・22
そして、翌朝。
ふたりは身支度を整えると、魔物が目撃されている場所に向かった。
「朝食のパン、おいしかったね」
焼きたてのパンが提供され、つい食べ過ぎてしまったくらいだ。
「俺は、クロエの料理の方が良い」
そう言うエーリヒは、あまり食べていなかったような気がする。
これだけ動いて、しかもそれなりに鍛えているのに、あんなに小食で大丈夫なのだろうか。
(人体の不思議……)
ふと気になって、自分の腕や腹を触ってみる。
(う、うん。まだ大丈夫。まだ、許容範囲内ね)
いざとなったら、魔石を大量に作ればいい。
体力を消耗してきっとダイエットにもなるし、魔力も増えて良いことだらけだ。
そんなことを考えながら、少しだけ踵を上げて歩いてみる。
(こんな運動があったような気がする。効果はあるのかな?)
エーリヒはそんなクロエを見て不思議そうな顔をしていたが、思い立って変な運動をするのはいつものことなので、何も言われなかった。
この町から少し離れた山間に、小さな集落がある。
魔物は、その集落に向かう道に出没するらしい。
集落に住む者にとっては、仕事や生活のために毎日通る道である。それが、例の魔物が出没することによって、命がけの道のりになってしまい、とても困っていた。
そこで集落の人たちがギルドに相談したところ、ギルド側で対応が必要と判断し、指名依頼にしてくれたようだ。
「じゃあ、今回の依頼主はギルドなの?」
「そういうことになる。人々の生活が脅かされている場合に限り、ギルドが依頼主となって問題の解決に尽力するそうだ」
「すごいと思うけど、それって本来は国がするべき対応よね」
「そうだな」
アリーシャに、地方に出て気になったことがあれば教えてほしいと言われていた。このことは、伝えるべきだろう。
「あ、こっちかな?」
広い街道を歩いていると、途中に分かれ道があった。
土を踏み固めただけの簡素な道だが、人通りは多かったようで、それなりの道幅がある。
「そうだな。クロエ、ここからは注意して」
「うん。あ、ちょっと待って」
先を歩こうとするエーリヒに声を掛けて、防御魔法を使う。
魔女のクロエには、呪文も魔法陣も必要ない。
「エーリヒを守ってくれますように!」
ただそう願うだけで、魔法は発動する。
「物理攻撃も魔法攻撃も、これで通用しないと思う」
「クロエは?」
エーリヒが心配そうな顔に言ったので、自分にも防御魔法をかけておく。
「私にもかけておくね。……うん、これで大丈夫」
敵が透明化するのなら、どこに動くかわからない。
クロエが自分にも防御魔法をかけると、エーリヒは安心したようだ。
ふたり並んで歩けるくらいの道幅だが、それでも用心のため、エーリヒが先頭を歩き、クロエはその背後に続く。
道の両側には木が生い茂っていて、高く伸びた枝が空を覆い隠し、早朝だというのに、薄暗い。
土を踏み固めただけの道には、ときどき小石が混じるようになり、歩きにくくなってきた。
(なんか、林間学校の早朝登山を思い出すかも)
地名や学校のことはまったく覚えていないのに、こうして山を登ったことがある、という断片的な記憶だけ、思い出す。
そんなときは、無理をして思い出さないようにしていた。
過去にはもう、戻れない。
今の自分はクロエなのだ。
そんなことをとりとめなく考えていたクロエは、ふと足を止めた。
「エーリヒ、待って。何か嫌な気配がする」
クロエがそう言った途端、エーリヒは剣を抜いた。
そして油断なく、周囲を警戒している。
クロエも同じように視線を巡らせていたが、いつの間にか道の向こう側に、大型の猿の姿をした魔物がいることに気が付いた。
「正面よ!」
その言葉に素早く対応したエーリヒだったが、躊躇ったようにクロエを見る。
「俺には、何も見えない」
「えっ」
どうやら気配も感じないらしい。
見間違えたのかと思ったが、クロエの目に映る魔物は、かなりの敵意をこちらに向けている。
「クロエ、場所を教えてくれ」
彼には姿も見えないし、気配も感じないというのに、エーリヒはそう言って剣を構え直した。
「うん、わかった」
エーリヒに見えないのなら、自分が目になればいい。
ふたりに防御魔法をかけているので、魔物に反撃されても怪我をすることはないだろう。
「大きさは、エーリヒよりも少し大きい。横幅は倍くらい。こちらの様子を伺っているわ。場所は、あの折れた枝のすぐ隣よ」
魔物はきっと、隙を狙っているのだろう。
けれどエーリヒは油断なく剣を構えていて、なかなか襲いかかれないようだ。
「まだ動きそうにない」
「ならば、こちらから行くか」
エーリヒが剣を構え直す。
それを見たクロエは、魔法でエーリヒのスピードとパワーを強化する。
「少し動いた。手前の白い花の隣!」
クロエがそう叫んだ途端、エーリヒが切り込む。
何も見えていないとは思えない、正確さだった。
だが魔物も、すぐに反撃に出る。
「左!」
左腕を振り上げたのを見て、そう叫ぶ。
エーリヒはそれを避けて、今自分がいた場所に剣を振り下ろす。
魔物は、甲高い悲鳴を上げて飛び退いた。
「……声が聞こえた」
今の悲鳴は、エーリヒにも聞こえていたようだ。
「あの白い花の方まで逃げていったよ。傷は負っているけど、まだ動けないほどじゃないかも」
エーリヒの剣は確実に当たったようだが、大型の魔物には致命傷にはならなかったようだ。
再び剣を構えたエーリヒに、クロエは魔物の位置を正確に伝える。
「後ろに下がった。逃げるかもしれない」
何度かエーリヒに襲いかかり、その度に傷を負った魔物は、少しずつ後退しようとしていた。
「足止めするね」
クロエは魔法で魔物の足止めをして、その位置をエーリヒに伝える。
だが魔物は動けないまま、切り込んできたエーリヒに向かって、腕を振り上げた。
「右に!」
クロエはそう叫ぶ。
魔物の姿が見えないエーリヒは、攻撃をどう避けたらいいのかわからなかったようで、振り下ろされた魔物の腕を、クロエの魔法が掛けられた右腕で受け止めた。
この状態で魔物が反撃するとは思わず、焦ったクロエはほっと息を吐く。
「!」
魔物の攻撃を腕で受け止めたエーリヒは、それで魔物の位置を正確に掴んでいた。そのまま魔物を押さえつけ、止めを刺す。
絶命した魔物は、ようやくその姿を現した。
「消えたままならどうやって報告するかと思ったが、これなら大丈夫そうだな」
「ごめんなさい」
クロエは急いでエーリヒに駆け寄って、返り血を浴びたエーリヒの顔を、ハンカチで丁寧に拭く。
「あの状態で反撃するなんて思わなくて……」
「いや、クロエが声を掛けてくれなかったら、まともに攻撃を受けていたかもしれない。俺には見えなかった。それに、この右腕のお陰で助かった」
「一応、見せて」
そう言うと、エーリヒはクロエに右腕を差し出した。
サージェの渾身の魔法攻撃も受け止めたエーリヒの右腕は、傷ひとつない。どうやら大丈夫そうだと、安堵する。




