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「クロエさん、色々とありがとう。あなたが助けてくれなかったら、あのまま死んでいたかもしれない」
「い、いえ。そんな、たいしたことは……」
そこでリーノは、クロエが戸惑っていることに気が付いたらしく、小さく笑った。
「そうよね。戸惑うのが普通よね」
リーノはそう言って、右頬に片手を当てた。
「見た目は十歳くらいかもしれないけれど、本当は二十五歳なの」
「えっ」
クロエは驚いて、リーノを見つめる。
今のクロエは、精神年齢はともかく、体は十七歳だ。でも、当然のようにリーノが年上には見えない。
(たしかに、倒れていたときは、熱でぼんやりとしていたからわからなかったけれど……)
こうしていると可愛らしい少女にしか見えないが、たしかにその瞳は、無垢な少女のものではない。
「うーん、どこから話したらいいのかしら」
混乱するクロエに、リーノはそう言って首を傾げる。
「私は魔法の研究のために、ジーナシス王国から来たの。この姿は魔法で変えているのよ」
「ジーナシス王国、ですか?」
北方にある魔法大国であり、魔女が何人もいると言われている。アリーシャも留学して魔法を学んだという、あの国だ。
「ええ。魔法の研究のために、各国を回っていたのよ。この先にある町に入ろうとしたら、外国人だからと追い払われてしまってね」
引き返す途中で、あの大きな池の辺りで休んでいたら、集落の子どもたちと出会ったのだと言う。
「仲良くなって、ときどき遊んでいたの。その子どもたちが病気になったと聞いたから、慌てて駆け付けようとしたのよ。でも……」
その前に自分も発病して、倒れてしまったようだ。
「ありがとう。あなたは命の恩人だわ。クロエさんが、ここまで運んでくれたの?」
「いいえ。私の相方のエーリヒが」
「そうだったの。その人にもお礼を言いたいわ」
「それが……」
町のギルドに行き、リーノの家族も探しに行ったことを伝えると、申し訳なさそうに謝罪する。
「ごめんなさい。私がこんな姿をしていたからよね」
「でも、どうして子ども姿に?」
警戒されにくくするためだろうか。
そう思ったクロエだったが、リーノはにこりと笑ってこう言う。
「可愛いでしょう? この頃の私。一番気に入っているの」
そんな理由だとは思わず、驚くクロエの髪に、リーノはそっと触れた。
「あなたも変えているわね。この色だと、移民だと思われて不便じゃない?」
「……っ」
クロエは警戒して、数歩後ろに下がる。
今までクロエの変装を見破った者はいない。
それなのに、どうしてすぐにわかってしまったのだろう。
「そんなに警戒しないで。私はあなたと同じよ。敵ではないわ」
「同じ?」
「そう。私はジーナリス王国の八番目の魔女、リーノ。あなたも魔女なんでしょう?」
「えっ?」
驚きのあまり、警戒していることさえ忘れて、クロエは彼女を見つめた。
まさか彼女が、ずっと会いたいと思っていた魔女だとは思わなかった。
「ジーナリス王国以外で完全な魔女が生まれるなんて、とても珍しいことよ。でも、あなたは間違いなく魔女だわ」
そう言ったリーノは、自分の髪に触れる。
倒れたときにツインテールにしていた髪は、今は解かれ、緩くカーブを描く白金の髪は、彼女の幼い体を守るように包み込んでいる。
「あなたの元の髪色は、私と同じよね。この色は、魔女の証でもあるのよ」
「魔女の……証?」
たしかに以前のクロエも、彼女と同じように白っぽい金髪だった。
それを散々地味だと疎まれていたが、まさかそれが魔女の証となる色だとは思わなかった。
「この色が?」
「この国には伝わっていないみたいね。ジーナシス王国は、あまり他の国とは交流がないから。でも魔女は必ず、この髪色とそれぞれの使命を持って生まれるの」
クロエはリーノと同じように、自分の髪に触れてみる。
今は黒髪だが、たしかにクロエの髪はリーノと同じ色だった。
「でもカサンドラ王女殿下は……」
この国唯一の魔女であるカサンドラは、金色の髪をしている。
「あー、あれね」
リーノは肩を竦めて笑った。
「噂には聞いているわ。でもジーナリス王国の概念だと、彼女は魔女ではないわね。髪色も違うし、使命も持っていない。でも魔女に近い力を持っているから、まぁ、他の国では魔女と認められるでしょう」
この国であんなにも恐れられているカサンドラだったが、ジーナリス王国の魔女であるリーノにとっては、魔女ではないらしい。
そのことに、クロエは驚く。
「でも、それらしい力を持っているのだから、別に魔女と名乗るのは自由よ。ただ、私たちの国では魔女ではない、というだけ」
アダナーニ王国は、魔法に関しては後進国だ。魔導師の数も、他国から見れば信じられないくらい少ない。
そんな状況だから、国王は多少力が弱くても、アダナーニ王国にも魔女がいると示したかったのだろう。
まして、カサンドラは王女である。
でもカサンドラが違うのだとしたら、クロエもまた、髪色が同じというだけでは、魔女とは言えないのではないか。
まして、魔女には使命があるのだという。
そんなものを、今まで一度も感じたことがなかった。
「私も違うのかもしれない。私には、使命なんて」
けれどリーノは、笑って首を振る。
「あなたには、使命があるわ。今のあなたの姿を見れば、すぐにわかる」
「私の?」
慌てて自分の体を見渡してみるものの、何も変わったところはないように思える。
「ごめんなさい。急に話しすぎたわね」
混乱しているクロエを見て、リーノは優しくそう言ってくれた。
「でも、まだ知りたいことはあるでしょう? あなたは私の命の恩人よ。私に答えられることなら、何でも聞いてね」
「はい。ありがとうございます」
エーリヒが戻ってきたら紹介すると約束して、クロエはリーノの部屋を離れた。
「びっくりした……」
部屋を出た瞬間、思わずそう口走ってしまう。
まさかこんな場所で、ジーナリス王国の魔女に出会えるとは思わなかった。
しばらくその場に立ち尽くしていたが、ここにいても仕方がないと思い、宛がわれた部屋に戻る。
病人達が集められている家には、たくさんの部屋があって、クロエもそのうちの一部屋を借りている。ベッドと机があるだけの簡素な部屋だが、元日本人としては、この狭さが今は落ち着く。
ベッドの上に座り、窓ガラスに映る自分の姿を見つめる。
前世と同じ、肩より少し長いくらいの黒髪。
でも本来の色は、白に近い金髪だった。
(私の髪色が、魔女の証だったなんて)
リーノが言っていたように、国交がないわけではないが、ジーナシス王国はあまり他国との関わらない国である。
だから、この国では魔女についても、ほとんど知られていない。
だから、こんなに見た目ではっきりとわかる証があるとは、思わなかった。このことがアダナーニ王国に伝わっていなくてよかったと、心から安堵する。
もし伝わっていたら、きっとクロエは生まれたときから魔女として扱われていた。
(生まれたときから魔女だったら、私もカサンドラ王女殿下みたいに、わがままになっていたのかな?)
一瞬だけそう考えるが、クロエの父は独裁的で、逆らうことはけっして許さなかった。
クロエの過去と同じように完全に支配下に置き、クロエの力を自分自身のために利用しただろう。
あのおとなしいクロエが、父に逆らえるわけがない。
(それに使命って何? 私には何かやらなくてはならないことがあるの?)
クロエの今の姿を見ればわかると言っていたが、ガラスに映った自分の姿をどんなに眺めても、クロエには何もわからなかった。
はやく、エーリヒにこのことを打ち明けたい。
突然明かされた、魔女の秘密。
ひとりで抱えるには重すぎて、クロエは落ち着かないまま、ただエーリヒの帰りを待つしかなかった。




