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「それで、海の魔物は、無事に退治できたの?」
背後からクロエを抱きしめたまま、動こうとしないエーリヒにそう尋ねると、彼はこくりと頷いた。
「ああ。クロエの魔法があったから、楽勝だったよ。むしろ、ちょっとやり過ぎたかもしれない」
魔物は大型の海獣で、船をいくつも転覆させていた。
ギルドの船を見つけて、ひっくり返してやろうと近寄ってきたが、その前にエーリヒが一撃で仕留めていた。
「すごいね」
指名依頼になるほどの魔物を、一撃で倒すエーリヒの実力に感嘆する。
「クロエの魔法のお陰だ。そっちはどうだった?」
「最初に海を見に行ったの。想像していたような砂浜じゃなかったけれど、広くて感動したわ。それと……」
屋台をたくさん回ったこと。
食べきれなかった分は、アイテムボックスに収納したこと。
お土産もたくさん買ったことを報告する。
「そうか。楽しかったようで何よりだ。実はアリーシャ嬢から、一度帰還してほしいという伝言が、ギルドに届いていた」
そう言われて、はっとする。
もともと、サージェ捕縛のために王都を出てきた。
それが終わって帰還するつもりだったが、エーリヒに指名依頼が入り、それを達成してからということになっていた。
その指名依頼も、いくつか終わらせている。
エーリヒの名声も、充分に高まったことだろう。
「そうね。そろそろ王都に戻らなくては」
いつまでもエーリヒと旅をしていたいと思うが、クロエには果たさなくてはならない使命がある。
リーノに一度戻らなくてはならないことを伝えると、彼女は納得してくれた。
「そうだったのね。それなら、私も一緒に連れて行ってくれない? アダナーニ王国の王都には興味があるけれど、一度入ると出られないと聞いて、少し躊躇していたのよね」
もちろん魔女であるリーノは魔法を使えば出られるだろうが、そこまでして行くつもりはなかったようだ。
クロエもまだ、彼女には聞きたいことがたくさんあった。
だから三人で一緒に、王都に帰還することにした。
その日は三人で、屋台で買ってきたものを食べて夕食にした。
(たこ焼き食べたいなぁ。明日は海鮮もたくさん買っておいて、王都に戻ったらたこ焼きパーティをしようかな?)
そんなことを思いながら、その夜、アイテムボックスの整理をした。
米や味噌が手に入ってから、もう食材を欲しいと思ったりしないようにしてきたが、あとひとつだけ。
たこ焼きソースだけは、何とかして手に入れたいところだ。
帰還するには王都の城門を通らなければならないので、マードレット公爵家が迎えの馬車を寄越してくれるらしい。
その到着は明後日の朝になるらしいので、その日はエーリヒと一緒に港町を観光することにした。
王都を出てからいくつもの町に行ったが、エーリヒは魔物退治しかしていないので、こうしてゆっくりと町を歩くのは初めてかもしれない。
海の魔物が退治されたので、港は大勢の人たちで賑わっていた。
採ってきたばかりの新鮮な海鮮が売られているらしく、クロエも参加する。
「その魚のセットと、エビ。それからタコとイカもください!」
貝もたくさんあって、思う存分、買い物を楽しむ。
エーリヒが持ってくれた荷物を、物陰でアイテムボックスに収納した。
「うん、良い買い物ができたかも」
新鮮な海鮮がたっぷり買えたので、王都に戻ってからも、色々な料理が作れるだろう。
「まずはたこ焼きパーティでしょう? あとは、魚は味噌漬けにしておいて……」
どんな料理を作ろうかとわくわくしていると、エーリヒが港町の活気を嬉しそうに見つめていることに気が付いた。
「エーリヒ、どうしたの?」
「うん。俺が魔物退治をしたことで、こんなに港町が賑わっているのを見て、何だか嬉しくて」
柔らかく微笑んだ姿は、エーリヒを見慣れているクロエでも、見惚れてしまうくらい綺麗だった。
自分自身に価値などないと思っていたエーリヒ。
でも、その考えも少しずつ変わっているようで、クロエはそれがとても嬉しかった。
「そうだね。エーリヒのお陰で、私もたくさん買い物できたよ。ありがとう」
笑顔でそう言う。
「クロエの役に立てたようで、何よりだ」
買い物が終わったあとは、海が見えるように作られた遊歩道をゆっくりと歩き、屋台ではなくレストランで食事をする。
海鮮を使ったパスタが、とても美味しかった。
翌日の朝になると、マードレット公爵家から迎えの馬車が来た。
それに乗って、王都に向かう。
アリーシャには、ジーナシス王国の人と旅先で知り合い、連れて行くと伝言してもらった。
「一応、確認しておきたいことがあるの」
馬車で移動している最中、リーノはクロエにこう尋ねた。
「クロエさんは、これからも魔女であることは公表しないつもりなの?」
「はい、そう思っています」
クロエはきっぱりとそう告げた。
これは、事前にエーリヒとも相談して決めたことだ。
このアダナーニ王国は、魔法後進国である。
厳密に言うと魔女ではないカサンドラの魔法さえ、あれほど重宝されているくらいだ。
そこで本物の魔女が誕生したと知ったら、どうなるか。
クロエの身の安全のためにも、移民出身の魔導師で貫くつもりだ。
「王太子や婚約者にも伝えない?」
「はい。これからどうなるかわかりませんが、今はそうするつもりです」
ふたりには打ち明けようかとも思ったが、エーリヒに止められた。
今は王太子とその婚約者だが、彼らはいずれ、この国の国王夫妻になる。
国際的なことを考え、国の価値を上げるためにも、魔女のクロエを手元に置きたがるかもしれないと言われたのだ。
クロエが自らの意思で残るのと、向こうから懇願されて断れないのとは、まったく違うと。
「そうね。私もその方が良いと思うわ」
リーノも、そう同意してくれた。
「逆に私のことは、魔女だと紹介してもらってもいいわ」
「本当ですか?」
予想外の申し出に、クロエは思わず聞き返す。
「私はジーナシス王国の八番目の魔女よ。アダナーニ王国の国王だって、私に何かを強制することはできないわ。それに、私は王都でやりたいことがあるのよ」
「やりたいこと?」
リーノは不思議そうに首を傾げるクロエから、エーリヒに視線を移した。
「クロエさんを理不尽に虐げた人たちに、復讐したいとは思わない?」
「できるのか?」
エーリヒはすぐにそう問いかける。
「ええ。できるわ」
「ま、待って」
クロエは驚いて、リーノとエーリヒを交互に見つめる。
「復讐なんて、そんな」
「もちろん、命を奪うようなことはしないわ。ただ、自分たちが虐げ、失ってしまったものがどれだけのものだったのか。それを思い知らせるだけよ」




