・31
翌朝、エーリヒはギルドに用事があるらしく、クロエの用意した朝食を食べて、早々に出かけて行った。
その後、クロエはリーノとゆっくりと朝食を食べる。
「このパン、柔らかい……」
「スープも絶品ですね」
エーリヒの分もふたりで食べて、それからまた応接間で魔女と魔法の話をする。
「クロエさんが使った、病気にならない魔法の話をもっと聞かせてくれる?」
「もちろんです。ただ、無意識に使ってしまったので、あまり参考にならないかもしれません」
風邪を引いたクロエは、エーリヒに看病してもらっていた。
そこで楽しみにしていた外出の予定を延期すると言われてしまい、クロエは、もう絶対に病気にならないから、と宣言してしまう。
「これから病気にならないってことは、病気を予防するということ。私の求めている病気を治す魔法ではないけれど、予防できるなら、それも大事なことよね」
それから問われるままに、エーリヒの右腕のことも話す。
魔物の攻撃を受け止めても傷付かない。
サージェの全力の魔法攻撃を受けても、平気だった。
「物理攻撃も、魔法攻撃も効かないなんて。よほど強い守護魔法をかけたのね」
リーノはそう感心していた。
「それにしても、病気の予防ね。とても良い方法だと思うけれど、子どもの間、まったく病気にならなかったとしたら、それも少し問題かもしれないし……」
リーノは考え込んでいた。
その横顔は真剣で、彼女がこの魔法に真摯に取り組んでいることがわかる。
ふたりで話をしているうちに、ギルドに行っていたエーリヒが戻ってきた。
「魔物は、沖に出るらしい。ギルドに船を出してもらうことになったが、ギルド員以外は同乗できないと言われた」
「……そうなのね」
少しだけ船に乗ってみたかったと思うが、一般の船ではなく、ギルドの船なので、きっとそういう規則なのだろう。
「じゃあ、先に魔法をかけておくね」
「すまない。それと、港の方にはたくさん屋台が出ているらしい。俺がいない間、ふたりで行ってきたらどうだ?」
「え?」
「屋台?」
リーノとクロエは顔を見合わせる。
「行ってもいいの?」
「魔女がふたりなら、何があっても大丈夫だろう。ただ、絶対にはぐれないように気を付けてほしい」
「うん、わかった」
今までエーリヒがいないときは、宿で留守番をするのが当たり前になっていた。
でも今日はエーリヒの方から、ふたりで外に出ることを提案してくれた。
リーノが力を完全に使いこなしている魔女であることも、その理由だろう。
エーリヒは魔物退治に行くのに、と思うが、エーリヒはクロエが楽しく過ごしているほうが嬉しいと言っていた。ここは遠慮などせず、そうするべきだろう。
「お土産も買ってくるからね」
「ああ、楽しみにしている」
すぐに魔物退治に向かうというエーリヒに、補助魔法をいつもよりもたくさん掛けて送り出す。
「まだ少し早いけど、港に出て海を眺めて、それから屋台に行くのはどうですか?」
そう提案すると、リーノは喜んで承知してくれた。
「クロエさん、今日だけ髪色を元に戻してみない?」
そう言われて、戸惑う。
「でも……」
魔法でクロエだと認識できないようにしているとはいえ、変装しない姿で出歩くのは、少し不安があった。
「魔女としてのクロエさんと、一緒に歩いてみたいと思ったの。それにふたりで歩いていると、姉妹みたいに見えるし」
たしかに同じ髪色のふたりが歩いていたら、姉妹だと思われるだろう。
少し迷ったが、リーノが一緒だから大丈夫だと思い、元の髪色に戻してみた。
(あれ? 以前よりも違和感がないかも……)
鏡に映った姿を、じっくりと眺めてみる。
白金の髪に、水色の瞳。白い肌。
たしかに目立つ色彩ではないが、元婚約者が嘲笑って言ったほど、みっともないとは思えない。
むしろ神秘的で、綺麗ではないか。
そんなことを思ってしまい、思わず笑ってしまう。
(さすがに神秘的ってことは、ないね)
あの頃と違うとしたら、表情だ。
以前のクロエは人格を否定され、ひどい扱いを受けて、いつも怯えていた。
でも今のクロエには、最愛の恋人がいる。
どんなことがあっても、エーリヒが傍にいて守ってくれると信じているからこそ、いつも顔を上げて、真っ直ぐに前を向くことができるのだ。
こうしてひさしぶりに本来のクロエの姿で、リーノと外出することにした。
まずは海に向かう。
前世の記憶から、何となく砂浜の海岸を予想していたクロエだったが、ここは港町である。小・中規模の船がたくさん並んでいた。
海に出ている船がいないのは、ギルドの船が魔物退治に出ているからだろう。
「広いですね」
リーノも海は珍しいらしく、ずっと浮かれた様子で水平線を眺めていた。
しばらく海を眺めたあとは、目当ての屋台に向かう。
「わぁ、すごい」
良い匂いが漂ってきた。
広い道の両側にはずらりと夜会が並んでいて、人々で賑わっている。
「はぐれないように、手を繋ぎましょう」
クロエが提案すると、リーノは差し出したクロエの手を、きゅっと握ってきた。
年上だとわかっていても、その姿は愛らしく見えてしまう。
ふたりで気になったものはすべて買い、食べきれない分はアイテムボックスにしまうことにした。
人は多かったが、ふたりに話しかける者も、注意を払う者はいない。リーノが意識を逸らす魔法を使ってくれていたのだろう。
お陰でトラブルもなく、ゆっくりと屋台を楽しむことができた。
宿に戻り、少し休んでいると、エーリヒが戻ってきた。
「おかえりなさい。早かったね」
船で魔物退治に出たので、時間が掛かると思っていた。
だから予想以上に早く帰ってきてくれたのが嬉しくて、笑顔で迎える。
きっと魔物退治も成功したのだろう。
「大丈夫だった?」
そうねぎらいの言葉を掛けようとしたクロエは、エーリヒがクロエを見つめていることに気が付いて、首を傾げる。
「どうしたの?」
「髪が……」
「あっ」
そう言われて、髪色を戻したままだったことに気が付いた。
「屋台に行くとき、リーノが姉妹に見えるようにって、提案してくれたの。それで、この髪色に」
「そうなのか」
エーリヒは納得したように頷いた。
エーリヒにしてみれば、この髪色のクロエのほうが、馴染みがあるのかもしれない。
まだ騎士見習いだった頃からずっと、このクロエを見てきたのだから。
そう思ったクロエだったが、エーリヒは困ったように視線を逸らす。
「何だか、その髪色だとお嬢様と呼びたくなるな」
「えっ?」
たしかに騎士見習いだったエーリヒは、クロエをお嬢様と呼んでいた。でも今さらそう呼ばれると、少し寂しくなる。
「じゃあ、元に戻すね」
そう言って、黒髪にした。
するとエーリヒは、ようやく笑みを浮かべてクロエを抱きしめた。
「うん。これなら、俺のクロエだ」
「エーリヒは、前の色の方が好きだと思っていた」
率直に気持ちを打ち明けると、エーリヒはクロエを抱きしめたまま、首を振る。
「もちろん、以前のクロエも愛している。最初に恋をしたのは、傷だらけの俺の手当をしてくれた、あのクロエだ。でも、このクロエは俺のものだと思っている」
互いにまだ、子どもの頃に出会った。
その長い年月を考えると、黒髪のクロエとして過ごした時間は、ほんの僅かだ。
でもその期間に、たくさんのことがあった。
エーリヒに恋をしていたことに気付き、そしてエーリヒも自分を愛してくれていたことに気が付いた。
ふたりの将来のために、これからもずっと一緒に過ごせるように頑張ってきた。
その年月を愛おしんでくれているからこそ、黒髪のクロエの方が好きだと言ってくれるのだろう。
「私は全部、エーリヒのものだよ」
そう言って、クロエからも手を伸ばしてエーリヒの背中に手を回した。
今のクロエは、前世の知識に助けられている部分も多い。
でも前世のクロエは、人を愛する気持ちを知らなかった。
大切な人と歩む人生は、こんなにもすべてが愛しくて、輝いて見えるのだと初めて知った。




