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「ありがとうございます。お言葉に甘えて、休ませていただきます」
そしてリーノを案内するためにアリーシャの指示でやってきたのは、公爵家の侍女の中でもベテランの者だった。
リーノが侍女に連れられて立ち去ったあと、アリーシャは戸惑ったようにクロエを見る。
「何があったの?」
「実は、旅の途中で……」
クロエは町を移動しようと歩いている最中に、倒れている彼女を見つけて看病したことを話した。
その話のついでに、移民の立ち入りを拒む町。そして、この国で生まれた移民たちの子孫が集まる集落について、簡単に説明する。
「そんなことがあったの。まだまだ地方まで手が回らなくて、教えてくれて助かるわ。それに、まさかジーナシス王国の魔女を連れてきてくれるなんて」
「私も驚きました。リーノさんは魔法の研究のために、各国を回っているそうです」
あんなところで魔女に出会うとは思わず、驚いたのはクロエも一緒だ。
「それで、王都に来た彼女の目的は、何かしら?」
「私もよくわかりません。ただ、魔女に関することだと話していました」
馬車の中で打ち合わせをした通りに、そう答える。
「魔女……。カサンドラ王女殿下かしら」
「そうかもしれません」
クロエの返答に、アリーシャはしばらく考え込んでいた。
「私はこのことを、ジェスタ様に報告してきます。もしジェスタ様が会いたいと言ったら、彼女は受け入れてくれるかしら?」
アリーシャの婚約者である王太子の名前に、クロエは頷いた。
「はい。大丈夫だと思います」
リーノからは、国王と対面する前に王太子に会わせてほしいと言われていたので、ちょうど良かった。
「すぐに王城に行くわ。その間、彼女をよろしくね」
アリーシャはそう言うと、慌てた様子で王都に向かった。
きっと帰りには、ジェスタを連れてきているのだろう。
クロエとエーリヒも一度それぞれの部屋に戻り、着替えをしてから、リーノがいる客間に向かう。
リーノは身なりを整え、きちんとしたドレスに着替えていた。
「さすがに王太子殿下に会うのだから、ちゃんとしないとね」
ドレスはシンプルなデザインだが、素材は最高級なのがわかる。それがかえってリーノの美貌を引き立てていた。
「とても綺麗です」
感動してそう言うと、リーノは照れたように笑った。
「ありがとう。これから王太子殿下にする話は、あなたの家族を窮地に追い詰めるかもしれない。それでも大丈夫?」
「……」
クロエはすぐに返事ができなかったが、代わりにエーリヒが答える。
「もちろんだ。クロエを傷付けた報いは、必ず受けてもらう」
「そうね。あれだけ酷いことをしておいて、本人たちは何も変わらず過ごしているのは許せないわ。もちろん過剰な報復はしないけれど、自分たちがやったことを反省して欲しいのよ」
クロエとしては、もう関わらないのではあれば、それでいいと思っていた。
でもリーノとエーリヒに説得され、過剰なことはしないのなら、と今は納得している。
やがてアリーシャが王太子のジェスタを連れて戻ってきた。
クロエとエーリヒも、彼女と一緒に先ほどよりも広い客間に案内され、ジェスタとリーノが挨拶を交わす様子を見つめていた。
「私が王都に来たのは、魔女についてお聞きしたいことがあったからです」
「魔女とは、私の妹のカサンドラのことでしょうか?」
アダナーニ王国の王子、王女たちは、全員母親が違っている。
だからジェスタも、クロエの元婚約者のキリフとはまったく似ていない。共通しているのは、金髪であることくらいだ。
「いいえ。彼女はジーナシス王国の定義で言うと、魔女ではありません」
「……魔女では、ない?」
さすがに驚いたらしく、ジェスタは隣にいるアリーシャと顔を見合わせている。
「ですが妹は、魔女の力を持っています」
「願い事を叶える力を持っている。そう聞いています。でも、彼女は魔女の定義を満たしていない」
リーノはそう言って、自らの髪に触れた。
美しい白金の髪が、さらりと流れた。
「魔女は必ず、この髪色で生まれます。ですが、カサンドラ王女は金色の髪だと聞きました。でも魔女に近い力を持っているから、他の国で魔女と名乗るのは自由かもしれません。でも、残念ながらジーナシス王国では魔女だと認められません」
「……」
「……」
ジェスタとアリーシャは無言のまま、互いに見つめ合っている。
最大の敵だと思っていたカサンドラが、たいしたことがない存在だと言われ、しかも魔女でもないと言われて、どうしたらいいのかわからないのだろう。
「では、妹のことではないのなら、何をお聞きしたいのですか?」
そうジェスタに問われて、リーノは悲しそうな顔をする。
「この国には、魔女が生まれていました。カサンドラ王女とは違う、ジーナシス王国も認め本物の魔女です」
「それは……」
ジェスタとアリーシャの瞳が期待に輝く。
新しい魔女が誕生すれば、完全にカサンドラを排除することができると、信じているのだろう。
でもその期待も、あっさりと砕け散る。
「でも彼女は虐待され、不要だと切り捨てられて、おそらく絶望したまま、亡くなってしまっています」
「そんな」
アリーシャの悲痛の言葉は、魔女を惜しむものではなく、虐待されて亡くなったという、その魔女に向けられたものだった。
それがわかったのか、厳しかったリーノの表情も少し和らぐ。
「亡くなってしまった魔女は、この国の貴族令嬢でした。私と同じ髪色をした、貴族令嬢に覚えはないでしょうか」
リーノのその言葉に、ジェスタが青ざめた。
「まさか、メルティガル侯爵家の……」
「キルフ王子殿下の、元婚約者のクロエ嬢?」
アリーシャもそう言った。
アダナーニ王国は男性の方が優位の国だが、メルティガル侯爵は特に、女性蔑視で有名な人だった。そんな家に生まれたクロエは、いつも怯えたような目をしていた。
頬を腫らしている姿を見た者もいる。
さらに婚約者だったキリフはそんなクロエを嫌い、堂々と浮気をした挙げ句、婚約破棄を突きつけた。
その後、クロエは屋敷にも戻ることなく、行方不明になっている。
スラムがあり、地下道にも魔物が出るこの王都で、貴族令嬢がひとりで生きていけるはずもない。
おそらくもう、亡くなっているのではないかと噂されていた。
「では、クロエ嬢はもう……」
「はい。同じ魔女である私にはわかります」
エーリヒが、クロエの手を握りしめていた。
クロエが、リーノの話を遮らないか心配しているのだろう。
でも、彼女の話は嘘とも言い切れない。
もしクロエが前世を思い出さなかったら、王女に囚われたエーリヒはクロエを追うこともできなかった。ひとりで王都に飛び出したクロエは、おそらくアリーシャたちの予想通り、死んでいただろう。
そしてエーリヒも、以前彼が言っていたように、クロエを傷付けたキリフを手に掛けて、処罰されていたに違いない。
クロエが前世を思い出し、魔力に目覚めなかったら、確実にそんな未来になっていた。
それなのに父もキリフも、以前と変わらない暮らしを続けている。
エーリヒが許せないと思うのも、少し理解できる。
「たとえ生まれた国は違っていても、魔女は皆、私たちの仲間です。大切な仲間をそんな目に遭わせた人たちを、許すことはできない。血生臭いことは望みませんが、相応の処罰を希望するつもりです」
リーノは、きっぱりとそう言った。
ジェスタは、どんな回答をするのだろう。
そう思って見守っていると、ジェスタはリーノに対して頭を下げる。
「そのクロエ嬢の元婚約者は、私の異母弟です。異母弟が、取り返しのつかないことをしました」
ジェスタと一緒に、アリーシャも頭を下げる。
ふたりとも、クロエとはほとんど関わっていない。それなのに、クロエのために謝罪してくれた。
誠実な人たちだと、あらためて思う。
「おふたりは、この件には関与していないのでしょう?」
クロエの表情でそれを悟ったのか、リーノの言葉も柔らかくなる。
「ですが、身内のことです。異母弟には、必ず罰を受けさせます」
「そうですか。できれば言い逃れのできないように、大勢の人たちが集まる場所で、その罪を認識してほしいと思っています」




