第4章 遠征編 第9話 通商交渉
「全くなんなんすか、あれは!」
一度目の交渉が終わり、控室に戻ってくるなりまくし立てるモルト。もふもふ尻尾を逆立ててお怒りである。
「あんなの、聞いてないっす!」
この初交渉で俺たちは完全に押され気味。しかも、頼みのカールもハウスホールド側として容赦なく厳しい要求をつきつけてきたのだった。
「カールの態度にもカチンとくるっす」
「いくら何でもひどすぎますな」
「ま、まあ……確かに、厳しい要求かもな」
◆
ハウスホールド側の全権を任されたカールは、俺たちには愛想笑いひとつ浮かべることなく、事務的にして淡々と会議を取り仕切った。しかもその内容は、あくまで対等な条件を望んでいた俺たちの期待を見事なまでに裏切るものだったのだ。
「これは、我がハウスホールドがアウル領と取引をするための絶対条件です」
そう言い放つと無表情にして取り付く島もない様相のカール。白手袋をした両手を軽く組みながら後は無言。特に俺には目すら合わせようとしない。お互いの主張は平行線をたどり、いったん休憩を挟むことになったのだった。
◆
「それにしても思いの他厳しい取引ですな。私の力不足をお許しください」
そう言って肩を落とすドランブイ。先程の交渉では、『ドラゴンソルト』の価格の大幅引き下げと、こちらからの輸出額と同額を輸入するように要求されてきたのだ。
「レオン様、どうするおつもりっすか?」
「……」
ハウスホールド側の言い分を飲み込めば、貿易収支は永遠に黒字にはならない。しかも大陸南部への出荷額は、精々うちが買える量に留まることになる。
ただし、これらの取引はすべてドランブイの商会を通して行われるので、一回ごとではなく年単位で収支が合えばいいということではあるのだが。
「お兄様、ご決断を!」
「レオン様、インスぺリアルからの援軍は任せてくださいまし!」
交渉の様子を聞いて、セリスやニーナまで、こんなことを言い出す始末。
お前たち、どうしてそう好戦的なんだ!
「まあ、俺たちの目的は大陸南部への『ドラゴンソルト』の流通なんだから。小さな取引になってもいいんじゃないか?」
「まったくもう~」
俺の言葉を聞いて、大げさに肩をすくめるモルト。何だか芝居がかってて少しウザい。
「レオン様、なにのん気なこと言ってんすか! ここはウチの勝負所っすよ!」
「俺は、のん気というよりのんびりしたいだけだぞ」
「かあ~っ。これだからレオン様は! いくら何でものん気過ぎるっす~!」
「何だそれ?」
「いいっすか? 長らく戦乱の収まったこの大陸において、アウル領は王国から自由にしてもいいというお墨付きをもらっているっす」
「まあ、領内なんて砂漠ばかりだしな。王都からだと何かと不便だし」
大体、アウル地方なんて、よその領地を通らないとまともにいけないような辺境である。見方によっては王国の飛び地領。逆に王国が直接統治するほうが難しいに違いない。
「今や大森林の『ドラゴンミート』とカルア海の『ドラゴンソルト』は、大陸一の品質でブランド品としてもやっていけそうっす」
「そうかもな」
「しかも、クラーチ家は、カルア海を掌握しているインスぺリアルと友好関係を築いてるっす」
「それは、俺の祖父のおかげだがな」
「その上、王国最大勢力の公爵家の後ろ盾まであるっす」
「俺にとっては、はた迷惑な話だがな!」
「大陸南部にウチの塩や肉が流通すれば、その売り上げで領地の整備も進むっす」
「俺は、借りている金を返した後、のんびりできればそれだけでいいんだが……」
「何言ってるんすか、レオン様!」
モルトはそう言うと顔を俺に近づけた。おい近すぎるぞ! もふもふ尻尾もブンブン振りすぎだ。
「これだけ、駒が揃ってるんす。後は資金さえあれば、アウル領の独立も十分可能っす」
「おい、めったなことを言うんじゃない!」
ドランブイを見ると小さくうなずいている。ニーナとセリスも顔を紅潮させているのだが……。
ち、ちょっと待て! 俺は独立の話なんて初耳だぞ! 俺抜きで話を進めるのはいい加減やめてもらいたい。これでも一応、辺境伯なのですが!
「お前たち……もしや俺が稽古しているときにでも相談してたのか?」
「当たり前じゃないっすか! 最初にレオン様に話したところで、嫌がられるに決まってるっす!」
「このことは、カールトンも知っているのか?」
「もちろんっす!」
どうやら、俺一人だけ蚊帳の外。ここにいる俺以外の四人の他にはカールトンに加えてキールも承知していたらしい。何て奴らだ!
「そのときは、ニーナをお妃にしてくださいまし~!」
「お兄様!」
「痛てっ!」
何でセリスにつねられているのか分からんが、とにかく俺の知らない所で大きな話になっていることだけは確かだ。正直、俺としては迷惑なんだが!
そんな俺の心の内など関係なく、やけに雄弁に言葉を繋げるモルト。
「我が国の独立の資金のためにも、この度の交渉は正念場っす」
「まあ、そういうことになるかもな」
「しかも……今回の交渉の結果次第では、かつてこの大陸で栄華を誇ったユファイン王国の再興も夢じゃないんすよ」
「ユファイン王国だと……!」
ユファインとは、かつてこの大陸を経済力で席巻したと言われている最強の王国である。
異世界からきた大魔導士によって建てられたこの国は、隣接するアール公国やハウスホールドと同盟を結んで大陸に覇を唱えたのだとか。しかも軍事力も強大で、伝説級の騎士団を有していたという。今でもその活躍が劇や本で語り継がれているくらいなのだ。
そんなユファインは毎日がお祭りの様な賑わいで、領地は小さいながら大陸の楽園とまで言われていたそうだ。今ではカルア海の底に沈んでいるらしいのだが。
「お前たち、正気か?」
あまりのことに固まる俺の目の前で、モルトはゆっくりと尻尾を揺らす。
「レオン様。ご決断を」
この後、休憩を挟んだ二回目の交渉を経て、俺たちは貿易の大まかな枠組みを取り決めたのだった。




