・30
馬車は一日かけて、港町に到着する。
もう周囲は暗くなっていたが、波の音が聞こえる。
もちろん前世では何度も見たことはあるが、クロエとしては初めてだ。
今夜泊まる貴族専用の宿は、海の見える場所に建っていた。
明日の朝になれば、壮大な海を眺めることができるだろう。
今夜の部屋もとても広く、キッチンにバスルーム。さらに寝室がふたつある。
運んできてもらった夕食には新鮮な海鮮が並び、リーノとふたりで喜んだ。
「エーリヒは?」
「クロエの料理がいい。作り置きの」
「うん、わかった」
アイテムボックスからおにぎりと鶏肉の香草焼きを取り出す。
「味噌汁も作るね」
調理器具を出して、手早く味噌汁を作る。
「変わった料理ね」
リーノが不思議そうに覗き込む。
「本で読んだことがある異国の料理なんです。エーリヒがとても気に入ってくれて」
前世のことを話すつもりはなかったので、そう答えた。
彼女も興味はあるみたいだが、独特の匂いに、食べる勇気は出なかったようだ。
(まぁ、普通は食べ慣れたものが一番だから)
高級宿の美味しい料理よりも、クロエの料理を好むエーリヒが変わっているのかもしれない。
海鮮料理を堪能したあとは、食後のお茶を飲みながら、リーノにジーナリス王国のことを教えてもらう。
「今のジーナリス王国には、魔女が十人いるの。一番年上は、私の祖母よ」
魔女の力は家系に受け継がれることが多いが、全員が親戚というわけではないと言う。
「他国にもたまに、魔女のような力を持つ者が生まれることがある。でも、ほとんどはそれっぽいだけ。あなたは国外でひさしぶりに生まれた、本物の魔女ね」
他国で魔女が生まれることが稀なので、魔女として認められる条件もまた、他国に伝わっていなかったのだろうと、リーノは言った。
「魔女として生まれたら、五歳になるまで、魔法の使えない部屋で暮らすの。子どものうちは、無意識に力を使ったりして、大変なことになるから」
だから自分で制御できるようになるまで、魔女の力を封じていたクロエの話を聞いて、リーノは驚いたようだ。
「何も知らなくても、ちゃんと自分でそう考えて実行した。すごいことだと思うわ」
そう褒められて、少し照れてしまう。
(でも、アダナーニ王国にある魔法の使えない塔は、きっとその部屋と同じ造りになっているのね)
王女は今、どうしているだろう。
きっとまだ、エーリヒを自分のものだと思っているかもしれない。そう思うと、少し嫌な気持ちになる。
それからも、他の魔女の話や、他の国を巡ったときの話などを聞かせてもらう。
「そろそろ良い時間ね。今日はひとりで寝るわ」
そう言ってリーノは立ち上がる。
「え、でも」
彼女が同行している間は、一緒に寝ようと思っていたクロエは戸惑う。
「大丈夫よ。私が幼いのは見た目だけ。それに、恋人同士で一緒にいた方が良いでしょう?」
「ええ、ありがとう」
せっかくそう言ってくれたのだからと、先にリーノにお風呂に入ってもらい、クロエはエーリヒの部屋に行くことにした。
扉を叩いて、彼の名前を呼ぶ。
「エーリヒ、入ってもいい?」
そう言った途端、扉が開かれた。
「クロエ、どうした?」
「今日は、エーリヒと一緒に寝ようかと思って」
「話はもういいのか?」
クロエがリーノに色々と聞けるように、ふたりを同室にしてくれていたのだ。
「うん。色んな話をしてもらったわ。それに、まだこれからも話を聞く機会はあるから、今日はエーリヒと一緒にいたいの」
「そうか」
エーリヒは笑顔で頷き、クロエを部屋に入れてくれた。
リーノとの出会いはとても幸運だったと感謝しているが、それでもひさしぶりにふたりきりになれたのは、嬉しい。
ふたりでソファーに横並びに座り、クロエはエーリヒの肩に寄りかかった。
「ジーナシス王国にいる、他の魔女の話を色々と聞いたの」
エーリヒはそんなクロエの髪を優しく撫でながら、話を聞いてくれる。
「魔女が生まれたら、五歳まで魔法の使えない部屋で育てられるそうよ。やっぱり魔女には、自制心が大事なのね」
「王女には、一番欠如しているものだな」
「そうね」
クロエはまだ一度しか会っていないが、カサンドラがどれだけ横暴なのか、アリーシャから聞かされていた。
気に入らないことがあると癇癪を起こして、侍女を鞭打ちしたこともあるらしい。
王太子はアリーシャの魔法によって無事だが、実はクロエの元婚約者のキリフも、カサンドラの被害者になっていたようだ。
言葉を話せなくなったり、足が動かなくなったりしていたと、アリーシャが話してくれた。
アリーシャが一番恐れているのは、カサンドラが彼女を傀儡の王にしたい者たちに煽られて、王位を欲してしまうことだ。
魔女の力は、人の生死に関することには使えない。
でもそれは、死を願っても叶うことがないというだけで、魔法で直接攻撃することができる。
使えるかどうかはともかく、魔力のあるカサンドラは、普通の魔法も使用可能だと思われる。
王女カサンドラは、魔女の力はもちろん、普通の魔力も持っていてはいけないのではないか。
クロエは、少し前からそう考えるようになっていた。
リーノのあとにお風呂に入り、そのあとにエーリヒが入っている間に、明日の朝食の準備をしておく。
切り身の魚を味噌漬けにして、あとは野菜を浅漬けにしたもの。明日はこれに、ご飯と味噌汁だ。
昔のクロエでもあまり食べなかった和食の定番だが、エーリヒはこれがとても気に入っていた。
「魚の味噌漬けか」
「うん。明日の朝焼くから、楽しみにしていてね」
そう言って、まだ濡れたままのエーリヒの髪を、丁寧に拭いてあげる。
エーリヒは気持ちよさそうに目を閉じて、クロエに身を委ねていた。
あの集落に滞在していた間も、寝室別々だったから、こうしてふたりでまったりと過ごすのもひさしぶりだ。
(やっぱりこうしてふたりで一緒に過ごす時間が、一番幸せかもしれない)
その夜はひとつのベッドで、寄り添い合いながら眠った。
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