・21
「エーリヒって、氷の剣士って呼ばれているらしいよ」
クロエとエーリヒは、新規の依頼があった町を訪れていた。
冒険者ギルドに顔を出して依頼を確認し、それからこの町の宿に移動している。
犯罪者となった魔導師を捕縛した剣士として、エーリヒの名はかなり有名となり、それに付随する形で、クロエのことも広く知られるようになった。
だから、クロエも一緒にギルドにも顔を出したのだが、そこでエーリヒがそう呼ばれていることを知ったのだ。
キッチンでお茶を煎れて、立ち寄った町で買った焼き菓子を出す。
「お茶入ったよ。どうぞ」
「ああ、ありがとう」
クロエからカップを受け取ったエーリヒは、不思議そうに首を傾げている。
「昔も、そんな名前で呼ばれていた気がするな。まぁ、どうでもいいか」
たしかにエーリヒは昔、氷の騎士と呼ばれていた。
どうやら銀色の美しい髪色と、冷たい態度からそう言われているようだ。でもエーリヒは、自分がどう呼ばれようが、あまり関心がないらしい。
「でも通り名って、凄腕の冒険者って感じで、何だか格好いいよね」
エーリヒの名が知れ渡ってきた結果だと思うと、クロエも嬉しかった。
「クロエのお陰だ」
エーリヒはそう言って、隣に座っているクロエの肩を抱き寄せる。
「魔法で補助してくれたから、実力以上の評価を得られている。ありがとう」
「そんなことないよ。エーリヒの実力があってこそだもの。でも、私もエーリヒの手助けができて嬉しい。ふたりの将来のためだから、これからも協力して頑張ろうね」
「ああ、そうだな」
柔らかな笑みを浮かべる姿を見て、幸福感が胸に満ちる。
一緒に王城から逃亡したばかりの頃、エーリヒはこんなに優しい笑みを浮かべなかった。
自分自身のことはまったく気にせず、サージェに悪意を向けられても、平然と受け流していた。
でも今は、勝手に恋人を名乗っていたサージェに怒り、まだ幼い少年を気に掛けて、何かあれば頼るようにと告げていた。
それが嬉しくてたまらない。
(でも、まだ足りない。もっと、エーリヒを幸せにしたい)
そんなことを思ってしまうクロエは、実は愛がとても重いタイプだったのかもしれない。
前世でも今でも、恋をしたことがなかったので知らなかった。
「どうした?」
自分を見つめたまま動かないクロエに、エーリヒがそう尋ねる。
「ううん、何でもない。それより、依頼はどんなものだったの?」
この町で受けた依頼について、質問する。
サージェを捕縛して名を上げたことにより、エーリヒには指名依頼が入るようになった。
クロエはアリーシャに連絡し、目的は達したこと。でもエーリヒの名を上げるために、いくつか指名依頼を受けたいということを報告し、了承を得ている。
サージェを捕らえたことで、王都でもエーリヒのことが話題になっているとアリーシャが教えてくれた。
もともと移民であるクロエとの真実の愛が話題になり、しかもあの容貌である。さらに魔導師を捕縛できるくらい強いとなれば、噂になるのも理解できる。
騎士はほとんど名誉職なので、近衛騎士だったエーリヒがそこまで強いとは、誰も思わなかったようだ。
正直に言えば、クロエだってエーリヒが強いとは思わなかった。
あの優美な姿には、剣よりも花が似合いそうだ。
でも実際のエーリヒはとても強く、さらにクロエの補助魔法でさらに無敵状態である。
そして、そんなエーリヒの噂を聞いたのか、エーリヒの父親であるアウラー公爵からまた連絡が来たそうだが、マードレット公爵が対処してくれたようだ。
(今まで放っておいたくせに、エーリヒが有名になった途端、父親みたいな顔をしてきても、もう遅いのよ)
王女カサンドラは許せなかったが、クロエはエーリヒの父も許せなかった。
自分の子どもならばきちんと認知して面倒を見るべきだったし、もしそうしていたら、エーリヒは不幸にならなかったはずだ。
むしろこれだけの美貌なのだから、高位貴族に婿入りすることも可能だったかもしれない。
(その場合は、私とは出会えなかったと思うと複雑だけれど……)
エーリヒと出会えていなかったら、クロエはどうなっていただろうと、少し考える。
「魔物退治だが、ちょっと特殊でね。姿が見えない魔物らしい」
そんなことを考えているクロエに、エーリヒは自分が受けた依頼について説明してくれた。
クロエも我に返って、今聞いた言葉を思い返してみる。
「見えない? 透明な魔物ってこと?」
「断定はできないが、どうやら透明というわけではなさそうだ。遠くにいると見えるが、近くに来ると姿が消えるらしい」
「厄介ね」
話を聞いて、思わずそう呟く。
エーリヒは、クロエが購入してから熟読している魔物図鑑を手に取ると、ぱらぱらとページをめくった。
「姿は、この魔物らしい。だが、この魔物に姿を消す特性はない。おそらく変異種だ」
エーリヒが指さしたのは、猿に似た大型の魔物である。
クロエから見れば、人よりも大きいチンパンジーのような姿である。
魔物図鑑によると、パワーはもちろん、見た目よりもスピードがあるので、かなり厄介な魔物だ。それなのに今回の魔物は、さらに姿を消すという特殊能力を身に付けている。
「これってもう、指名依頼よりも特別依頼では?」
普通の魔物退治よりも、難易度は高いのではないか。
そう言うと、エーリヒも頷いた。
「たしかにそうだ。だが、名を上げるには指名依頼が一番だ。俺たちは、国籍獲得を目指しているわけではないからな」
「うん」
そういうことかと、クロエは納得して頷いた。
特別依頼の達成は、ギルド内や貴族の中での評価を上げる。それは、王都の城門を破壊して逃亡した凶悪犯を捕縛することで、達成されている。
だから今度は指名依頼をいくつも果たし、エーリヒの名前をもっと国内に広めなくてはならない。
「でも、無理はしないでね」
「もちろんだ。クロエの魔法があれば、誰にも負ける気がしない」
エーリヒにそう言ってもらえて、嬉しかった。
「うん。サポートなら任せて」
攻撃魔法で役に立つことはできなかったけれど、補助魔法や防御魔法でエーリヒを助けることができる。
(ああ、今回も最初からエーリヒに、防御魔法を使っておけばいいのかも)
物理と魔法、両方の攻撃を無効にする魔法をかけておけば、魔物がどんな攻撃を仕掛けてきても、きっと大丈夫だろう。
その魔物は町から少し離れた場所に出るらしく、早朝には出発しなければならない。
だから今日は、早めに休むことにした。
同じベッドで眠るのも、すっかり慣れてしまった。むしろ、すぐ隣にエーリヒがいると落ち着く。
「おやすみ、クロエ」
「うん、おやすみなさい」
優しくそう言われて、クロエは瞳を閉じた。




