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それから数日後。
集落の人たちが全員回復したことを見届けてから、クロエとエーリヒ、そしてリーノは別の町に移動することにした。
エーリヒに緊急の指名依頼が入り、それを果たすために、その町に行くことになったのだ。
それを聞いたリーノは、まだ聞きたいことも、教えたいこともあるからと、同行を申し出てくれた。エーリヒもそれを承知してくれたので、三人で次の町に移動することになった。
リーノを、お姉ちゃんと呼んで慕っていた子どもたちは寂しがった。だが、彼女が旅の途中だということは理解していたようで、笑顔で見送ってくれた。
隣町に戻って、そこで馬車を借りる予定だ。
借りたらすぐに出発しようと思っていたが、エーリヒにギルドから呼び出しがあり、戻ってきたのは昼過ぎだった。
だから今日はこの町で一泊し、明日の朝に向かうことにした。
色々とふたりで話したいこともあるだろうからと、エーリヒは別の部屋に行き、クロエとリーノが一緒に眠ることになった。
「ごめんなさい、せっかくふたりきりだったのに」
そう謝罪するリーノに、クロエは慌てて首を横に振る。
「いえ、全然」
マードレット公爵家の屋敷にいたときは、部屋は近くてもさすがに一緒に寝ることはできなかったから、別々に寝るのは初めてではない。
それに、エーリヒは他人が一緒だと眠れないだろう。
クロエもまだリーノに聞きたいことがたくさんあったので、これでいい。
「それにしても貴族専用宿って、こんなに広くて豪華なのね」
リーノは物珍しそうに周囲を見て回っている。
部屋に二人分運ばれてきた昼食も、さすがに美味しかった。
「自分でも、矛盾しているかなって思います」
昼食を食べ終わったあと、クロエはリーノに悩みを打ち明けた。
「移民になったのに、結局貴族に戻ってしまった。それに、この国を変えたいと思っているのに、貴族が優遇される高級宿に泊まったりして……」
そんなクロエの話を、リーノは真剣に聞いてくれた。
「何も気に病むことはないわ。すべては必然なのよ」
クロエの手を握って、優しくそう言った。
「必然、ですか?」
「ええ、もちろん。すべてはあなたの使命のためよ。まずあなたの場合、あの家から逃げ出さなければならなかった。そのために、移民に成りすました。でも移民と同じ姿をしたことで、知ったこともたくさんあったと思う」
「はい、ありました。黒髪にならなかったら、この国の状況にあまり関心を持たなかったかもしれません」
移民の姿をしたクロエだったからこそ、たくさんのことを知り、自分だけ幸せになるのは間違っていると確信することができた。
「ここで『知ること』を達成して、次の段階に進んだだけよ。だって移民のままでは、できることにも限度がある。そこで手に入れたのは、公爵令嬢という身分と、王太子とその婚約者という、強力な味方よ」
リーノの言うように、どんなにこの国の状況を許せないと思っても、『移民のクロエ』では限度がある。
いくら魔女でも、人の心の有り様までは変えられない。せいぜい意識を逸らす程度なのは、クロエもよくわかっている。
「そうですね」
クロエは頷いた。
すべては、この使命のための必然。
「この宿だって、馬車だって、あなたを守るために必要なものよ。王太子たちにとって、あなたは切り札。何としても守らなくてはならないわ。残念ながらこの国は、あまり治安が良くないから、警備のきちんとしたところに泊まるのは、あなたの婚約者の負担を減らすことにも繋がる。それにマードレット公爵家なら、これくらいの出費は問題ないと思うし」
そう、もしクロエたちが普通の安宿に泊まったりしたら、エーリヒは一晩中、見張りをしてくれるだろう。
エーリヒを守るため。
そう思うと、納得することができた。
「ありがとうございます。吹っ切れました」
笑顔でそう言うと、リーノも笑顔で頷く。
「当事者では見えていないこと。わからないことは、必ずあるから。だから、何でも話して。私もこの使命について、煮詰まったらあなたに相談するわ」
姿は十歳の少女でも、実年齢は二十五歳だというリーノは、まるでクロエの姉のように優しくそう言ってくれた。
「はい。そのときは任せてください」
クロエもそう答える。
「それに、高級宿って食事が美味しいのよね。このサンドイッチ、絶品だわ」
リーノも食べることが好きだったようで、クロエは全力で頷く。
「本当に。もうひとつ食べたいくらいです」
「追加、頼む?」
そう聞かれて、もちろんと答える。
ふたりで思う存分食事を楽しみ、美味しい食べ物の話で、すっかり意気投合してしまった。
翌日、借りた馬車に乗って、次の町に向かう。
リーノが同乗しているのでエーリヒのことが心配だったが、自分からは会話しないものの、嫌な顔もせずに普通に過ごしていた。
リーノがクロエと同じ魔女であること。クロエとすっかり仲良くなったことが、理由かもしれない。
それに、エーリヒは王太子やアリーシャのことをクロエの味方だと認識してくれたのだ。王都に戻ったあとは、アリーシャとも普通に会話することができるかもしれない。
「エーリヒ、次の依頼はどんなものだったの?」
「海に出る魔物の退治、らしい。だから行く先は港町だ」
「港町? 美味しい海鮮が食べられるかな」
思わずそう言ってしまい、反省する。
「ごめんなさい。エーリヒは仕事なのに」
「気にするな」
そんなクロエを見て、エーリヒは表情を和らげる。
「クロエが楽しいなら、それが一番だ」
そう言ってくれた。
「婚約破棄されたので、好きにすることにした。」コミカライズ4巻が、8月29日に発売となります。
今回も素晴らしいコミカライズにしていただいたので、ぜひご覧くださいませ。
「婚約破棄されたので、好きにすることにした。(4)」
砂糖まつ先生 講談社 KCx ISBN 9784065404515
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