・10
「クロエ、朝だよ」
そんな囁きとともに、優しく頬を撫でられて、目を覚ます。
「……ん」
柔らかなベッドと優しい温もりに安心して、ぐっすりと眠ったようだ。
「朝食を用意してもらったから、一緒に食べよう」
「うん、食べる」
もう少しこの微睡みの中にいたかったが、朝食と聞いて起き上がる。
今日、エーリヒは冒険者ギルドに行くと言っていたから、一緒に朝食を食べて、ちゃんと見送りたい。
急いで身支度を整えてダイニングルームに向かうと、良い匂いがした。料理はすでに並んでいて、夕食に劣らず豪華だ。
ふたりでゆっくりと食事をしたあと、エーリヒは出かけて行った。
「いってらっしゃい。気を付けてね」
トラブルに巻き込まれることなく、無事に戻ってくるようにと願いを込めて、送り出す。
この旅の目的は、指名手配犯になったサージュの捕縛ではあるが、エーリヒの冒険者としてのランク上げと、クロエの魔法の練習も重要な課題だ。
だから、旅の途中で引き受けられそうな依頼があったら、積極的に受けることにしようと話し合っている。
「うん、魔法の勉強をしておこう」
クロエはお気に入りの紅茶を煎れると、アイテムボックスから魔法図鑑を取り出した。
エーリヒは魔物退治の依頼を最優先で受けるだろうから、クロエも攻撃魔法を使えるようになった方が良いだろう。
前世でやったゲームの魔法などをイメージしてみる。
本来なら魔法を使えるようになるには、高価な魔導書を買う、またはその魔法を習得している魔導師に学ばなくてはならない。
でもクロエは魔女だから、頭の中でしっかりイメージできれば使えるはずだ。
(広範囲を殲滅する範囲魔法とか、格好いいけど……)
まずは初心者なので、初級魔法から。
ゲームで使ったことのある炎の玉をぶつける魔法や、風の刃で切り裂くような魔法が良いかもしれない。
イメージした通りに魔法が使えなくて、エーリヒを巻き添えにしたら大変だから、念入りに詳細まで考えてみる。
(本当の魔女って、どんな魔法を使うのかな……)
ふと、そんなことを思った。
調べようにも、この国では、なかなか魔女に関する記載を見つけることができない。
魔法のことや、魔女という存在について、聞いてみたい。
もちろん、その相手はこの国の王女カサンドラではない。
アリーシャも留学した、北方のジーナシス王国にいるという本物の魔女である。
(私も、ジーナシス王国に行ってみたい)
ふと芽生えた願い。
けれど今は、優先しなければいけないことがたくさんある。
やりたいことはたくさんあるけれど、それでもできることから、ひとつずつ頑張っていけば、きっと望む未来に辿り着ける。
そう信じて、エーリヒとふたりで突き進むしかない。
クロエにとって、すべてが解決したあとにエーリヒさえ傍にいてくれたら、それだけでハッピーエンドである。
魔法図鑑を読みながらイメージトレーニングをしていると、お昼を少し過ぎた頃にエーリヒが戻ってきた。
「おかえりなさい。大丈夫だった?」
「ただいま、クロエ。もちろん大丈夫だ」
そう言うエーリヒは、うんざりした顔をしていなかったので、この町のギルドでは、女性に絡まれたりしなかったのだろう。
この町には魔法ギルドがないので、そもそも女性の冒険者は少なかったのかもしれない。
「王都に近い町だから、人の出入りもそれなりにあって、なかなか有力な情報は掴めなかった。ただ、ここを通ったのは間違いない。しばらくこの町に滞在して、情報収集しようと思う」
「うん、わかった」
クロエは頷いた。
国籍を失い、指名手配犯となってしまったサージェは、身を潜めているだろうから、そう簡単には手がかりは見つからないかもしれない。
それでも、せめて向かった方角くらいはわからないと、探すのも大変だ。
「あと、魔物退治の依頼が殺到しているらしく、何件か引き受けてきた。クロエも一緒に行くか?」
「もちろん行く!」
事前に話し合っていたように、エーリヒは依頼を受けてきていた。だからクロエは、意気込んで頷く。
「エーリヒのために、頑張るからね」
依頼を受けたのはエーリヒなので、クロエが魔法で倒したとしても、彼の手柄となる。
(私は魔女だし、魔力量は問題ないはず。イメージトレーニングもしっかりやったし、きっと大丈夫)
魔女の力に目覚めたばかりの頃、クロエは簡単に願いが叶ってしまうことが恐ろしくて、自分の中の力を封印した。
扉を閉めるようなイメージで、そのクロエ自身が持っているので、いつでも開けられる。
それから、魔石作りで魔力を操る経験を積んで、自身の魔力を少しずつコントロールすることができるようになった。
だから今は、その鍵は開けている。
あと必要なのは、経験だけ。
そう思っていた。
「王都の地下道には、魔物が溢れている。それと同じように、この町の地下道にも魔物が溢れていて、それがときどき町にも出現するらしい」
ふたりが向かったのは、町の外れにある地下道入り口である。
危険だから封鎖されているものの、強い魔物だと入り口を破壊してしまうことがあるらしく、魔物退治の依頼は多いらしい。
「クロエは、魔物を見るのは初めてだろう? 今日は俺の後ろに隠れて見学していて」
「見学?」
初日から魔法を実践するつもりだったクロエは、不思議そうに首を傾げる。
「どうして?」
「地下道に出るような魔物は、不気味な外見をしているし、倒すと体液をまき散らす。それに地下道は狭いから、魔法を使うにはあまり向いていない」
「そっかぁ……」
たしかに狭い通路で魔法を使うのは、危険かもしれない。
魔物を見るのも初めてなので、言われた通りに今日はエーリヒの後ろで見学することにした。
魔物の姿は、前世の記憶で何となく想像することはできる。
でも実際に見た魔物は、粘液に包まれたどろりとした体に、複数の目がついている不気味なものだった。
スライムのような魔物だが、よくあるゲームで見るような、可愛らしい姿ではない。
しかもそれが、複数集まっている。
さらに倒すと、水風船のように爆発するらしい。
言われたように、クロエはずっとエーリヒの背後に隠れて、その様子を見学していた。
(たしかに、あれはちょっと不気味かも)
物理攻撃が通じない、ということはなく、エーリヒはあっさりと魔物を退治していく。
その鮮やかな剣さばきに、思わず見惚れてしまう。
「すごい……」
強いことはわかっていたが、圧倒的だった。
クロエの賞賛に、エーリヒは少し照れたように笑って、手を差し伸べる。
「さあ、宿に戻ろうか。魔物退治の依頼は何件もあったから、次からはクロエも魔法を使ってみよう」
「うん。頑張るから」
クロエは深く頷いた。
いよいよ次から、実戦に参加する。
エーリヒが一緒なので、恐怖心はない。
ようやく魔法を思い切り使えると思うと、むしろ楽しみだった。
討伐成功の報告は明日にすることにして、そのまま宿に戻る。
「今日の夕飯、楽しみ。その前にお風呂にも入りたいな」
地下道は湿気がすごかった。
しかも倒した魔物の体液が周囲に飛び散り、エーリヒが庇ってくれたのでそれを浴びることはなかったが、それでも少し気持ち悪かった。
ゆっくりとお風呂に入ってリフレッシュして、明日から頑張るつもりだ。
まだ夕食の時間には早かったので、先にお風呂に入る。
そのあとエーリヒが入っている間に、クロエは魔法図鑑を広げて、またイメージトレーニングをしていた。
(今度、魔物図鑑も買ってみよう。どんな魔物がいるのか、事前に知っておくことも大事よね)
不気味な姿をした魔物ばかりではないらしいが、あまりにもグロテスクだと、冷静に対応できないかもしれない。
そんなことを思っていると、エーリヒが戻ってきた。
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