・13
翌朝、早起きをしてお弁当を用意したクロエは、エーリヒと一緒に町を出た。
(本当に、町の近くなのね……)
町から歩いていけるような距離に、それだけ凶暴な魔物が住み着いてしまったら、特別依頼になるのも無理はないかもしれない。
「魔物は、以前は森の奥に住んでいたが、最近は獲物を探して入り口付近まで出てくるらしい」
「そうなんだ……」
きっとその獲物は、森に足を踏み入れた人間なのだろう。
「クロエ」
そんなことを考えていたクロエは、エーリヒがやや緊張感を含んだ声で名前を呼んだので、はっとして意識を切り替える。
「いたの?」
「ああ。あの大木の影だ」
凶暴な魔物が、森の入り口から姿が見える場所にいる。
「どうしてこんなに近くに……」
「なかなか獲物が来ないから、探しに出てきたのか」
いずれ森を出て、町に向かうかもしれない。
そう思うと、ここで倒さなければと強く決意する。
クロエは緊張していたが、エーリヒは探す手間が省けて好都合だと言っていた。
「まだ距離があるから、魔法を使ってみるか?」
「うん、やってみる」
クロエは、すぐに頷いた。
たしかにギルド員が話してくれたように、かなり大きく、凶暴そうな魔物だ。
でも、あれだけ大きいのなら、良い的になりそうである。
(どうしようかな……)
どの魔法を使うべきか、考えを巡らせる。
(炎……だと、森が燃えたら危険だし。ここは、風魔法かな?)
鋭い刃が、魔物に襲いかかるイメージで魔法を発動させる。
イメージした通り、鎌のような鋭い刃が複数、魔物を襲うはずだった。
「きゃっ」
「クロエ、危ない!」
魔物めがけて放ったはずの魔法。それがなぜか、途中で反転してきてこちらに向かってきて、クロエは慌てた。
クロエの前に飛び出したエーリヒが、魔法が掛けられた腕で、その攻撃をしっかりと受け止める。
「!」
きっと、クロエの掛けた魔法がエーリヒを守ってくれる。
そう思っても、思わず全身に力が入る。
「大丈夫だ」
泣き出しそうな顔をしてエーリヒに駆け寄ったクロエに、彼は優しく声を掛ける。
「魔法は俺に当たる前に、消滅した」
「……本当に?」
「ああ。だから、衝撃もなかった」
彼の言うように、風の刃をまともに受けたように見えたのに、腕はもちろん、服にも傷ひとつない。
「よかった」
安堵から、思わず座り込む。
「……ごめんなさい。失敗しちゃって」
どうやら腕に魔法がかけられていなくとも、エーリヒを傷付けることはなかったようだ。
それにはほっとするが、まさか途中で反転して、こちらに向かってくるとは思わなかった。
「初めてなんだから、仕方ない。もう一度やってみたらいい」
「……うん」
また反転してきたらと思うと怖いが、実践しなければ上達もしない。
エーリヒに優しく促されて、クロエは次の魔法を使ってみることにした。
(風は、また反転してきたら怖いから……。今度は炎で)
どうやらクロエの魔法は、対象者以外が傷付くことはないようだ。
だから森に燃え移ることはないだろうと、炎の玉のようなものを放ってみる。
「えいっ」
小さいながらも熱く燃える炎の玉は、まっすぐに魔物めがけて飛んで行くはずだった。
それなのに。
「えっ?」
勢いよく飛んだ炎の玉は、魔物から大きく逸れて、そのまま木に当たって消えてしまう。
「どうして……」
魔法はきちんと出せたし、おそらく威力も問題ない。
それなのに、魔物に当てることができない。
あまりにもコントールが悪すぎて絶望するが、周りに影響がないとわかったから、何度も連続して使ってみるが、ひとつも当たらなかった。
「クロエ、そこまでだ」
むきになって連発していると、エーリヒに止められた。
「魔力を使い過ぎてはいけない」
「でも……」
まだ一発も当てていない。
そう思ったけれど、指先が冷えるような感覚がしてきたのは事実だ。
このままでは魔力よりも先に、体力が尽きて倒れるかもしれない。
そうなったら、エーリヒは心配するだろうし、迷惑も掛けてしまうだろう。
「役に立てなくて、ごめんなさい」
一発も当てられないとは思わなかった。
クロエは落ち込むが、エーリヒはそんなクロエを優しく慰める。
「攻撃魔法の練習は初めてなんだから、気にするな。それに、魔物はすっかり萎縮しているようだ」
そう言われて見れば、たしかに巨大な熊のような魔物は、木の陰に隠れて逃げたそうにしている。
当てられなくとも、これだけ魔法で連続して攻撃されたら、たしかに怖いかもしれない。
しかも威力は申し分なかった。
「クロエは少し休んでいて。逃げられる前に、仕留める」
エーリヒは剣を抜いてそう言うと、魔物に向かって走った。
たしかに見た目よりも俊敏で、逃げられると厄介だと聞いたことを思い出す。
だが、もともと怯えていた魔物は、エーリヒの殺気を察して逃げ出した。
「えっと、足止め! それに、加速!」
クロエは慌てて、魔物に足止めの魔法を掛ける。
今度は上手く発動したようで、魔物の動きが止まった。
さらにエーリヒが、いつもよりもさらに速く駆けて、魔物に斬りかかる。
優美な見た目からは想像もできないほど力強い剣が、たちまち魔物を打ち倒した。
「すごい!」
思わず声を上げてしまう。
エーリヒが強いのは知っていたが、『特別依頼』の魔物まで簡単に倒してしまうとは思わなかった。
「すごいのは、クロエだ」
けれどエーリヒは、剣の血を布で拭いながら、クロエを見つめる。
「え?」
「魔物の足止めをしてくれただろう。それに、体が軽くなるような感覚があった」
「うん。今度は成功して良かった」
咄嗟に掛けた魔法だったが、今度はうまく発動したようだ。
クロエが愛読している魔法図鑑は攻撃魔法ばかりで、あとは治癒魔法が少し載っていたくらいだ。今、クロエが使った補助魔法のようなものは、一切掲載されていなかった。
けれどクロエは前世の知識から、敵の足止めをしたり、対象の能力を引き上げるような補助魔法を想像し、それを使うことができた。
クロエが願っただけで叶う、魔女だからこそできたことだろう。
「魔物は想像していたよりも素早くて、硬かった。クロエの魔法がなかったら、もっと苦戦していたかもしれない」
エーリヒにそう言ってもらえて、クロエもほっとする。
攻撃魔法は散々だったが、他の魔法で役立てた。
クロエは魔導師ではなく、魔女だ。
だから魔法を習わなくても使えるが、それには強く願うことが大切である。
攻撃魔法をイメージすることはできても、敵を打ち倒したいと思う気持ちが、少し弱かったのかもしれない。
それに比べて補助魔法は、エーリヒを助けたいというクロエの願いがもとになっているので、とても強くなるようだ。
(広範囲の攻撃魔法で、敵を一掃するのにも、ちょっと憧れていたけど……)
自分の魔法スタイルには、そういう魔法は合わないのだろう。
「攻撃魔法は、ちょっと苦手かもしれない」
そう言うと、エーリヒも頷いた。
「そうだね。でも、クロエの魔法のお陰で、楽に勝てた」
「うん。私の魔法は、願いがもとになる。エーリヒを助けたいと願う気持ちは、誰にも負けないから」
そう言うと、エーリヒは幸福そうに笑う。
この笑顔を守るためなら、きっと何でもできるだろう。




