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私は淡々と自分の生い立ちをルミーア様に語りだしました。
私の名前はヴァン・スタンレーです。
けれども本当の名前など忘れてしまいました。
この名前は殿下が付けてくださったのです。
私は自分の父母の顔すら知らないような人間です。
育ててくれた年老いた祖父に私の両親は死んだと聞かされていました。
その祖父も私が8歳の頃に亡くなりました。
年寄りですから当然です。
その後は身寄りもないまま、王都の喧騒の中で独りで生きてきました。
誰も頼る人はいない訳ですから、自分の知恵だけを頼りにです。
13歳の頃でした。
あの時は港で人足の仕事をしてたんです。
まだ子供の体でした。
それでも、そんな事は関係なく大人と同じ荷物を担いで倉庫に荷物を運んだんです。
重いなどと言ってはいられない生活でした。
それをシャルディ殿下が見ておいでたそうです。
自分と対して変わらない子供が大きな荷物を担いでいる光景を見るのが初めてで鮮烈で目が離せなかったと、後になって聞きました。
私はふらつきながら歩いていました。
やはり荷物が重くて耐えられなかったのです。
そして、…。
「うわぁ!」
急にバランスが崩れ荷物ごと転んでしまいました。
私は荷物と一緒に地面に打ち付けられたんです。
「なにしてんだ!」
親方の鞭が飛びました。
バシっと音がしたのですが、不思議なことに痛くなかったのを覚えてます。
もう痛覚が麻痺していたのでしょうね、きっと。
荷物の心配をした後で振り返り私を睨んだ親方がいいます。
「さっさと、運べ!」
そしてもう一度鞭で私をぶちました。
その音と同時に声が聞こえました。
「やめろ!やめるんだ!」
その時に殿下が飛び出して私を庇ったのです。
お付の人間は当然咎めます。
「殿下!何をしておいでですか!」
「そのようなモノに構うなど、お離れ下さい!」
けれどもシャルディ殿下は私の前に立ち、大声で叫びました。
「うるさい!」
そして私の腕を掴み、立ち上がらせようとして下さいました。
「歩けるか?」
「あ、なんとか…」
そういった後、殿下は私にニッコリと微笑まれました。
「俺に付いて来い!」
私には理解できませんでした。
見るからに身分の高そうな子供が、私を引っ張って立たせた挙句について来いというのです。
それは親方も同じでした。
ただ親方は殿下の後から身なりのいい男性達が走ってきたので、目の前に現れた子供の素性を薄々と感じたようです。
「坊ちゃん、坊ちゃんには関係のないことです。係わり合いにならないで下さいまし」
そう言って後ろの男達に殿下を連れて行くように話し始めたのです。
ですが、殿下は再び大きな声で親方に命令しました。
「黙れ!いいか、こいつは俺が貰った!」
「ええ?」
これにはそこにいた誰もが驚きました。
私も、驚きました。
殿下は「おい、」と後ろの大人に声を掛けると、ようやく立ち上がった私の姿を満足そうに見ました。
それからこういったのです。
「こいつの体は俺の物だ。いいな?」
「殿下、ですが、」
「金なら払ってやれ。だが、相場と同じだ。わかったか!」
後のことは知りません。
私は引き摺られるように殿下の下へと拾われたのです。
そして殿下と一緒に暮らすようになったのです。
住まいは城の中の殿下の居住区域、着る物も支給されて食事はマトモな物を頂けるようになりました。
そして、字も読めず物事を順序良く考えることもしなかった私に、殿下は殿下と同じ教育を施して下さいました。
ありがたい事に、殿下付きの教授は辛抱強く私を教えて下さいました。
私も必死に学びました。
殿下の影になろうと決めてましたからね。
ここまで話した時です。
「ねぇ、」とルミーア様が尋ねました。
「ヴァンは最初っから私だって知ってたみたい、それって、いつ分かったの?」
当然の質問ですね。
私はこう答えました。
そうですね、1番最初に出会ったのは貴女様が入学の手続きを行っていた時です。
私の耳に、ルミーア・ランファイネルという言葉が飛び込んで来ました。
慌てた私は貴女様を見詰めていました。
殿下が話してくださった通りの女性が目の前にいたのですから、驚きました。
貴女様が25寮に入寮するのを確認してから、私は殿下の元に急ぎました。
私の話を聞いた殿下は、驚かれてましたよ。
そして愛しそうに、とても嬉しそうに、貴女様の名前を呼びました。
今でも愛していらっしゃるのだな、と思いましたね。
けれども直ぐに何かが出来たわけじゃありません。
その時に分かっているのは入学式のパーティで会えるだろうって事ぐらいでしたから。
貴女様がいるという確認が取れた時のシャルディ様の挙動不審振りは、お見せしたかったですね。
それから、いつもの席を側室が止めるもの構わずに移動して、貴女様とネルソンの踊っている姿を見ておいででした。
とても不機嫌そうな顔で。
あの後退場なさったのは予定になかった行動です。
それから暫くして、私に貴女様と知り合いになるようにと頼まれました。
それは命令ではなかったです。
「そうなの」
ルミーア様は返事をして、自分の考えに入っていかれたようです。
ですので、ここから先の話はルミーア様には言いませんでした。
殿下は私に、それはもう、ちょっと言い難そうに話を切り出されました。
「ヴァン、すまないんだが、そのだ、来週から学院の授業を受けてきてくれ」
「私がですか?」
「ああ、」
学院へ勉強に?
驚きました。
「大丈夫ですか?貴族でもないのに、大学なんて…」
「その位、なんとでもできる」
「で、用件は?」
「あ、」
「私を大学に行かせてまで、私にやらせたい用件ですよ」
分かっていたのですが、尋ねました。
照れを隠すように仰ります。
「ルミーアだ」
そうでしょうね。
「ネルソンが側にいるんだ…」
彼の名前も聞き飽きるほど聞かされておりました。
ネルソンは自分の恋敵だ、と。
「ああ、じゃ、取られますね?」
「…、」
しばしの無言です。
悔しかったみたいです。
「ヴァン、側室の奴らを追い出すのにどの位かかるかな?」
「そうですね、早くて3ヶ月。納得しなければ半年ですかね」
「方法はないか?」
「なにか考えましょう。そう言えば新しく側室になりたい女性にお会いになるとか?」
「オルタンスの娘だ。あの男も父上に取り入るだけでは不安なんだろう」
「当面はルミーア様のことは隠さなければなりません。利用できるようであれば利用いたします」
「わかった」
それから4ヶ月程して、シャルディ様は本当に側室との関係を清算なさいました。
1人はあっけなく去って行き、もう1人は納得していないままでしたがね。
それにしても、オルタンス様のお嬢様とルミーア様が同じ寮だったなんてね。
気付いていませんでした。
分かっていれば、もっと違う動き方が出来たものを、悔やまれます。
とにかく、こうしてこの庭にルミーア様をお連れするのが今日の私の仕事です。
仕事は無事に完了しました。




