかった母上とは全然違います。真っ直ぐで良く笑って、賑やかで、ちょっと我が儘で、ですが、私だけを愛してくれます」
「マリアーヌも、そうであった」
思いもがけない言葉でした。
「母上も、ですか?」
「もういい、そうだな、機会があれば会おう」
「はい、今の言葉だけで充分です」
どうやら不本意ながらも納得なさってくださったみたいです。
「で、これから、如何したい?キレンドの息子と揉めたのだろう?」
「厄介を避ける為にも、エリザベス王太后のところへ彼女を預けようかと思ってます」
「それは名案だな。あそこならば手出し出来んな」
「はい、」
それから陛下は再び意外な事を仰りました。
「ついでに、母上にその娘を任せろ」
「?」
「ここでは礼儀に苦労するだろう。その様な姿は見たくないだろうが」
「…、はい」
「ワシも、娘の涙など見たくないからな」
私は陛下の言葉に安心しました。
これでルミーア様が城で生活する基盤が出来たように感じます。
「父上のおっしゃる通りに致します。それと、王太后様にも許してもらいたいと考えています」
「娘を見せれば、あの母上も納得するか?」
「はい、ルミーアなら必ず」
「惚気じゃな…」
「まぁ、そうです」
満足気に王は頷く。
「わかった。キレンドにはワシから釘を刺そう。世継ぎはお前だという事を染み込ませねばならん」
「お願い致します」
「わかった。で、その者は?」
陛下の蒼の瞳が、私の心臓を射抜きます。
「私の影です」
「ほほぅ…、何が望みだ?」
「この者に貴族としての位を授けて欲しいのです」
突然のことに、私は陛下の御前であるのに声を発してしまいました。
「殿下!」
「ヴァン、黙っていろ。お前には必要なことだから、こうして父上に願っているのだ」
そう言えば、オルタンス様にお目に掛かった時に、私の様な下賎な者が声を発することを嫌われてしまいました。
それは仕方が無いことではありますが、殿下はお考えになられて下さっていたのですね。
「どの程度の位が必要なのだ?」
「これから私とルミーアの為に働くに相応しい程度で構いません。今までもこの者は私の影として動いてくれましたが、それだけでは思うように動けない場面が出てくるでしょう。貴族という肩書きがあれば楽に働いてくれます」
「なるほどな…、で、この者の名は?」
「ヴァン・スタンレーと申します」
陛下が私を見る視線は、思いの外、温かなもので驚きました。
「ヴァン、この息子の事、頼んだぞ?」
「は、私の命に代えましても」
私は陛下からのお言葉に、緊張から体が震えました。
「うん。シャルディ」
「はい」
「王都内に一代貴族の空きがある筈じゃ。確か男爵だったな、それを使え」
「はい」
「それとだ、母上の所に行ったなら、よろしく伝えて欲しい。親不孝な息子で申し訳ないと」
「父上、そのような事は、」
「いや、このままでは母よりも先に逝きそうだ。やはり親不孝だが、それも良いのかも知れない」
「良くありません、父上」
殿下の言葉に少し驚いたように陛下が仰ります。
「何故だ?」
「もう少し、自由な時間を私に下さい。お願いします」
「何?お前が自由でいたいから、ワシに生きろと言うのか?」
「はい」
「我が儘だな」
「はい、我が儘です」
「そうか、ハハハ…」
陛下が笑っておいでです。
「好きにしろ、この馬鹿息子が…」
「はい」
それから、私はオルタンス宰相の下で私が名乗る貴族についてのレクチャーを受けました。
そんな私を置いて、殿下はいそいそとルミーア様の元に向かった様です。
暴走しないか心配です。




