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「魔法を使って、体調を万全に戻したわ。だから、もう大丈夫」
翌朝、様子を見に行ったクロエに、リーノはそう言った。
「病気を治す魔法は、まだ完成していないのよ。今は、症状を軽減させる魔法だけ」
それでも、リーノのように回復傾向にある状態だと、かなり効果があるようだ。
「今は魔女にしか使えない魔法だけど、いずれ呪文や魔導書を作り出して、誰にでも使えるようにしたいのよ。最終的に目指すのは、病気を治す魔法だけど、さすがに簡単にはいかないわね」
自らの使命を語るリーノは、難しいと言いながらも目を輝かせていた。
魔女は、願うだけでそれを叶えることができる。
でも、ただ願えばいいというわけではない。
当然ながら魔女の力にも限度があり、それを越える魔法を使うことはできない。
「魔女の魔法は、願えば叶う。世間ではそう言われているけれど、そんなに万能でもないわ。制限はたくさんあるもの」
リーノはそう言って、肩を竦める。
「たとえば、人の生死に関わることは叶えられない。人の精神に干渉することもできない。できるのは、意識を逸らすくらい」
クロエは頷く。
アリーシャが婚約者を守るために使っている魔法や、クロエが元のクロエだとわからないようにしているのも、その意識を逸らす魔法だ。
でも、カサンドラがエーリヒに執着している心を、変えることはできない。
「魔女は、呪文や魔法陣に縛られないで魔法を使える。そんなものよ。クロエさんは、今までどんな魔法を使ったの?」
「ええと、最初は、髪色を変える魔法で……」
「いや、王女の監視魔法を吹き飛ばしてくれたのが、最初だった」
背後で静かに聞いていたエーリヒが、そう言う。
「ああ、そうだったかも」
「監視? 王女って、あの偽魔女よね?」
「はい。エーリヒは、その王女殿下に執着されていて……」
クロエは前世のことだけは伏せて、自分たちが王城を出ることになった経緯を簡単に説明した。
「信じられないわ。魔女にそんな扱いをするなんて」
「いえ、私が魔法を使えるとわかったのは、王城を出る寸前で」
魔女を軽視されて怒っていると思ってそう言ったが、リーノはクロエの言葉に首を横に振る。
「私の言い方が悪かったわ。自分の婚約者と娘にそんな扱いをするなんて、許されないわ」
クロエが魔女ではなかったとしても、リーノはクロエのために怒ってくれただろう。
そう思うと、心が軽くなる。
「私としては、あの婚約破棄があったから、父からも婚約者からも逃げ出せました。エーリヒも助けることができて、よかったと思います」
「……そうね。結果だけ見れば、そうかもしれないわね」
「はい。それから髪色を変える魔法を使って、王都で暮らし始めたのですが、欲しいな、と少し思ったものが目の前に現れたり、物を異空間に収納したり……」
「異空間に? それって、どんな魔法なの?」
クロエはアイテムボックスについて説明した。
これはクロエが転生者だから思いついた魔法らしく、リーノはその便利さに感動していた。
「私も使ってみてもいい?」
「ええ、もちろん」
「ありがとう。これで旅が楽になるわ」
ただ、アイテムボックスに入れておいたものは劣化しない、というのは説明が難しくて、リーノの場合は、ただアイテムを収納するだけになりそうだ。
クロエは、アイテムボックスがそういうものだと信じているので、それが可能らしい。
「異空間に収納できるだけでも、充分に便利よ」
リーノはそう言って喜んでくれたので、クロエもほっとした。
「それから、魔導師のギルド員に攻撃されたエーリヒに治癒魔法を使って、右腕を無敵状態にしてしまったことも……」
「え、待って。ギルド員が攻撃?」
「はい。ええと、そのギルド員はその後、人に攻撃魔法を使ってしまってギルド員を辞めさせられて。最終的にアダナーニ王国の城門を突破して逃げて、特別依頼の指名手配犯になって」
「それは、最悪ね」
「そして私たちが、その依頼を果たしました」
サージェは、本当に危険な存在だった。
思い込みが激しくて、他人を攻撃することを躊躇わない。
そんな人だったとリーノに説明したあと、こう続けた。
「だから私が、彼の魔法の力を封じました」
「魔法を封じる?」
「はい。願っただけで次々と願いが叶ってしまう状況が怖くて。一時期、魔女の力を封じました。自分の中に鍵の掛かった扉をイメージして」
クロエの場合は、その鍵を持っているから、いつでも扉を開けられる。
けれどサージェは鍵を持っていないので、自分でその扉を開けることはできない。
「他人の魔力を封じるなんて、すごいことをするのね」
「はい。許されないことだとわかっています。
「違うわ。そのギルド員は自業自得よ。むしろ被害者が拡大する前に、止めることができてよかったと思う。私がすごいと言ったのは、あなたの発想よ」
「私の?」
クロエは首を傾げる。
「魔女って、発想が大切なの。思いつかないことは、願えないでしょう? このアイテムボックスといい、魔力を封じ込める扉といい、普通の魔女には思いつかないことばかりよ」
「いえ、そんな」
クロエとしては前世の知識に頼るところが大きかったので、褒められても恐縮するだけだ。
「じゃあ今まで、願っても叶えられなかったことはないのね?」
「そうですね。魔法に慣れるまでは、意識して使わないようにしていました」
攻撃魔法だけは失敗していたが、あれはコントロールの問題だろう。
「教えるなんて言っておいて、私の方が勉強になったわ。他に使った魔法はない?」
「あ、私は病気にならないんです。エーリヒの右腕が無敵なのと同じで」
「病気にならない?」
不思議そうなリーノに、クロエは事の経緯を説明する。
「その頃はまだ、魔女の力を使いこなせていなくて」
使うつもりもなく、使ってしまった魔法だった。
「そうだったの。そんなことが。私が目指している病気を治す魔法は、実はかなり難しいの。病気って色々な症状があるのに、すべてに対応できる魔法を作らなくてはいけないから。けれど予防なら……」
しばらく考え込んでいたリーノは、クロエを見上げた。
「クロエさん、私にできることなら何でもするわ。だから、私の魔法研究に少し付き合ってもらえないかしら?」
もちろんだと、クロエは頷いた。
それからリーノは、病人全員に、症状を軽くする魔法を掛けてくれた。
元気になった子どもたちは、念のために安静にというララの言葉も聞かずに走り回って、それを追いかけるララは大変そうだ。
でも、重症者がいなくなったことで、集落はとても明るい雰囲気になった。
「助けていただき、ありがとうございました」
集落の住人たちに頭を下げられて、クロエは慌てる。
「私ではないです。魔法を掛けてくれたのは、リーノさんで」
「その私を助けてくれたのは、クロエさんとエーリヒさんよ。ふたりとも、ありがとう」
困るクロエだったが、倒れていた人や集落の人たちを見捨てずに助けたお陰で、こうしてジーナリス王国の魔女であるリーノとも出会えた。
(情けは人の為ならずって、本当なのね)
前世で聞いた言葉を思い出しながら、そんなことを思う。




