・26
日が暮れる頃、ようやくエーリヒが戻ってきた。
窓からその姿を見つけたクロエは、急いで部屋を飛び出して、家に入ろうとしていたエーリヒに抱きついた。
「クロエ?」
驚いた様子のエーリヒは、飛びついてきたクロエを難なく抱き止め、落ち着かせるように、背中を叩いてくれる。
「何かあったのか?」
「ううん。ただ、エーリヒに聞いてほしいことがたくさんあって」
「そうか。部屋で話そうか」
こくりと頷くと、エーリヒはクロエの手を引いて、部屋に入っていく。
繋がれた手の温かさが、クロエの心を少しずつ落ち着かせてくれた。
「遅くなって、すまない」
ベッドの上に並んで座る。
エーリヒはすぐに、そう謝罪してくれた。
「ギルドでかなり時間が掛かってしまって、帰りが遅くなってしまった」
「大丈夫だった?」
「ああ。指名依頼は引き受けないことにしたと伝えて、ギルド側は承知してくれたのだが、依頼主が納得しなくてね」
あの町の魔物退治はギルドが依頼したものではなく、依頼主がいたらしい。
さすがに被害が大きければ引き受けたかもしれないが、ギルド側にも確認したところ、エーリヒでなければ倒せない魔物ではなかった。
だから、他の冒険者に任せることにしたらしい。
「こっちでは、何があった?」
向こうでの状況を伝えてくれたあと、エーリヒは優しく尋ねてくれた。
「あの人……。リーノさんは、子どもではなかったの。だから、両親は最初からここにはいない」
「たしかに、少女を探している者がいないかギルドに行ったときに聞いてみたが、誰もいなかったが……」
不思議そうなエーリヒに、クロエは彼女から聞いたことを、すべて話した。
「リーノさんは、本当は二十五歳で、ジーナシス王国の魔女らしいの。魔法の研究をするために、各国を回っていたといっていたわ」
「あの少女が、ジーナシス王国の魔女?」
「うん、そう言っていたわ」
「本当なのか?」
エーリヒは少し疑っている様子だった。
たしかに、見た目は可憐な少女でしかない。クロエだって、実際に彼女と話をしていなかったから、信じられなかったに違いない。
「でも、私の変装をすぐに見抜いたのよ。魔女の力は、同じ魔女にしかわからないと言うし」
「クロエの変装を?」
「そう。もとの私の髪色は、魔女の証だと言っていたわ。リーノさんも、同じ色をしていたからね」
「ああ。たしかに昔のクロエと一緒だった。だが、良い魔女とは限らないだろう」
そう言うエーリヒの脳裏に浮かんでいるのは、カサンドラ王女の姿かもしれない。
エーリヒを今も支配している王女の影に、苦しいような気持ちになる。
(あの王女の支配から、いつか解放してあげたい……)
まだ考え込んでいる様子のエーリヒを、そっと抱きしめた。
別に、女性に愛想良くする必要はない。
そんなことになったら、きっとクロエは嫉妬してしまう。
でも女性がいても気にならないくらいには、なってほしい。
そうなってみて初めて、カサンドラから完全に解放されるのではないか。
そう思ってしまう。
「リーノさんに会ってみない?」
会えばきっと、彼女が本物の魔女であることが、エーリヒにもわかるはずだ。
「戻ってきたら紹介するって約束したの」
そう言うと、すぐに承知してくれた。
「わかった。実際に会ってみないと、どんな人なのかわからないからな」
クロエはエーリヒを連れて、リーノが休んでいる部屋に向かうことにした。
「リーノさん? エーリヒが戻ってきたわ」
扉を叩いてそう言うと、リーノが答える声がした。
「連れてきてくれたのね。ありがとう。どうぞ入って」
声は可愛らしいが、落ち着いた大人の話し方に、やはりエーリヒも困惑している様子だった。
ベッドの上に体を起こした恰好のリーノは、エーリヒを見ると驚いたように目を細める。
「すごく綺麗な人ね。クロエさんの、恋人?」
「……婚約者、です」
リーノの瞳にあったのは純粋な感心だけで、エーリヒに対して見惚れるような様子もなかったから、安心して紹介することができた。
「婚約者なのね。先ほどは、助けていただいてありがとうございました」
きちんと頭を下げるリーノに、エーリヒは首を横に振る。
「あなたを助けたのは、クロエだ」
「ええ、彼女にはとても感謝しているわ。だから、私にわかることなら何でも教えようと思っているの。本当は、魔女のことは魔女だけで話さなくてはいけないけれど、彼がいた方が安心でしょう?」
そう問われて、クロエはすぐに頷く。
「はい。それでもかまいませんか?」
もし駄目だと言われたら、聞きたいことはたくさんあったが、諦めるつもりだった。
けれどリーノは、あっさりと頷く。
「もちろんよ。家族とか身内なら、同席しても大丈夫だから。婚約者なら、これから家族になるのでしょう?」
「そうです」
クロエはそう答える。
エーリヒはもう、家族も同然だ。
「まず、あなたにも名乗っておくわ。私はジーナシス王国の八番目の魔女、リーノよ」
「八番目?」
「私はジーナシス王国にいる現役の魔女のうち、八番目に生まれた魔女なの。だから、八番目。そして私たち魔女には、必ず果たさなくてはならない使命がある。それを果たすために、魔女は自分の力を使わなくてはならない」
聞きたいのは、その使命についてだ。
クロエはそっと手を挙げる。
「その使命について、伺ってもよろしいでしょうか?」
「ええ、もちろん」
リーノはにこやかに頷いた。
「魔女は、それぞれ使命を持って生まれてくるの。私は、病を治せる魔法を開発すること」
その使命を果たすために、リーノは世界各国を回っているそうだ。
その私が、病気で倒れるなんてね、とリーノは笑った。
「はっきりと言葉で受ける啓示じゃないから、少しわかりにくいのよ。ただ本人がどうしても拘ってしまうこと。そうすると不都合があるのに、やらずにはいられない。そんなものが、魔女にとっての使命なの」
病は、魔法では治せない。
そうわかっているのに、リーノはどうしてもその魔法を開発したかった。
無駄だと何度も言われた。
でも何度失敗しても取り組むリーノの姿を見て、年上の魔女が、それが使命であると教えてくれたのだと言う。
「まだ完璧ではないけれど、少し症状を軽減させるくらいなら、できるようになってきたのよ」
「私には……」
そんなものがあるのだろうか。




