・14
それから平和になった森を散策し、他に魔物がいないか確かめる。
あの熊に似た魔物が驚異だったらしく、魔物どころか、小動物の姿もなかった。
でも元凶の魔物は退治されたので、これからもとの平和な森にもどっていくに違いない。
開けた場所に出たので、ここで持参したお弁当を食べることにする。
特別依頼を果たしたあとなのに、呑気すぎるのではと思うが、もう驚異は去ったあとだ。
普段は食の細いエーリヒも、クロエの作ったものは何でも食べてくれる。
緑に囲まれてゆったりとした時間を過ごしたあと、町に戻った。
「ギルドに報告に行ってくる。クロエは宿で休んでいて」
魔法の失敗のせいで、魔力を使い過ぎたことを心配してくれるようだ。
たしかにあのときは、少し指先が冷えるような感覚があったが、今はもう回復している。
(以前も、魔石作りに夢中になったせいで、魔力の使い過ぎで倒れそうになったことがあったけど……)
あのときよりも、回復が早くなった気がする。
むしろ魔力よりも先に、体力が尽きたような感じだった。
でも、エーリヒに心配をかけないように、先に宿に戻ることにした。
部屋に戻り、着替えをして、ベッドに転がる。
(単独で特別依頼になるくらいの魔物を倒したんだから、冒険者としてのエーリヒの評価も上がるはず)
エーリヒは貴族の養女になったクロエの婚約者なので、無事に結婚すれば貴族籍を手に入れる。だから、もう国籍獲得を目指す必要はない。でも、貴族の父親に正式に認知されていないエーリヒの身分は、不確かなものだ。
マードレット公爵家の紹介で貴族の養子になることも可能だったが、エーリヒは自分の力で地位を獲得することを選んだ。
困難な道だが、クロエの魔法でそれを手助けすることができるなら、嬉しい。
日が暮れた頃に戻ってきたエーリヒは、その日のうちにギルド員が森に赴き、討伐成功だと認証されたと教えてくれた。
「クロエのお陰で、楽に達成できた。ありがとう」
そう言われて、嬉しくなる。
「ううん。私はちょっと手助けをしただけだよ。それより、最初に魔法を失敗しまくって、ごめんね」
「……あのときは、クロエをどう説得しようか、悩んでいた」
そう正直に打ち明けられて、クロエも苦笑する。
魔導師よりも遙かに魔力が多いクロエが、体力が尽きそうになるまで魔法を連発したのに、一度も魔物に当てられなかった。
それはやはり、才能がないのだろう。
「でもそのお陰で、攻撃魔法には向いていないってわかったわ。これからは、エーリヒのサポートをしていくから」
魔法で敵を一掃することに憧れていたけれど、攻撃魔法だけが魔法ではない。
むしろ補助魔法のほうが、エーリヒの助けになれる。
「ありがとう。心強いよ。それにギルドからも、特別依頼の魔物を倒せたのなら、頼みたい依頼がたくさんあると言われた」
王都に近いこの町には、あまり強い冒険者が滞在することはないらしい。
強い冒険者なら国籍を取得しているだろうし、それならば人が集まる王都を拠点とすることが多い。
だからずっと滞在するわけではないとはいえ、エーリヒのような存在は貴重なのだろう。
エーリヒにとっても、名を上げるチャンスである。
「全部、魔物退治?」
「ああ。単独だと少し厄介な魔物もいたが、クロエが助けてくれるなら、引き受けられると思う」
「うん。任せて」
頼りにされたことが嬉しくて、クロエは大きく頷いた。
魔導師と魔術師が使うのは、攻撃魔法と治癒魔法だけのようで、補助魔法は魔女であるクロエしか使えない。
もともと魔法図鑑に記載されていないのだから、この世界には存在していない魔法なのかもしれない。
もともと高い能力を持つエーリヒを、さらに魔法で強化することができれば、魔物との戦いは格別に楽になるだろう。
それから何度か、エーリヒと一緒に魔物退治に向かった。
エーリヒに補助魔法を掛けると、魔物を倒すスピードが上がるのが、はっきりとがわかる。
それでも魔物のほうが速いときは、足止めの魔法を掛けた。
硬い魔物のときは、力を増幅させる。
こうしてエーリヒはどんな魔物退治でも引き受け、すべて成功させた。
その目立った容貌も相まって、エーリヒの名声は日に日に高まっている。
いつも同行しているクロエのことも話題になっていると、エーリヒが教えてくれた。
「私のことも?」
「ああ。いつも討伐成功しているのは、魔法を使える者が同行しているからだと言われていた」
「そんなの……」
その噂には、少し悪意を感じる。
まるでエーリヒが、魔導師であるクロエを利用して、自分の名声を上げているようではないか。
「ひどい噂だわ。訂正しなきゃ」
「いや、クロエに助けられているのは事実だからね。それに、どんなに俺が気に入らなくても、噂を流すが精一杯だろう」
エーリヒの目立つ容貌と、移民の女性という組み合わせはかなり目立っていたようで、真実の愛という言葉とともに、ふたりの話がこの町にも広まっていた。
町ではエーリヒの噂を聞いて声を掛ける女性もいたようだが、彼はいつも無視している。ギルドでも、クロエさえいればいい。俺にはクロエだけだと繰り返し語っていた。
だからクロエは移民ではあるが、魔石が作れる魔導師で、しかも貴族の養女になったということも知られたようだ。
それを知ったからには、接触してくる者はいないだろうと、エーリヒは語っていた。
そもそも貴族専用の宿に滞在しているので、接触のしようがない。
ここを使うように言ってくれたアリーシャはきっと、そこまで考慮してくれたのだろう。
この町だけではなく、日帰りで移動できる距離の特別依頼も何件か引き受けたエーリヒは、クロエの手助けもあり、すべてを成功させていた。
「すごいね」
クロエは、そんなエーリヒが誇らしく思えた。
魔物退治は、人々を助けることにも繋がる。
この頃にはサージェの噂も少しずつ集まるようになり、もうすぐ次の町に移動することになっていた。
思っていたよりも長く滞在してしまったが、そのお陰でサージュの居場所もだいたい把握することができた。
魔物退治も捗ったことだし、むやみに移動するよりも、有意義な時間を過ごせたかもしれない。
そろそろこの宿ともお別れだ。
食事も美味しいし、居心地も良かった。
しかも、お風呂も入り放題である。
少しだけ、名残惜しい。
そう思いながら、クロエは手にしていた本を閉じて、エーリヒに話しかける。
「もうわざわざサージェを追う必要もないくらいね」
今さらサージェを捕縛しなくとも、エーリヒの名声は充分高まっている。
「クロエのお陰だ。でも、あの男とは決着をつけておきたいからね」
窓の傍に座り、剣の手入れをしていたエーリヒは、そう言って外を見つめた。
時刻は夕刻で、そろそろ夕食の時間である。
今日はどんなメニューだろうと考えながら、クロエは首を横に傾げた。
「決着?」
「たとえ目の前にいなくとも、クロエと二度と会うことがなかったとしても、自分のほうがクロエにふさわしいなどと思われるのは、不愉快だからね。そんなことを思えなくなるくらい、徹底的に潰しておかないと」
「そ、そっか……」
クロエは最初からサージェのことは相手にしていないし、むしろまったく話を聞かない彼は、嫌いな部類の人間である。
サージェはクロエに好意を持っているのではなく、自分のために利用したいだけだ。
しかも今の状況を、クロエのせいだと思っているだろう。
(間違いなく、自業自得なんだけどね……)
勝手に暴走した挙げ句、責任を押しつけられたらたまらない。
たしかにエーリヒの言うように、きちんと妄想と事実の違いを教えてあげたほうがよさそうだ。
「じゃあ、そろそろ出発する?」
「ああ。周辺の魔物退治もほとんど終わったことだし、明後日には北に移動しよう」
「うん、わかった」
滞在している間に少し荷物が増えてしまったが、アイテムボックスがあるから問題ない。
移動は身ひとつで可能である。
そして予定通りに明後日の朝には宿を引き払い、馴染みとなったギルド員に惜しまれながら、借りた馬車で次の町に移動した。
引き払うことを宿の受付に伝えると、馬車の手配と次の宿の予約もしてくれた。
どうやら、マードレット公爵家からの通達のようである。
きっと向こうとしても、ふたりの居場所を把握しておきたいのだろうと考えて、素直に利用させてもらうことにした。
「少し遠いから、到着するのは夜中になってしまうかもしれない。途中で休憩も入れるから、疲れたら言ってほしい」
エーリヒがそう気遣ってくれる。
「うん、ありがとう」
クロエは頷いて、馬車の窓から外を見つめた。
さすがに貴族専用宿が手配した馬車なので、マードレット公爵家の馬車と同じくらい、乗り心地が良い。
馬車は順調に走り、予定通り真夜中に目的の町に到着した。
こんな時間だったが、宿ではすぐに部屋に通してくれる。
二階の奥まった場所で、以前と同じように、広くて綺麗な部屋である。
ただ、寝室には大きなダブルベッドがひとつだけ。
最初からひとつだけというのも、少し恥ずかしいような気がする。でも、最初の宿でもずっと一緒に寝ていたのだから、問題ないのかもしれない。
ふたりは婚約者で、すべて解決したら結婚する予定なのだから。
「クロエ、疲れただろうから、もう寝たほうがいい」
「うーん、お風呂だけ入りたいな」
バスルームも大きくて気持ちよさそうだ。
さっぱりしてから眠りたいと思い、さっと汗を流すことにする。
少しだけのつもりが、広い湯船が気持ち良くて、つい長湯をしてしまった。着替えて寝室に向かうと、エーリヒはもう眠っている様子だった。
クロエが来るのを待っていたのか、手に本を持ったままだ。
「遅くなって、ごめんね」
小さくそう呟いて、本をしまい、毛布を掛けてやる。
「……クロエ?」
「あ、起こしちゃった?」
「ん」
エーリヒは手を伸ばしてクロエを抱き寄せる。
「温かい」
そう言う彼は、毛布も掛けずに眠っていたので、少し寒いようだ。
クロエはエーリヒの冷たい体を温めるように、そっと寄り添った。
「おやすみ、エーリヒ」
そう呟いて、目を閉じる。




