第2章 山エルフ編 第20話 クルージング
「全く、エルフたちは、油断も隙もありませんね」
俺の腕を取りながらむくれるセリス。
「でも、よくしてもらっているだろう」
「それと、これとは別です」
キールの館に来てからずっと機嫌の悪かったセリス。キールたちと離れてようやく機嫌が直って来たと思った矢先にこれだ。
白のツバ広帽子を、風に持っていかれないように片手で押さえ、そっぽを向くセリス。ドランブイのアドバイスもあって、今日から普段着になってもらっている。
俺は、大小二本の剣を腰にさしているが、これは我がクラーチ家伝統のスタイル。余程の事がないかぎり、祖父から受け継いだこの二本の家宝を我が身から離すようなことはしない。
「警護役の私が丸腰なのに、お兄様が帯刀など……」
そう言って難色を示すセリス。ちなみに俺は、今まで一言も妹に警護なんて頼んだことはないのだが、いまさらそんなことは口にできない雰囲気である。
その夏物のブラウスと白いツバ広の帽子に、レイピアは誰がどう見ても似合わない。俺のわがまま? ということで、セリスには丸腰でいてもらうことにした。
「そんなこと言うなって。私服のセリスは新鮮だよ。か……可愛いしな」
思わず、本音が漏れてしまった。よくよく考えてみれば、俺がセリスに、いや、女の子に対してこんなことを言ったのはこれが初めて。うっかり口が滑ってしまった。は、恥ずかしい~。
「何、機嫌を取ろうとされているのです。褒めても無駄です」
セリスはそう言いながらも、赤らめた頬に両手をあてて、もじもじしている。俺に背を向け、恥ずかしがりながらも満足そう。
「可愛いだなんて言われたのは初めてです……」
そんなことを小声で呟いている。少しは機嫌を直してくれたようだ。
◆
ゆったりとした流れに合わせるかのように、吹きわたる風まで柔らかく温かい。俺とセリスは、いつの間にやら観光気分で、目の前に広がる大自然を眺めていた。
「お兄様、見てください! あっ危ないっ!」
浅瀬に小型のドラゴンがひしめいており、その上を水鳥が平気な顔で歩いている。
「大丈夫だよ。あの鳥はおそらくドラゴンたちの体を掃除してあげているんだろう」
「そうなのですか」
「ああ。肉食のドラゴンは水を嫌う。あれは草食のドラゴンだな」
「本当に、何でもご存じなのですね」
俺が物知りなのは、クラーチ家の書庫にある膨大な書物のおかげである。しかも、あの試合で骨折した後は、剣を振れない分、暇さえあれば書庫に入り浸ってひたすらアウル領関連の資料を読みふけっていたのだ。
「お兄様~! こっち、こっち」
セリスは、また何か珍しいものを見つけたようだ。嬉しそうに俺の腕を取るセリス。すっかり機嫌を直して楽しそう。妹が、こんな天真爛漫に振る舞う姿は本当に久しぶりだ。心の底から楽しんでいるように見える彼女を見ているだけで、俺の心も癒される。
何しろセリスは、王都を出発してから緊張しっぱなしだったと思う。キールの屋敷でも能天気な俺の横で、彼女は常に気を張ってくれていた。いくら何でも、毎晩俺のベッドの横で警戒しなくてもいいと思うのだが……。
◆
流れの穏やかなノイリー河とはいえ、俺たちが乗っているのは小ぶりなカラベル。船はどうしても揺れるが、そんな初めての足場でも気にせず自由に甲板を動き回るセリス。
正直、船には何度も乗ったことのある俺の足元の方が危ういくらいだ。さすが騎士官学校で鍛えあげられただけのことはあるのだが……。
何か、今日のセリスはやけに俺に密着してくる。あ、あの……。柔らかいものが、思い切りあたっています……。恥ずかしくて、そっと離れようとしたのだが……。
「どうなされたのですか。勝手に離れられては困ります」
セリスに注意されて、また腕を組まれてしまった。
◆
夜は急激に気温が下がるものの、月が青く輝いている。空気が澄みとおっているせいか、夜にもかかわらず視界もいい。
俺たちの船の両側には、晴れた夜にだけ見られる、砂漠の美しい光景が広がっていた。
砂丘の奥にある大きな一枚岩。昼間はただ赤茶けているだけの岩山に見えたのだが、この時間には違う顔を覗かせている。月光を浴びて砂漠の海に浮かぶ姿は、まるで大きな氷のよう。
砂丘から、ちょこんと顔を覗かせている小さな生き物。リスらしき二匹が、互いにせわしなく手足を動かしている。つがいなのだろうか。
小さなさざ波と、遠くから小さな鳴き声が聞こえる他は物音はしない。
俺とセリスは、ハーブティーで体を温めつつ毛布をかぶって幻想的な光景を飽きずに眺めていた。
寒いのだろうか。セリスはぶるっと体を震わせて、おずおずと俺の方に体を寄せてくる。俺はねぎらいの気持ちを込めて、彼女の肩にもう一枚毛布を掛けてやった。
「お兄様……」
甘えてしなだれかかってくるセリス。彼女にできる精一杯の好意を受け取り、俺もセリスの髪を優しくなでる。俺もこれが限界。今日くらいはセリスの好きなようにさせてやりたいと思う。
「レオン様、レオン様……」
「……」
「……ダメっす。全く聞こえてないっす」
あきれ顔のモルトの肩に手を置き、ドランブイはゆっくりと首を横に振ったのだった。
◆
翌朝、もふもふ尻尾をぶんぶん振って怒るモルト。
「お二人とも、昨日はお楽しみでよかったっすね。自分の存在を忘れていたっしょ!」
「う、うん」
「ごめんなさいね。本当に忘れていました」
「まじっすか……」
こうして俺たちは、二泊三日のノイリー河クルーズを心ゆくまで楽しみ、無事ブラックベリーの港に到着したのだった。
第三章は、9月に入ってからとなります。




