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明日は合宿から戻るという夜です。
私はようやく解放されるような気持ちになってしまっています。
もう他人の嫌な視線に晒される時間が減ると思うからです。
あの夜以降、みんなの視線が変わりました。
親身なものから、好奇なものと侮蔑なものと、に。
ネルソン先輩の部屋から朝帰りした女、ですから。
後悔はしてない筈ですが、私は意外に弱い人間ですね。
あの日、先輩が送ってくれたのは、先輩の気持ちだったんだと思います。
けど、テニスのクラブの数人に見られてしまいました。
ネルソン先輩が送ってくれたなんて、当然の様に噂になります。
それから今までヒソヒソされるのは、ちょっと堪えました。
私は先輩を避けました。
会いそうになると全力で逃げました。
これ以上は何の進展もないし、望んでもいなかったからです。
夜の暗さが気持ちを内に誘います。
合宿の間は相部屋で、同室の彼女は何も聞かずにいてくれました。
ありがたかったです。
ですが、最終夜という今、彼女が話しかけてきます。
「ラルディア、寝たの?」
心配そうな声です。
「いいえ、まだです」
「聞いていいかしら?」
「なんでしょうか?」
「あの噂、本当なの?」
「噂、って、」
「ネルソン先輩の部屋から2人で出てきたって、それって、先輩と寝たってこと?」
ストレート過ぎて、嫌味を感じません。
だから、素直に答えます。
「そう、なります」
「じゃ、貴女はネルソン先輩の恋人なのね?」
「それは…、違うと思います」
「違うの?」
違うでしょう。
先輩はあれほどまでに、ルミーアを好いているんですから。
「ええ。けど、それで良いんです」
「駄目よ!」
彼女は起き上がってしまいました。
「ラルディア、貴女、怒っていいんじゃないの?」
「怒る?」
「だって、そんなの、ネルソン先輩の都合なんでしょ?いいの?」
「でも、私も納得してのことですから」
私の代わりに怒ってくれてます。
「もっと早くに聞けば良かった。聞いたら悪いような気がして、黙ってたけど、みんなの噂と全然違うじゃない!」
「噂って、どうなっているんですか?」
「ラルディアが先輩の部屋に押し掛けたって聞いたわ。それで先輩も酔ってたから押し切られたって話なの」
「はぁ…」
なんだか、面倒なことになってたんですね。
人事みたいにしないと、やってられません。
「なんともまぁ、面倒ですね」
「他人の事みたいに言って…、ラルディア、貴女のことよ?」
「けど、そうでも思わないと」
「そうなの?」
「はい、やってられません」
お互いにクスクスと笑い合ってしまいました。
彼女は少し落ち着いたみたいです。
「コーチは何か言ってるの?」
「取り立てては何も」
「そうよね、ラルディアならケンフリットを引っ張っていくプレイヤーに成れるもの」
「そうでしょうか?」
「ええ、私なんかが逆立ちしても敵わないから」
皆にコソコソと陰口を叩かれている私です。
そんな陽の当たる場所に出て行けるのでしょうか?
「とにかく冤罪を晴らさないと!」
冤罪って、私は何も悪いことをしてないのですが…。
なんだか、これはこれでややこしくなりそうです。
「いいです、このままで」
「駄目よ!」
「いいですから」
私は、マドレーヌとルミーアがわかってくれればそれでいいと思います。
下手に色々なことを言って、先輩のルミーアへの想いや、今のルミーアのことが広がる方が怖いんですから。
「いいんです。だって、ネルソン先輩はわかってくれてますから。他の人に謝る必要も説明する必要もないです」
「ラルディア、貴女って、」
「ベニー、心配してくれて嬉しいです。でも、明日も早いですからね、寝ましょう?」
「もう…貴女がそれでいいのなら、いいけど…。でもちゃんと本当の事を知ってもらうのも大切なことよ?」
「分かってます。けど、これ以上は事を大きくしたくないんです」
「わかったわ、お休みなさい」
「はい、お休みなさい」
そう過ごして朝を迎えました。
帰りはそれぞれに馬車を乗り合わせてとなります。
ベニーは急ぎの用事があるために早くに帰ってしまいました。
彼女以外には誤解されたまま…、誤解という言葉が合っていればですが。
なので、誰も一緒には乗ってくれません。
別に構いませんが、1人だと料金が掛かるので困りました。
そこは仕方が無いと思い切ろうとしたのですが…。
「ラル!」
先輩でした。
「俺が一緒に帰るから、待ってろ。いいな?」
「いえ、大丈夫です」
「無理するな、1人だと高くつくんぞ?」
「先輩、私だってその程度のお金なら持っています」
「ラル、そんな事いうな…」
鳶色の瞳は申し訳なさそうです。
ここには、2人しかいないからでしょうか。
「俺のせいで、お前には嫌な思いをさせてしまったんだ。だから、俺は償いたいんだ」
「だったら、放っておいて下さいませんか?」
「ラル?」
「私は、確かに先輩に誘われて関係してしまいました。けど、それは強要されてのことじゃなかったですよね?」
「ああ、そうだったな…」
「私はあの時の先輩を慰めてあげたかったんです。それに、私はその事を後悔してません」
「…」
「だから、償うなんて言わないで下さい。だって、なにも悪いことしてないんですから、私は!」
涙を流してしまった。
そんなつもりなかったのに。
「すまない…」
「やめて、下さい」
「俺、どうしたらいい?」
「お願いですから、なにもしないで下さい。それに、もう、会うこともないでしょうから」
思わず言葉が出ました。
会わないようにするには、その方法は一つしかないのです。
「ラル?」
「失礼します」
用意された馬車に1人で乗って、25寮に戻りました。
涙が止まらなかったのは内緒です。
どうして止まらないのか、分かっているけど分からない振りをしたいんです。
戻った25寮には、ルミーアとマドレーヌがいました。
あと女性が1人。
私が「ただいま、」といった瞬間に声が返ってきます。
「ラル!お帰りなさい!」
ルミーアは相変わらず元気に出迎えてくれます。
「日焼けしましたね?けど、似合ってます」
マドレーヌも側まで来てくれて、優しいです。
「ルミーア、マドレーヌ…」
「マドレーヌ、ほら!」
「はい!」
あ?
「え?」
急に2人に抱きしめられました。
「お帰り!」
「お帰りなさい!」
なんだろう、涙が出て来ます。
「はい!」
「ラル、泣かないでよ?泣いちゃだめだよ?」
「そうです、そうですわよ!」
けど、。
「貴女達も泣いてる…」
「いいの!」
「そうです」
3人で抱き合って、泣いてる。
私達は友人です。
これまでも、これからも、です。
嬉しいです。




