・20
しばらく抱き合っていたクロエとエーリヒだったが、ようやく我に返り、クロエはトリーアとリリンを連れて、町の宿に戻っていた。
エーリヒは、捕縛したサージェをギルドに引き渡しに行っている。
信用できないギルド員がいるのに大丈夫かと思うが、特別依頼の担当は、その町のギルド長になる。彼は大丈夫だとエーリヒが言っていたので、不安はない。
それに、いくら逃亡を企てたとしても、もうサージェは魔法を使えない。
もっとも、彼がそのことに気が付くまで、もうしばらく時間が必要になる。
魔法が使えないとわかったとき、サージェはどうするだろう。
反省して、人生をやり直してほしいと思うが、難しいだろうか。
そんなことを考えているうちに、宿に到着した。
クロエは部屋に入ると、すぐにふたりに謝罪した。
「ごめんなさい」
「どうしてあなたが謝るの?」
リリンは困惑した顔でクロエを見つめている。
「私が、無駄にサージェを挑発してしまったから。だから、あなたたちを攻撃したのだと思う」
勝手に恋人を名乗られ、あまりにも自分勝手な彼に対して、怒りを感じていたのは事実だ。
でも、あんなふうに挑発する必要はなかった。
「あなたが謝る必要はないよ」
そんなクロエに、リリンはどこか吹っ切れたような顔をして、そう言った。
「もともと私が、サージェ様……。サージェに騙されたのが悪かったんだから。それなのに、私たちを守ってくれた。本当に、ありがとう」
そう言って、リリンも頭を下げる。
最初に会ったとき、不本意そうに謝っていた彼女とは別人のようだ。
「トリーアも、ごめんね」
リリンが弟にそう謝罪すると、彼は顔を歪ませて、姉に抱き付いた。
「姉さん……」
大人びているが、まだ幼い彼は、それでも姉を守ろうと必死に頑張ってきたのだろう。
クロエも思わず、もらい泣きをしてしまった。
「ふたりは、これからどうするの?」
トリーアが落ち着くまで待ったあと、クロエはそう聞いてみる。
どうやらこの町に大勢で移動してきた移民たちは、いつも一緒にいるわけではないらしい。
ひとりで移動するには心許ない女性や子ども、老人たちが、たまたま都合が合った人たちと、集団で移動するようだ。
リリンとトリーアは幼い頃に両親を亡くし、それからはふたりで色々な町を転々としてきたらしい。
「私はもう、冒険者ではいられないだろうから、仕事を探さないと」
リリンはそう言った。
彼女は冒険者を生業としていたが、違法にギルドの情報を手にし、それを指名手配犯に流していた罪で、冒険者の登録を抹消される可能性が高いらしい。
リリンはナイフを武器にしているが、あまり戦闘は得意ではなく、薬草収集やちょっとした仕事を引き受けて、それで生活していたようだ。
だから冒険者の仕事を失えば、収入源を失ってしまう。
クロエは何とかならないかと頭を悩ませたが、それだけ情報漏洩は重罪で、むしろ登録の抹消だけで済むのは、運が良いことらしい。
「今度は僕が冒険者になって、姉さんを守る。だから、大丈夫」
トリーアが力強くそう言った。
「そう……」
まだ幼いが、頭が良く、勇気もある彼ならば、きっと良い冒険者になれるかもしれない。
そこに、ギルドからエーリヒが戻ってきた。
サージェを引き渡し、間違いなく本人であると認められ、無事に依頼達成となったらしい。
まさか本当に成功するとは、と随分驚かれたようだが、エーリヒはサージェなどに負けるはずがないと、平然としていたようだ。
リリンはやはり、情報漏洩の罪で冒険者登録が抹消されてしまい、彼女に情報を渡したギルド員も、即座に解雇されたと、エーリヒは説明してくれた。
「……仕方ないよ。自業自得だから」
リリンはそう言って、処分を受け入れるようだ。
「報酬金も貰ってきた」
そう言うと、エーリヒはそれを四等分にして、リリンとトリーアにも渡した。
「えっ」
「ぼ、僕たちにも?」
特別依頼の指名手配犯の捕縛なので、その報酬も膨大なものになる。
その半分を渡された姉弟は、呆然とした顔でエーリヒとクロエの顔を交互に見つめていた。
「ふたりの協力がなかったら、もしかしたら逃げられていたかもしれない。だから、受け取って」
エーリヒは何も言わなかったので、クロエが代わりにそう言った。
ギルドに行く前に、ふたりで話し合って決めたことだ。
トリーアがサージェの居場所に案内してくれたから、これ以上逃亡されることもなく、無事に解決することができたのだ。
そして何よりも、クロエはふたりの将来のことがとても気懸かりだった。
「クロエが気に病むから、さっさと受け取れ。今度は変な男に騙されないようにしろ」
なかなか受け取らず、困ったようにエーリヒとクロエの様子を伺っていたリリンに、エーリヒは呆れたようにそう言った。
「……わかりました。本当に、ありがとうございます」
リリンはそう言うと、報酬を受け取り、それをすべて弟に預けた。
「トリーアが持っていて。こんな大金を持っていたら、私だと余計なトラブルに巻き込まれそうで」
「うん。わかった」
トリーアは姉の提案に大きく頷き、躊躇うこともなくふたり分の報酬金を受け取った。
その様子を見ていたクロエは、思わずたしかに、呟いてしまっていた。
リリンはまだ危うい面もあるが、トリーアが一緒にいれば大丈夫だろう。
それから、この宿はリリンとトリーアに泊まってもらうことにして、クロエはエーリヒと貴族専用の宿に戻ることにした。
別れの挨拶をして、宿を出る。
「冒険者になるのであれば、何かあったらギルドを通して連絡しろ」
エーリヒは、最後にトリーアにそう囁いていた。
女性は嫌いでも、少年のトリーアなら平気なのだろう。エーリヒがこんなふうに誰かを気に掛けるのは初めてで、クロエも何だか嬉しくなってしまう。
ふたりには、また会うこともあるかもしれない。
宿に戻ると、クロエはエーリヒに、サージェの魔力を封印したことを伝えた。
「魔力を、封印?」
そんなことができるのかと驚くエーリヒに、クロエは経緯を説明した。
自分の魔力を封印したときと同じように、扉を閉めるイメージを使ったこと。
そしてサージェには、その扉を開けることはできないことを説明した。
「あの人は、魔力を持ってはいけない人だと思ったの」
「そうだな」
エーリヒは、そんなことができるのかと驚いた様子だったが、クロエの行動は間違っていないと言ってくれた。
「魔法が使えなければ、もう逃亡することはできない。魔石も作れないのであれば、貴族に飼い殺しされることもないだろう」
「うん、そうね」
サージェのことは許せないが、これから貴族に酷い目を合わされたりしたら、少し気に病んでしまうだろう。
「それにしても、クロエの魔法はすごいな」
エーリヒは右腕を掲げて、感心したように言う。
「傷は付かなくても、衝撃くらいは覚悟していたが、それもなかった」
「ごめんなさい。あんなに挑発する必要はなかったね」
先ほどリリンとトリーアには謝罪したが、エーリヒはまだギルドから戻ってきていなかった。
だからあらためて謝罪すると、エーリヒは笑ってクロエを抱き寄せる。
「むしろ痛快だった。あの男は、あれくらいしないと自分の実力がわからないだろう。それにしても」
そう言ってエーリヒは楽しそうに笑う。
「まさか、攻撃魔法三発で、あんなに偉そうにしていたとは」
「そうね。私も、耳を疑ったわ」
ふたりで顔を見合わせて笑った。
「エーリヒ」
そっと名前を呼んで、甘えるように身を寄せる。
「私にとっても、エーリヒは人生の希望だよ。婚約を破棄されたあのときに、クロエは死んでしまっていたかもしれない。それをここまで連れてきてくれたのは、エーリヒだから」
「……ああ」
エーリヒはクロエの言葉に小さく頷いた。
そうして、自分の胸に頬を寄せるクロエの黒髪を、優しく撫でる。
「クロエがいれば、他は何もいらない。ずっと一緒生きて行こう」
「うん。約束よ」
目を閉じると、唇に優しい熱を感じた。
エーリヒは無事に、『特別依頼』を果たした。
目的を達成したので、王都に戻らなくてはならない。
(思っていたよりも早く、帰ることになったなぁ)
もう少し旅を楽しみたかったと思うが、サージェがあの様子では、時間が経過すればするほど、また犠牲者が増えたのかもしれない。
だからここで、彼を取り押さえることができてよかったのだろう。
「王都に戻る?」
そうなるだろうと思って聞いた言葉だったが、エーリヒの返答は予想外のものだった。
「特別依頼を果たしたから、そうしなければならないところだが、魔物退治の依頼が何件かきていた。どうやら指名依頼のようだから、それを果たしてからになる」
「……そっか」
まだもう少し、旅ができる。
そう思うと、楽しみだった。




