・16
翌日、クロエは冒険者風の服に着替えると、エーリヒと一緒に町の中心部に向かう。
クロエたちが泊まっている宿は、騒がしい町の中心部からは離れている。しかもその宿に到着したのは真夜中だったので、町を歩くのは初めてだ。
(ちょっと雰囲気が荒んでいるかも……)
エーリヒによれば、冒険者ギルドの職員でさえ、信用できないような印象の人もいたそうだ。
王都や王都近くの町に比べると、かなり雑然とした雰囲気だった。
エーリヒはクロエを宿まで送り届けると、そのままスラム街に向かう。
もちろんその前に、彼には補助魔法を掛けている。
「すぐに戻るから、待っていてくれ。俺が戻ってくるまで、誰か訪ねてきても、部屋から出ないように」
そう言われて、頷く。
「わかった。気を付けてね」
エーリヒを送り出し、そのまま宿で待つ。
こじんまりとした部屋は、木造で、なかなか落ち着ける空間である。
ただお風呂がないのが、少し残念かもしれない。
一般宿にはお風呂がなく、町に共同浴場がある。
そこもなかなか広くて気持ちが良いらしいので、いつか行ってみたいと思う。
(銭湯みたいな感じかな?)
部屋の窓から町の様子を眺めていると、廊下に人の気配を感じた。
「エーリヒ?」
扉を開けようとして、彼が部屋に入ってくるまで、おとなしく待っているように言われたことを思い出して、手を止めた。
性格は最悪だが、サージェも一応、自力で国籍を獲得するほどの魔導師である。
用心したほうが良いと判断し、鍵の上にさらに魔法で扉を施錠した。
様子を伺っていると、ドアノブをがちゃがちゃと動かす音がする。
エーリヒならば、こんなことをするはずがない。
そう思って、警戒を強める。
「あれ? 開かない……」
けれど、耳を澄ましているクロエに聞こえてきたのは、まだ若い女性の困惑した声だった。
もしかして、部屋を間違えたのだろうか。
そう思って様子を伺っていると、彼女はぽつりと呟く。
「おかしいなぁ。鍵は壊したはずなのに」
「!」
どうやら明確な意思を持って、クロエの部屋に入ろうとしたようだ。
しかも、ノックをしたり声を掛けたりすることもなく、いきなり鍵を壊して入ろうとしたのだから、まともな訪問者ではない。
「あの、クロエ、さん?」
宿の鍵は壊されてしまったようだが、魔法で施錠したので、普通の人間には開けることはできない。このままエーリヒが戻ってくるまで待とうと思っていると、扉の前の彼女は、戸惑い気味にクロエの名前を呼んだ。
「わたし、冒険者のリリンっていうの。あなたの恋人に頼まれて、助けに来たんだけど……」
向こうでも、扉の前にいるクロエの気配を察しているようだ。
やや困惑した声でそう言われ、瞬時にサージェに騙されている移民だと理解する。
(どうしてここがわかったのかしら……)
エーリヒが後を付けられたとは考えにくい。冒険者だと名乗っていたので、おそらくギルド側から情報が漏れて、ここまで辿り着いたのだろう。
ギルドの職員にも、あまり信用できそうにない者がいたと言っていた、エーリヒの言葉を思い出す。
もしかしたら、情報漏洩をしている者がいるのかもしれない。
どうするべきか、少し考える。
エーリヒはまだ戻らないが、サージェに騙されているだろう彼女の誤解を解く、良い機会かもしれない。
扉は開けずに、このまま話をしてみようと思う。
「誰ですか? 私の恋人は出かけていますが、じきに戻るはずですが」
はっきりと、そう告げる。
「え? でも……」
困惑した声が聞こえてきた。
その声から察するに、クロエとそんなに年も変わらないだろう。
「あなたを迎えに行きたいけれど、見つかると貴族たちに捕まってしまうから、連れてきてほしいって頼まれたんだ。あの人のところまで、わたしがちゃんと案内してあげるから」
リリンと名乗った彼女は、必死だった。
サージェの嘘に騙されて、酷い目に合った彼のために、その恋人を連れて行ってあげたいと思ったのだろう。
事前にエーリヒから聞いていたとはいえ、あらためて勝手に恋人を名乗っている話を聞くと寒気がする。
「人違いのようですよ? 私の恋人は、魔物退治で名を上げている剣士。貴族でもそう簡単に手を出せる人じゃないわ」
「剣士? じゃあ、あれも本当のことだったの?」
「……あれって?」
どうせまた、碌な話ではない。
聞きたくない気持ちが強いが、聞かなくては話が進まないと、クロエは嫌悪感を抑え込んでそう尋ねる。
「恋人のために何もかも捨てたのに、彼女は身分と相手の容姿に目が眩んで、簡単に乗り換えた。そう言っていたのよ」
「……勝手なことばかり、言わないで」
責めるような口調でそう言われ、彼女は騙されているだけだとわかっているのに、苛立ったような声で言葉を返してしまう。
「私の恋人は最初からエーリヒだけ。事実無根な噂を流されて、迷惑しているの」
「そうやって自分を正当化して、サージェさんを切り捨てるのね」
どうやら彼女も、サージェほどではないが、思い込みが強いようだ。
クロエは冷静になろうと、一度深呼吸をする。
「あなたは、彼に騙されているのよ」
一緒に感情的になってはいけないと、ゆっくりと言葉を選びながら、事実のみを伝える。
「あなたが信じているサージェは、自分勝手な思い込みで、魔法で人を攻撃した。さらにギルドを半壊させて王都から逃げ出した指名手配犯。私たちは、そんな彼を捕縛するために『特別依頼』を受けたのよ」
恋人などではなく、むしろ彼を追う側だ。
そう説明すると、扉がドンと叩かれる。
「嘘よ。サージェさんがそんなことをするはずがない。安全なところに隠れて悪口を言うなんて、卑怯よ」
「……」
クロエは溜息をついた。
話が通じない相手には、何を言っても無駄である。何とか説得しようと言葉を尽くしても、きっと自分の良いように解釈して、まったく理解してくれない。
そう悟ったクロエは、扉から離れて部屋の中心に戻った。
きっとそのうち、エーリヒが戻ってきてくれる。これ以上余計なことは言わずに、それを待とう。
しばらく扉を叩く音が聞こえていたが、クロエは気にしないことにした。




